18





アレン王子の私室いっぱいに香る芳醇な匂いにラビは何だろうと鼻をすんと鳴らした。濃厚な甘みを含みつつ少し生臭くも感じる癖のあるこの匂いは。


「王子。何この匂い、マンゴー?」

「ええ、エスメラルダマンゴーですよ。一口だけなら食べていいですよ、一口だけなら。」


ライティング・テーブルの椅子に腰掛けるアレンはラビに宝石のように瑞々しく輝くマンゴーが乗った皿を差し出し、一口の部分を強調した。ラビはそれに苦笑しつつもなるべく小さめな一切れを選び口に含んだ。


「うわ、すげぇ…、すっごい濃厚。超甘い。」

「えぇ、そして普通のマンゴーより臭みが少ない。」

「うんうん。美味い。」


口の中に広がる強い香りにラビは思わず口に手を当てる。歯を押し返すような果肉の弾力、マンゴーという割には少ない臭み、いやむしろ鼻の中を通っていくような芳醇な香り、舌触りの良い、濃厚な甘み。これが豊穣の国エスメラルダのマンゴーか、と高級果物店でしか見たことのないそれを見詰める。本音を言えばあともう一切れ、いやもう二切れぐらい食べてみたいのだが…この王子の前ではきっと駄目だろう。ラビは名残惜しげにそれを見詰めつつも王子の机に腰掛ける。


「これが届いたってことは、その手にあるのはユウの報告書?」


椅子に腰掛けているアレンの手には数枚の紙、机には開封された封筒があった。そしてエスメラルダ産のマンゴーがそこにあるということは、とラビが笑ってみせたがアレンは読んでいたはずの手紙を薄く笑ってラビに手渡した。


「確かにマンゴーを送ってくれたのは神田ですが…。この花柄の便箋は違う方からですよ。」

「ありゃ?…何々…。エスメ、ラルダ……ナマエ姫じゃん!!」

「はい。知らせの便りもなく神田がエスメラルダに来てとても驚いている、どういう意味だ、という内容でした。」

「…俺には文面から姫が怒ってるように見えるケド。」

「嫌だなぁラビ。僕はあちらの姫様が僕の国にしたことをしただけですよ?」

(この人、勝手に国に来たことすっごい根に持ってる…!!)


花柄の可愛らしい便箋につらつらと書かれている文字は女性らしく綺麗な文字で丁寧に書かれており読みやすかった。最初に決まり文句の挨拶、そして神田がエスメラルダに来て大変驚いた、普通知らせを寄こすべきだ、とアレンが言っていたような言葉が書かれてあったが、二枚目になると神田をちゃんと持成していること、神田がエスメラルダで一日どのように過ごしているかなど事細かに記されてあった。


「なにこれ。ユウが学校で子供と遊んでくれてるとか…ウソっしょ。」

「馬で遠乗りに出掛けたとか。」

「俺ら意外に友達とかいないクセに。」

「野菜の収穫を手伝ってもらったとか。」

「ユウが土いじりとか想像したくないんだけど…。」


とにかく、ここで軍人として過ごしている神田からはまったく想像もできないことばかり書かれてあった。神田は見た目も然ることながらも戦闘スタイルも『一匹狼』という言葉がよく似合う男で、クールな眼差しで人を寄せ付けず辛辣な言葉で人を払い愛刀で邪魔する奴をぶった斬るという男だ。自分にも他人にもストイックな性格を持つ彼だがそんな彼を隠れ慕う人は男女問わず少なくない。そんな男が…学校で子供の面倒をみ、一人以上で遠乗り、そして野菜の収穫。一体エスメラルダでどんな生活を…。あんま想像したくねー、とラビは読みかけの手紙をアレンに返し足を組み直した。


「でもさ、遠乗り行くくらいだから二人はイイ感じになれたってコト?」

「さぁ…?この手紙には神田がエスメラルダでいい待遇を受けてるってことしかわかりません。」


背凭れに凭れかかったアレンは肘掛けに手をついて銀灰色の瞳を細めた。


「まあでも、」


そして楽しそうに薄い唇に弧を描きクスリと笑ったアレンにラビは微かに背筋を凍らせた。


「神田にしては上出来でしょう。」


本当、この方はいつも何をお考えなのか―――。



††††††



加減が難しく利き手ではない方の手で相手はしているものの、やはり軍人と子供。軽く去なしただけで小さな体は吹っ飛んでしまった。しまった、とは思うけれどすぐに起き上がって向ってくる姿勢を見るとまだまだ強くやってもいいのだろうかと思ってしまう。


「踏み込みが甘い。」

「く、くそう…!」

「お前は腰がひけてる。そっちのは木刀に頼り過ぎだ。」

「うおおおおっ!」


子供用の短い木刀を握り直して子供達はまた神田に向かってくる。振りかぶりの際に脇が大きく開き隙だらけは隙だらけなのだがここ数日でそれなりに形にはなってきている、と神田は向かってきた子供達を振り払った。その動きは風のように軽く一切の隙がない。また先程同様草むらにごろんっと尻もちをつく子供達に神田はふと我に返る。


(俺は他国の学校で何やってんだろうな…。)

「だーっ!神田様強いよ!手加減してよっ」

「手加減したら訓練にならないだろ。」

「うわ、大人げない…」

「あ?」

「な、なんでもないよ!」


ティモシーが学校に行くことになって数日が経った。ティモシーは登校初日から寝坊をしでかしバイトに出掛けなくてはならないナマエが神田に「ティモシーを学校に送って!」と頼んだのが端緒である。取り合えず馬でティモシーを学校に送り付け、戻ったところを「手が空いてるならこっち手伝ってくれませんか?」とパトリシアに掴まり屋敷の菜園収穫を手伝い、姫がバイトから戻れば「遠乗りに行かない?帰りはティモシー拾って帰りましょ。」と遠乗りが目的なのかティモシーを迎えに行くのが目的なのかよくわからない遠乗りに出掛け、学校に着けばナマエは子供達に囲まれ、その横に立ってる神田も必然的に子供達に囲まれるようになり、ナマエが子供達と遊び始めたのをぼけっと眺めていたら子供達の中でも割と歳が上の男の子達に囲まれ木刀を握らされいつの間にかこんな事になっていた。ちなみにティモシーは勉強の遅れを取り戻すためと寝坊した罰のためまだ先生から解放されていない。つまり居残り勉強だ。今日で何回目だろうか。


「待ちなさいティモシィィ!!!」

「ベンキョーなんかしなくたって死なないもん!!!」


…こうして学校の教師であるエミリアに追っ掛けられてるティモシーを見るのは。その向こうではナマエがのほほんと女の子達と手遊びをしていて、またか、と神田は嘆息し目の前を走り去ろうとするティモシーの首根っこを掴んだ。


「っだー!?放せー!!」

「うるせぇ、早くお前が今日の分やんねぇと帰れないんだよ。」

「あー!神田様オレらから逃げるのかー!」

「駄目だぞー!俺らが神田様を倒すまで帰さないからなー!」

「…一生かけても無理だから安心して帰れ。」

「なんだとー!」

「はーなーせー!!」

(…うるせぇ……。)


一体どこから出してるのかわからない小さな体から出るキーキーとした声に神田は眉を寄せ、肩を怒らせこちらへとやってきたエミリアにティモシーを投げた。


「いい加減にしねぇと本当に椅子に縛りつけるぞガキ…!」

「…………あい…。」

「さ、戻るわよティモシー!」


神田の一言に人形のように動かなくなったティモシーをエミリアが抱えそのまま赤い屋根の校舎へと戻っていくのを見送ると先程まで女の子達に囲まれていたナマエが横に立っていた。


「神田様。」

「姫…。」

「そろそろ帰りましょうか。」

「は、…アイツは?」

「ティモシー、今日はアリサの所の手伝いよ?」


アリサとは、ティモシーが手伝っている酪農一家の嫁の名前だ。ちなみにエスメラルダでナマエと再会した時に行った場所でもある。
ナマエの「帰る」という言葉に子供達は一斉に「えー」と不満そうな声を上げたがナマエがにっこり微笑んで「また来るわ」と言うと子供達は渋々ながらもナマエと神田に手を振る。先程剣の稽古もどきをしていた男の子達も神田に「次は絶対に負けない!」と口々に言って見送ってくれた。学校の敷地を出て適当な木に繋いでいた馬の手綱を取って、馬に跨ったナマエに首を傾げた。


「なら、どうしてここに…?」

「あら、デートよ。」

「でっ…」


微笑みを深くしたナマエに言葉が詰まったが、よく考えてほしい。百歩譲ってこれがデートというのならデート場所に学校を指定するだろうか。いくら色恋沙汰に疎い神田でもわかる。学校で子供と戯れる(しかも別々に)のはデートでは、ない!だがしかし。


「神田様が来るとみんな喜ぶのよ。」

「…………」



嬉しそうに笑うナマエに神田はどうも否定の言葉を見失う。それにどこかむず痒い感じだ。ひらりと馬に跨ったナマエに続いて神田も馬の乗り、二人並んで馬を進ませた。


「神田様、この国には慣れた?」

「はぁ…なんとか。」

「そう。」


慣れた、というか慣れさせられたに近い。この国に来て、色んなものを見て、感じて、学んでいる。マナにはない、この国だからこそあるもの。緑の青さや空の色、温かい人、それを守る姫。この国にいれば自然とわかる、身に付いてしまう。この国というものが。


「先日マナに送った特産品、ちゃんと届いたみたいよ。」

「ああ…、ありがとう、ございます。」

「どういたしまして。それでね、今日朝一で手紙が届いたわ。」

「手紙?」

「貴方の主君からよ。」


先程の微笑みから少し悲しそうに笑って見えた姫から手紙を渡された。馬上で受け取ったその手紙には、見慣れたマナ王国の印が封蝋としてあった。




聞こえてきた、


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