▽ 知らなかった方が幸せだったのか
浴室に響くシャワーの音。勢いで泊まるって言っちまったけど、よかったのかなんて考える。
でもこの状況で、なまえを1人にしておくのはどうしても不安で。きっとアイツだって不安だから俺のことを引き止めたんだろう。
「陣平くん。タオルと着替え置いとくね。新品じゃなくてごめん。一応どっちも洗ってるから」
すりガラス越しに聞こえるなまえの声。
すぐに閉まったドア。風呂から上がると、洗面台の隣に真っ白なタオルとグレーのスウェットが置かれていた。
柔らかい柔軟剤の匂いのするタオル。体を拭き、頭を適当に拭くとそのままタオルを首にかける。
男物のスウェット・・・・・、零のやつか。
なまえがそう簡単に男を家に連れ込むとも思えないし、そんなアイツの家に男物の服があるとしたらきっとそれは零が残していったもの。
なんつーか、ちょっと複雑な気もするけどまぁいいか。
触れていいものか、一瞬考えたがなまえが置いていったってことはそういうことだろう。
必要以上に気を遣うのもかえって良くない。
スウェットに着替えた俺は、そのまま髪を片手で拭きながらリビングに向かった。
*
入れ替わるように風呂に入ったなまえ。
ベランダで煙草を吸いながら、真っ暗な空を見上げる。
ゆらゆらとその暗闇に消えていく白い煙。
零に今回のことを話した方がいいんだろうか。
そんなことを考えてしまう。
「・・・・・・お前は本当にそれでいいんだな?」
「あぁ。なまえとはもう終わった。それだけだ」思い出すのは、いつかの零との会話。
「・・・・・・言うべきじゃねェか」
ぽつりと呟いた独り言に返事が返ってくることはなかった。
*
風呂から上がったなまえは、すっぴんでどこかいつもより幼く見えた。
「お前化粧してないとガキに見えるな」
「なっ、陣平くんだって童顔じゃん!」
「すぐムキになるとこが、やっぱガキだな」
恥ずかしげもなくすっぴんを晒すのは、俺を男として見ていない証拠だろう。
ムキになって言い返してくる姿がおかしくて、思わずくすりと笑みがこぼれた。
ソファに座り他愛もない話をしていると、なまえの上瞼がうつらうつらと重そうに伏せられる。
「寝るならちゃんとベッドで寝ろよ」
「・・・・・・ん、」
「おい、なまえ」
すぅすぅと聞こえてきた寝息。
ソファの肘掛に上半身を預けたなまえの肩が、規則正しく上下する。
「っ、たく・・・」
そんな体勢でよく寝れるな。なんて思ったけれど、きっとコイツも色々あって神経張り詰めていたんだろう。
立ち上がり、そっとその体を抱き上げる。
予想していたよりもその体は軽くて、女≠ナあることをつい意識してしまいそうになる。
「ん・・・っ、」
抱き上げると僅かに身をよじるなまえ。長い髪の毛が俺の首元に触れる。俺の髪と同じシャンプーの香りに、心臓がどくんと脈を打つ。
甘えるように伸ばされた腕が首に回され、そのままなまえの顔が俺の胸元に寄せられる。
「・・・・・・れい、くん・・・」
きっとコイツの中には、零しかいない。
そんなこと出会った頃から分かっていたし、別に何かを望んだわけじゃない。
夢現ななまえがこうして甘えてきたのは、きっと俺が零の服を着ていたからだろう。
スウェットを着た時に思った。タオルからした柔軟剤の匂いに混じって香ったのは、零の香水の匂いだったから。
特別な感情はない。ただ放っておけないだけ。
そう思っているはずなのに、何故か夢の中で零の名前を呼ぶなまえに胸の奥を何かに強く握られたかのような痛みを覚えたんだ。
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