▽ 最後を告げる声
深夜のヒロからの着信。
何となくそんな予感はしたんだ。
『もしもし、零?松田から連絡があったよ』
「松田から?なまえじゃなくてか?」
『なまえちゃんが松田に連絡したらしい。松田にも新しい連絡先教えてなかったのか?』
「あぁ、まだ教えてなかったな。そのうち話すつもりだった」
なまえの前から姿を消すと決めたあの時から、こんな日がくるのは分かっていた。
ただ予想外だったのは、なまえがヒロじゃなくて松田に連絡をしたということ。
ヒロが俺の幼馴染みだと彼女は知っていたし、何かあればヒロに連絡すると思っていた。だからこそヒロ以外には何もまだ伝えていなかったんだ。
まぁでも思い返してみたら、松田と1番仲良かったな、アイツ。
『・・・・・・ろ?零?聞いてるのか?』
「っ、悪い。面倒かけてごめんな、ヒロ」
『あの感じだと今からなまえちゃん、お前に会いに行くと思う。一応△△駅の方のアパートの住所教えてるから』
「助かるよ、今から俺もそっちに向かう」
ヒロが松田に教えたのは、公安が用意してくれたセーフハウスのひとつ。
本宅を教えるわけにはいかないから。
『・・・・・・なぁ、零。本当にいいのか?』
「もう決めたことだから」
気遣うようなヒロの声に、被せるように言葉を投げるとそのまま電話を切った。
公安として、とある組織への正式な潜入捜査が決まった。
期間も分からない。危険だってある。
それに彼女を巻き込むわけにはいかなかった。
そうだ、もう決めたんだ。
まるでそれは自分に言い聞かすような言葉だった。
*
セーフハウスに向かい、用意しておいた女性用の靴を玄関に置く。
5分もしないうちに玄関のチャイムが鳴った。
生活感のないリビングをぬけ、浴室のドアを開けると勢いよくシャワーを流す。開けっ放しにした浴室からシャワーの流れる音が響く。
玄関のドアを開けると、そこには真っ赤に目を腫らしたなまえがいた。
「っ、零くん・・・、急に来てごめん・・・。引っ越してたなんてか知らなくて・・・」
「話してなかったからな。余計な心配かけて悪かった」
「連絡なかったから、何か事件に巻き込まれたのかなって思って心配で・・・」
震える声で話すなまえ。そんな彼女に冷たい言葉を投げかけるのは、まるで自分で自分の首をじわじわと締めているような感覚だった。
今すぐ抱き寄せてやりたいのに、それをすることかできない。
まるで心と身体がバラバラになったような感覚。
玄関に転がる靴と、シャワーの音に気付いたなまえの瞳が揺れる。
「・・・・・・私の何がダメだった、のかな・・・」
「なんか疲れたんだよ、なまえと一緒にいるのに」
嘘だ。
そんなこと思ったことは1度だってない。
「っ、」
「仕事で忙しいのに連絡するのも面倒臭いなってずっと思ってたし、飯作って待ってられるのも重い」
なまえからの連絡があるだけで、どんなに疲れていても前を向くことができた。
「おかえり」って迎えてくれるだけで、張り詰めていた心が癒えたんだ。
「だからもう別れよう。こうやって俺のこと探すのも、もうやめてくれ」
大切だから。
何よりも大切な君だから。
危険に巻き込む可能性がある以上、俺の傍には置いておけないんだ。
嫌いになってくれていい。
恨んでくれていい。
ただなまえの記憶の片隅に、どういう形であれ残りたいというのは俺の自分勝手な欲求でしかない。
「ねぇ、零くん」
「・・・・・・何だ?」
今にも泣きそうな顔で、俺を見上げるなまえは下手くそな笑顔を作る。
「今までありがとう。零くんにはしんどい思いさせちゃったかもしれないけど、私は幸せだったから」
俺だって・・・・・・、
幸せだった、と伝えられたらどんなに良かっただろうか。
大嫌い、最低だと、罵ってくれたらまだ少しはマシだったのかもしれない。
でもなまえは、恨み言のひとつもぶつけてくることはなくて。それどころかむしろ・・・・・・、
「零くんが無事でよかった。こんな時間にホントごめんね」
踵を返して去っていく後ろ姿を追いかけて、今すぐ抱き締めたかった。
嘘だと、今でもお前のことが、お前しか好きじゃないと言えたら・・・っ・・・、
勢いよく閉まったドア。流しっぱなしにしていたシャワーを止め、路地に面した窓からそっと外を覗く。
せめてもう1度だけ、なまえの姿を目に焼き付けておきたかったんだ・・・。
「・・・っ、」
薄暗い路地。ぼんやりとした街灯の下で、涙を流すなまえの姿。そしてそんな彼女を抱き寄せその涙を拭っていたのは、松田だった。
松田は、何だかんだ面倒見がいいし優しい奴だから。
きっと彼女を心配して、ここまでついてきたんだろう。
頭ではそう分かっているのに、今すぐ2人を引き離したい衝動に襲われる。
例え大切な友人だったとしても、他の男がなまえに触れることが許せなくて。
「・・・・・・自分勝手にも程があるな」
ずるずると壁に背中を預け、膝を抱え座り込む。
生活感のない部屋に、ひとりきり。
嘲笑混じりのそんな言葉が静かな部屋に響き、溶けていった。
どれくらい時間が経ったんだろうか。
鍵をかけていなかった玄関が、ガチャリと音を立てて開いた。
なまえが戻ってきたのか、なんてありえない幻想を抱き顔を上げる。
「・・・・・・そんな顔をするんだったら、ちゃんとなまえちゃんに事情を話せばよかっただろう」
「ヒロ・・・、」
「零のことだから、1人でまだここにいる気がしてさ」
ヒロはそのまま俺の隣に腰を下ろした。
そして何も言わず、ただ隣にいてくれた。
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