17(2/2)
「さて神田様。」
引き摺り込まれたティモシーを見送り、その場に神田とナマエの二人が残ると、思い出したかのように神田に変な沈黙が……流れなかった。そう言えば『仲直り』をするつもりだったのだ、と喉を上下させるも、振り返られた顔にはふわりとした笑顔があって。
「お腹すいたでしょう?もう夕食になってしまうけど、少しお腹に何か入れる?」
「…そう言えば、今日は何も喰ってない。」
「えぇ?」
怒ったり、恥ずかしがったり、笑ったり、驚いたり、目の前で表情をころころ変えるこの女性に先程言葉一つで動けなくなったとは思えない。しかしあの逆らえない声と目は間違いなく彼女が発したものだった。どんなに姫らしくなかろうが、この人は姫だ。国を思い、民を思い、次代を思う。世間から見捨てられた奴でさえ、思う。
「どうする?いっそ夕食まで我慢してみる?」
くすくすと笑う姫の声が耳の奥を擽り、思わず耳を掻きたくなった。神田はそう言えば、と果物屋の夫人からもらった林檎をナマエの目の前にさし出した。握りっぱなしだったから手の中で少し温かくなってしまった林檎をナマエに渡す。
「これは…?」
「もらった。」
「………。」
差し出されたそれを両手で受け取ったナマエの手に、林檎の温かさが伝わる。これは多分、いや絶対あの果物屋の林檎だろう。ナマエはそれを手の上で転がしながら、伝わるその温かさに夫人と神田の想いを受け取った気がした。どれだけこの林檎を握っていたのだろう。もらった林檎なんて、道中で食べてしまえば良かったのに。何も食べていないのなら尚更…。しかしそれをせず、神田は気まずそうに自分から視線を外して、何か言いたそうに言葉を探しあぐねている。
そんな神田をちらり見上げて、ナマエは静かに口元を緩めた。
(あぁ…、本当に不器用な…。)
――お優しい方…
「姫…、あの時は、悪かっ―――」
「なんのこと?」
気まずそうに頭を垂れた神田に、ナマエは微笑んで首を傾げた。まるで、先程の事なんて無かったとでも言うように。
「この林檎、夕食が終わった後にティモシーと三人で食べましょう?」
林檎を顔の横に持っていき、ふわりと笑ったナマエの表情に、屋敷に着くまであれこれと考えていたことが全て吹っ飛んだ気がした。
(…この人は……。)
そして気付く。自分の胸内にある感情が芽生えている事に。
一言で自分の剣先を揺らせ、微笑み一つで全て許す彼女を、もっと知りたいと。彼女という人物を、知りたいという感情が人知れず芽を咲かせている。興味という言葉では物足りなく、好意と呼ぶにはまだ幼い。この感情は。
「屋敷に戻りましょう?私も着替えなきゃ。」
「……そうした方がいい。顔に土が擦れてる。」
「嘘…!ちょ…っ、なんで今更言うのよっ」
小さな両手で小さな頬を押さえて頬を染める女性に神田は口端を上げる。可笑しい。姫であろう方が顔に汚れを作って。
姫の手からぽろりと落ちそうになった林檎を難なく受け止めて、神田はそれを袖口で拭く。何してるの?と首を傾げたナマエに、神田は林檎を目の高さに持ち上げて意地悪く笑ってみせた。
「良かったな。林檎に土はついてないようだ。」
「なっ!」
その言葉にナマエは林檎と同じくらいに頬を赤くし眼を釣り上げ、神田の腕を叩く。
「神田様って意地悪ねっ」
結構力一杯に叩いたつもりだが、流石軍人。神田には何ともなかったらしく、今だ意地悪く笑う神田にナマエは唇を尖らせつつも、やっと彼の表情を見れたような気がして、力なく笑った。
そして、
「神田様、」
先程叩いた腕に手を置いて、踵を上げた。
ナマエの顔が神田に近付いたと思った瞬間、訪れるのは神田の頬に、柔らかな何かが触れた感触。
「あの時守ってくださってありがとう。本当は嬉しかったわ。」
それから自分に負けず劣らず意地悪っぽく笑う姫の顔。
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