▽ 1-1
松田と付き合い始めて数ヶ月が過ぎた。
毎日が楽しくて、いつもと変わらないはずの景色がキラキラと輝いて見える。
幸せ≠チて言葉を形にするとこんな感じなのかなって本気で思っていた。
とある土曜日のお昼過ぎ。
松田と会う約束をしていた私は、前日から今日の為に用意しておいた新品の黒のニットワンピに袖を通す。
丁寧に巻いた髪に、買ったばかりのグリッターが煌めく目元。何度かぱちぱちと瞬きをして、鏡の前でにっと笑顔を作る。
うん、文句なしに可愛い。
がっつりと開いた背中を覆うふわりとしたリボンを鏡越しに綺麗に結び、小さめの鞄を手に取った。
向かったのは松田の家。少しでも早く会いたくて、自然と歩くスピードがはやくなる。
頬を掠める少し冷たい風が、秋の匂いを運ぶ。何度も通ったその道は、懐かしい記憶を呼び起こす。
大好きな人の彼女=Bその響きに自然と頬が緩んだ。
次の角を曲がれば松田の家だ。
ちらりと見えたのは、眠そうに欠伸をしながら家から出てくる松田の姿。片手で口元を覆いながら目をしょぼつかせるそのその仕草が可愛くて、声をかけようと口を開く。
「陣平!久しぶりだな」
私が松田の名前を呼ぶより先に、向かいの家から出てきたその人≠フ溌剌とした声が彼の名前を呼んだ。
「・・・っ、」
ネイルを施した長い爪が無意識に握った拳の中で手のひらに突き刺さる。
萩原≠ニ書かれた表札の家から出てきたのは、久しぶりに見る千速さんだった。
ラフな部屋着姿の彼女は、寝起きなのかもちろんすっぴんで。サラサラの長い髪がふわりと風で揺れる。
少し前からひとり暮らしを始めたと、いつだったか萩原が話していた。だからこそこうして彼女の顔を見るのは久しぶりで。
ばくばくと心臓が嫌な音をたてる。
飾り気なんてなくても綺麗な人。私と正反対の・・・・・・、松田が好きだった人。
「こっち帰ってきてたのか」
「ふぁ〜、あぁ、昨日からな。また明日には戻る予定だ」
「相変わらず忙しそうだな」
松田の欠伸が移ったのか、大きな欠伸をする千速さん。そんな彼女を見て、松田は小さく笑う。
なんてことない会話。でも私の心を乱すには、その光景は十分で。
咄嗟に隠れるように角の自販機の影に隠れる。
ずるずると座り込んだ私の耳に聞こえてくる、2人の笑い声。別にご近所さんなんだから、世間話くらいするだろう。
今、松田と付き合ってるのは私。千速さんを好きだったのは、過去の話。必死に自分にそう言い聞かせる。
いつもみたいに笑って「松田!」ってその名前を呼べばいい。
頭ではそう分かっているのに、何故か2人の前に足を進めることができない。
どれくらいそこに座り込んでいたんだろう。鞄に入れていた携帯が鳴る。そこに表示されていたのは、松田の名前。
気が付くと千速さんの姿はなくて、壁にもたれた松田が携帯を耳に当てていた。
「・・・・・・もしもし、」
『どこいんの?お前。待ち合わせ俺ん家の前じゃなかったっけ?』
時計を見ると、待ち合わせ時間を15分ほど過ぎていた。
慌てて立ち上がった私は、そのまま松田に駆け寄った。
「ごめん!遅くなって・・・」
壁から背中を離した松田は、片手に持っていた携帯をポケットに入れるとそのまま私をじっと見る。
ぴくりと歪んだ眉に、鞄を持つ手に力が入る。
その表情に笑顔はなくて、さっきまで千速さんと笑っていたのが嘘みたいだった。
「・・・・・・今日どこ行くンだっけ?」
「新しくできたショッピングモール行きたかったんだけど・・・、嫌?」
駅前に新しくできたショッピングモール。冬服の新作を見たいと言った私に、付き合ってくれると話したのが数日前のこと。
松田は付き合ってから、なんだかんだ言いながら優しい。その優しさは、少し照れくさいけど堪らなく嬉しくて。
でも今の松田は、あまり乗り気じゃなさそうに見えた。
「土曜だし人多そうじゃね?」
「それはそうかもだけど・・・、」
「俺ん家誰もいねェし、家で映画でも見ようぜ」
そう言うと、くるりと踵を返す松田。
慌ててその背中を追いかけながらも、頭の中で嫌な妄想が止まらない。
たしかに松田は人混みが嫌いだ。でも1度約束したものを曲げることはなかった。なのに今日は何で・・・?
無意識に視線が、萩原の家へと向く。
千速さんがいるから・・・?家から離れたくないの?
ううん、それとも私と一緒にいられるとこをあの人に見られなくないから?連れて歩くのすら嫌ってこと?
そんなことを考えていると、今日のために着飾った自分が惨めに思えて。目の奥がツンとなった。
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