03





煤と灰だらけの体を洗い流して服を着替えればナマエはやっと本来の美しさを取り戻した。ほっそりとした体に長袖パフスリーブのワンピースを着て玩具のような小さな靴に足を通す。真っ黒だった肌は嘘のように白く透明で、リナリーと同じさくらんぼのような唇が艶々としていた。ナマエは洗い流したダークエメラルドの髪を器用に結い上げ、また団子を上に乗っけると共に団子の横に花飾りを挿し込んだ。淡い、薄桃色の蓮の花だ。

二年前、大事にしていた蓮の花が枯れてしまい落ち込んでいた自分に母が息を引き取る前に作ってくれたのだ。造花の花飾りだが、大事にしていた蓮の花が返り咲いたように感じられてすごく嬉しかった。大事な人からもらったそれを母が作ってくれて、二重にそれが大事になった。

さっぱりとしたナマエの姿に夕飯の準備をしていたリナリーが振り返った。部屋全体に甘い野菜の香りがする。これは、南瓜だろうか。


「いい匂い。南瓜スープ?」

「うん。兄さんが作った馬車、この前ナマエが品種改良したオバケ南瓜の中身をくり貫いた奴で、キッチンに南瓜がたくさんあったから。」


当分南瓜料理よ、と苦笑したリナリーにナマエも笑った。(どうやら兄の残念な天才の血はナマエにも流れているらしく、ナマエもナマエでそれなりに変なものを作り出していたがこちらはだいぶ使い道があるため幾分リナリーを困らせてはいない。)


「あ、そうそう。」

「なぁに?」

「手紙が着てるのよ。」


お玉片手にリナリーは火を止めて真っ白なエプロンのポケットから一枚の紙を取り出した。没落貴族となってからは滅多に見ることのなくなった羊皮紙だ。ナマエは珍し気にその紙を受け取り文字を追った。決まり文句の挨拶である上文を軽く流し読むと、紙にはこう書かれてあった。


「……舞踏会?」

「そ。これ、お城から。」

「…本当だ。」


またリナリーのエプロンから出てきたのは封蝋のされた封筒。開けた痕を見ればこの羊皮紙が入っていたのだろう。手紙の最後には間違いなく城から来たという、王族からの判子が押してあった。手紙にはこう記されてあった。


「王子の帰国祝いにお城で舞踏会、ねぇ…。」

「年頃の娘は全員出席ですって。」

「…………………。」

「…………………。」

「これなんて合コン?」
「これなんて合コン?」


ナマエとリナリーは馬鹿らしい、とばかりに手紙と封筒を机に投げて椅子に座った。同じ顔が眉を寄せて少し不機嫌そうにしてある。


「リナリー、うちの王子ってなんだっけ。」

「あれよ。適齢期になっても結婚しないって噂の。」

「あぁ、二年前外国に勉強にしに行くって言ってそれ帰ってきた時お前ハタチじゃね?って王子ね。」

「そうそう。」

「なんだ、外国で結婚相手掴まえてくるのかと思ってた。」

「どうだか。こんなパーティー開くような男に相手ができるかしら。」


嘲笑。
のち、溜め息。


「大丈夫かな、この国。」

「年頃の娘は全員出席よ。顔見に行く?」

「冗談。行くにしてもドレスないし。」

「売っちゃったもんね。」


金になるものは全部売り払った。家具や食器、ドレスなんて一番最初に売り払ったものだ。もともと社交界デビューはしたもの社交界に興味のなかった二人はドレスなんてあってもあまり意味はなかった。そうクスクス笑っているとナマエの次に体を洗ってきたコムイがやってきた。


「なになに?楽しそうだね。」

「兄さん、これ。」

「お城から手紙が着たの。」

「…お城から?」


一応家の跡取りとなる予定だった兄の顔が城という言葉で一瞬険しくなるが、目でその文字を読むと手がぷるぷると震えだし、羊皮紙を破かんばかりに声を上げた。


「け、けしからーんっっっ!!」

「あぁ兄さん駄目よ。それ鍋敷にしようと思ってたんだから。」

「煙突掃除人呼ぶお金あったら鍋敷買おうよリナリー。」


コムイが鍋敷になる予定の羊皮紙を破くのをなんとか取り抑えて、羊皮紙を中心に三人で小さな机を囲んだ。三人で座るには小さな机だが、昔のロングすぎるテーブルよりはいいかもしれない。リナリーが椅子を引いて更に距離を縮めた。


「舞踏会だって。どうする?」

「没落貴族の私達への冷やかしかもよ。」


そうナマエが言えばコムイが首を振った。


「いや、他のダンスパーティーとかならともかく、王宮からならそれはないと思うよ。」


確かに。これまで何度か貴族から馬鹿にしたようなパーティーの招待状が何通も届いたが(シーズン中は本当に酷かった。)王宮からはまったく来ない。やっぱり王宮だからか、それともそんな嫌がらせに参加する暇などないのか。お城は品のあるところだよ、とコムイは苦笑した。ならこの招待状は一体何なのか。


「じゃぁ、やっぱ王子の合コン?」

「いやぁ〜あの子に限ってそれはないと…」

「あの子?」
「あの子?」


何処か知ったように言うコムイの台詞に二人は「兄さん王子知ってるの?」と声を合わせた。


「一応城勤めする予定だったからね。話ぐらいしたことあるよ。」


ま、予定で終わっちゃったけど。と笑うコムイにナマエは口を閉じた。兄さんは、兄は、確かに残念な天才だが、天才であるのは変わらない。きっと流行り病など無かったら、兄は王子の片腕になっていたに違いない。そう少し残念そうに肩を落としたナマエにリナリーの声がかかる。


「ナマエ、舞踏会に行ったら?」

「えぇ!?」

「だってナマエ。」


す、と頭を指差され、ナマエの心臓はトクンと鳴った。


「蓮の花の人、いるかもよ。」

「は、蓮の花の人だなんて…」

「えっ!?誰!?紫のバラの人!?ガラスの仮面!?」


まだナマエ達が城の出入りを許されていた頃、水瓶を抱えた女神像の噴水に腰掛け、蓮の花を愛でていた黒髪黒目の男の人がいた。城にいる人とは思えない程無愛想な人だったが話し掛ければ一言ながらも返してくれるし、上辺だけ付き合う貴族の男達とは違う一匹狼みたいな雰囲気は社交界で疲れた自分には付き合いやすかった。今日はいい天気だとか、蓮が綺麗だとか、そんな話を楽しくしていた。腰に剣を下げていたからきっと騎士なのだろう、無愛想だが、一緒にいて心地よいと思う、大事な人だった。

そんな彼からある日、蓮の花をもらった。目の前で蓮の花をぶちぎり、水も拭かずに押し付けるように渡された花だが、彼からの贈り物に自分の心臓はとくとくと高鳴った。嬉しくて、嬉しくて、ありがとう、とそう言葉を紡ごうとした瞬間、唇が重なった。

次の日、父が亡くなった。
それ以来から城に行っていない。正確には、行けなかったのが正しい。父が亡くなって母もその後を追って、兄が忙しく身元を回るのをリナリーと一緒にこれからどうなるのかと身を寄せ合っていたのだ。

彼はどうしているだろうか。急に消えた自分の事など忘れているだろうか。…それとも忘れる忘れないと考えるまでの存在に至っていないかもしれない。


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