▽ 1-1
時刻は十二時前。窓から見える空はもちろん真っ暗。久しぶりの残業、睨み合いをしていたパソコンを閉じると、近くにいた上司に声をかける。
「眠気が限界なのでそろそろ失礼します・・・。お先にすいません」
「あぁ、こんな時間まで悪いな。終電間に合うのか?」
「大丈夫です。部長もそろそろ帰らないと奥様心配しますよ」
「だな。あと少ししたら俺も帰るかな」
しょぼつく目を擦りながら鞄を持つ。ぺこりと彼に頭を下げると、そのまま会社を出て駅に向かう。
ぽつり、ぽつりと街灯に照らされた道。人は疎ら。欠伸を噛み殺しながら、ポケットに入れていた携帯を取り出す。
『仕事終わった。今から帰るね』
見慣れたメッセージアプリを開き、零にメッセージを送る。
もしかしたら彼はまだ仕事中かもしれない。返事がすぐにくることはないだろうな、なんて思っていると携帯が短く鳴る。
『お疲れ。早く帰れたから飯作ってる。帰ったら食うか?』
珍しい。
零からのメッセージに自然と目尻が下がる。
一緒に住んでいるとはいっても忙しい彼。会えない日が続くことだってあった。
それでも零が頑張っているから。仕事も、私のことも、あの人は全力で頑張っているから。
不満になんて思ったことはなかったけれど、こうして帰って彼がいると思うと自然と足取りも軽くなる。
『食べる!ありがとね』
『用意しとく。駅まで迎えに行こうか?』
『ううん、大丈夫。ゆっくり休んでて』
駅に着き、携帯をポケットにしまう。
終電に近い電車の中は、人も少なくて空いていた席に腰かける。
久しぶりの残業で疲れてたのか、ゆるゆると重くなる瞼。こくん、と首が揺れた。
最寄り駅に着く頃には、すっかり日付をまたいでいた。
改札を出ると人はいなくて、自宅へと続く道はしんと静まり返っている。
会社の近くよりも街灯の少ないこの道。一人でこの時間に歩くのは、少しだけ怖かったりもする。
「・・・・・・迎えに来てもらえばよかったかな」
こつん、こつんと、自分のヒールの音が響く道を一人歩き始めるとそんなことを考えてしまう。ぽつりとこぼれた独り言が、路地の暗闇に溶けて消える。
それでも疲れているであろう彼をこんな時間に呼び出すなんてできるわけもなくて。大丈夫、と強がった少し前の私。
そんなことを考えながら角を曲がると、同じくこちらに歩いてきた人とぶつかりそうになる。
「っ、」
そこにいたのは、部屋着のスウェットにTシャツ姿の零だった。
「なんで・・・」
「お疲れ。駅で待ってろってメッセージ送ったの見てないだろ」
くしゃりと撫でられた頭。ポケットから携帯を取りだして、メッセージを確認するとたしかにそこには彼からのメッセージが届いていた。
『もう遅いから迎えに行く。駅で待ってろ』
電車で睡魔と戦っていたであろう時間に届いてそのメッセージ。
彼の優しさに胸の奥がきゅんとする。
「大丈夫って言ったのに」
「俺が大丈夫じゃない。それにお前の大丈夫は嘘が多い」
「・・・・・・だって零疲れてるもん」
「ばーか。変なとこで気遣うな」
するりと私の持っていた鞄を持つと、そのまま少しだけ乱暴に私の頭を引き寄せる。
ふわりと零の髪から香るシャンプーの匂い。少しだけ体温の高い彼の手が心地よかった。
「昔から暗いとことか怖がってたくせに」
「っ、そんなことないもん!」
「素直に甘えれるとこは甘えたらいいんだよ」
そう言うと、にっと笑った零。交わった視線に、どくんと脈打つ心臓。
「・・・・・・ありがとね、迎えに来てくれて」
「おう。次からちゃんと駅で待ってろよ」
「うん。分かった」
昔から零が優しいことは知っていた。
付き合う前も、何だかんだいつも優しい幼馴染みだった。
それでも恋人同士の優しさには、まだ少しだけ慣れなくて。恥ずかしいような、照れくさいような、胸の奥がきゅっとなるこの感じ。
「コンビニで何か買って帰るか?」
「アイス!甘いもの食べたい!」
「この時間に食ったら太るぞ」
「なっ、うるさいなぁ」
「ははっ、冗談だよ。アイス買ってさっさと帰るか」
「うん!」
それでもこの時間が大切だから。
隣で笑う零のことが大切で、どこまでも愛おしいから。
暗い路地に私達の笑う声が小さく響いて消えていく。
ぎゅっと繋がれた手も、笑い合えるこの時間も、この暗闇の特権だから。
それはつかの間の穏やかな時間。丸い月がきらきらと地面を柔らかく照らしていた。
Fin
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