天文世界 42

 ブラックルーンを破壊し真の紋章すらねじ伏せたロゼッタの魔術に、流石に分が悪いとウィンディは悔しそうに撤退した。しばらく彼女が姿を消した場所を睨みつけていたロゼッタだが、ぷつんと糸が切れたように倒れあたりに満ちていた清浄な空気が霧散する。それもそうだ、世界の法則を書き換えるほどの結界など力技にも程がある。魔力の大量消費による反動で気を失ったのだ。
 ロゼッタの意識が戻ったのは、それから丸一日たった竜洞騎士団の医務室だった。目覚めたばっかりの彼女を待ち構えていたのはティルの説教である。気絶するほど術者に負担がかかる技をリーダーにも相談せず、無断に発動させるなど言語道断だ。結果的には皆助かったから良いじゃないかと主張するロゼッタに、更なる雷が落ちたのは言うまでもない。

「でもロゼッタのおかげで俺はテッドを殺さずに済んだ。」

 それは本当に感謝しているとこぼしたティルに、やっぱり自分の選択は間違っていなかったと彼女は思ったけれど。
 ともかく残りの薬の材料が集まるまで安静にするよう言われたロゼッタは、しばらくテッドともに医務室で過ごすことになった。本当はこの間にクワンダやミルイヒのときと同じようにテッドのブラックルーンの後遺症を治そうとロゼッタは考えたものの、周囲やテッド本人の制止によってそれは叶わなかった。魔力の枯渇で倒れた人間にそんなことさせるわけないだろう。この少女、全くこりていない。
 しかし言われるがまま休み続けるのも退屈だ。

「テッドはさ、私の特異性を知っててティルを私に任せたの?」

 だから彼女は以前から引っかかっていた疑問をテッドにぶつけたのだ。

「ああ、その通りだよ。」

 そしてテッドもそれを否定しなかった。

「ずっと昔、それこそ150年ぐらい前だな。ロゼッタと同じような境遇の奴とあったことがあるんだ。」

 その少女と出会ったのはここから遠く離れた群島諸国である。罰の紋章を持つ少年と共に歩む彼女もまた、お人よしでお節介な少女だった。どんなトラブルにあっても最後は笑って許す彼女に苦労するタイプと感じたのは今でも覚えている。
 そして彼女もまた紋章を軽減、あるいは無効化する力をもっていた。それでもテッドが彼女と共にいることを選ばなかったのは、ソウルイーターが彼女を食い殺さないという確信が持てなかったためだ。ソウルイーターは狙った獲物を喰らうためならば手段は選ばない。大丈夫だと思った存在が己の紋章に食われたら今度こそテッドの心は壊れてしまう。それにテッドはウィンディに追われている身であり、その問題に彼女を巻き込むわけにはいかなかった。何よりようやく紋章から許しを得た少年から少女を奪うようなことはしたくなかったのだ。

「テッドは私の時間が止まっていることには気づいてた?」
「何となくな、あいつもそうだったから。」

 意識してみれば半年もあれば彼女の髪や爪が一定以上の長さから伸びていないことは容易に気が付くことだった。本人は魔術で維持していると周囲に言っているらしいが。(実際彼女の魔術の多様さを考えると出来そうである。)

「だから俺はお前にティルを託したんだ。」

 テッドが紋章を託したせいでティルがこの先悠久の時を生きなければならないことはやはり心残りだった。そしてその旅路はとても困難であり孤独なものである。その苦しみは誰よりもテッドが知っていた。
 だからその悲しみが少しでも減ればいいとロゼッタにティルのことを託したのだ。彼女だってソウルイーターに食い殺されないという確証はないことも分かってて。

「ティルのことばっかりでお前のことも考えてやれなくてごめん。」
「別にいいよ。テッドに言われなくたって、私もティルを一人にする気なんてないし。」

 気にするなと笑う彼女に、容姿は全く異なる群島で出会った少女の姿と重なった。

「元の世界に帰りたいって思わないのか?」

 それはありふれた質問のようで、今まで誰も聞けなかった疑問だった。
 この世界に来てから一度たりとも元の世界に帰りたいとこぼさなかったロゼッタだが、故郷に何か嫌な思い出があるわけではない。むしろセピア色の思い出は彼女の心を温かくさせたし、残してきた家族や友人に全く心残りがないと言ったら嘘になる。
 しかしそう簡単に帰れるわけではない以上、彼女にまず求められたのはこの世界に順応することだった。グレッグミンスターにいたころティルやテッドに色々教えを乞うていたのもこのためだ。
 そうして帝都を飛び出した今の結論は元の世界に戻れないというものだった。事故でなければロゼッタに世界線を超えるなどできないし、意図的に事故を起こそうものなら今度こそロゼッタは死にかねない。ルックによればレックナードは世界と世界をつなぐ真の門の紋章を持っているそうだが、きっとそれすらも彼女の魔力は弾いてしまう。
 その事実に気が付いた時ロゼッタがショックを受けたのは言うまでもない。しかしそれを口に出して取り乱すようなことはしなかった。切り替えの早い彼女は物わかりもいい。今ではそういうものかと受け入れた。

「この世界にも私の居場所はあるから寂しくないよ。」

 そう思えたのもティルやテッド、解放軍の皆と出会えたからだ。こちらの世界とあちらの世界、どちらであれ彼女は1人ではない。それならロゼッタは今を選ぶだけだ。

なぞる影法師
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