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渡された林檎を握りしめて、神田は屋敷に戻っていた。門扉を軽く押せば、何処からか(本当に何処からか)メイド長のパトリシアが「あらお帰りなさいませ神田様。」と出てきて、もうそれが主旨ではなくなってしまったが本来はこれが主旨だった頼まれたものが入った買い物籠を渡せば、「ありがとうございます、ナマエ様ならもう戻っておられますよ」とにっこり言われて、本当にこの女は苦手だと思った。(誰のせいでこんな事になったんだ…)(お前がお使いなんて頼むから…!!)買い物籠を受け取ったトリシャはすぐにまた何処かに行ってしまい、神田は本当に客人に対して扱いがない所だと溜息を吐いた。(まぁ、これぐらいが自分にはちょうどいいかもしれないが。)溜息を吐いた後、もう一度気を引き締めて神田は屋敷の扉に手をかける。姫と、『仲直り』を。
「わーっ!釣り目のあんちゃんそこどいてー!」
「は…?」
扉を開けるとまるで弾丸のように飛び出してきた子供に思わず体を避ける。通りすがれた風が神田の髪を揺らして、走り抜けた子供、あれは…。
「あ!神田様!ティモシー!ティモシー掴まえて!!」
「は…!?」
また神田の髪が揺れて、目の前を通り過ぎた女性に目を疑う。スカートの裾を持ち上げて大股で走り抜けたあの女性…。
「ぎゃーっ!」
「掴まえたティモシー!もう逃がさないんだから!」
掴まえるな(正確には剣をおさめろだが)と言われたり掴まえろと言われたり。一体何がどうなっているのだ、と門扉を抜けた先で地面に寝転がり子供を逃がさないと押さえ付けている姫と子供に頭痛がする。
「姫…何を…」
「駄目よティモシー!逃がしてやんないんだから!アンタは学校に行くのよ…!!」
「勉強をするくらいなら一日働いてた方がいいーっ!」
「姫…、」
「あたしだって勉強大嫌いだったけど、これは子供誰しもが通る道なのよ!忍耐を鍛える修行なのよ!」
「放せー!!!」
「………」
あられもない、なんて言葉では言い表せない。年頃の女性が身格好も気にせず地面に寝転がり子供を押さえて付けている。『これ』が自分と縁談の話があがっている女性なのだから泣きたくなる。のは、普通の男の感想だろう。
神田は嘆息して揉みくちゃの二人の元へ行き、先程見た時よりもこざっぱりした格好の方の首根っこを掴んで持ち上げた。
「うおーっ!放せー!」
「神田様!ありがとう…!」
「礼はいいので取り合えず衣服を整えてください。」
それで今の自分の格好に気付いたのか、起き上がったナマエははっとした後慌てて服を整えた(もちろんその間、神田は視線を外した)。着替えたのであろう、せっかく身の丈に合った服は先程の乱闘(?)で汚れてしまっていて、子供の土臭さは抜けていない。
「で、何してたんですか…。」
「え?」
乱れた髪を手櫛で整えて、髪を耳にかけたナマエに神田は溜息交じりに聞いた。これが姫…というよりも年頃の女なのかと疑いたくなる。というか疑う。
「ティモシーを学校に行かせるという話をしてたの。そうしたら、」
「勉強なんて嫌だーっ!一日こき使われた方がマシだー!」
「ってこと。」
「つまり…どういう事ですか。」
話がまったく見えない、と言った神田にナマエはやっと事のあらましを言った。ティモシーを屋敷で住まわせること、先日行った牧場でティモシーが世話になること、そしてティモシーを学校に行かせること。どれも先程林檎を盗もうとした子供にさせることではない(衣食住を保障して仕事を与えてやるなんて、誰もが羨む)。
神田は姫から首根っこを掴んで手足をぷらぷらしている(正確にはさせている)ティモシーに目をやる。
「お前はそれの何が嫌なんだよ。」
「べんきょう!」
「ガキの本業だろ。」
「ずっと座って大人しくなんてできないんだよ!」
「椅子に縛りつけてもらえ。そしたら強制的にずっと座ってられるぞ。」
「ああ!いい方法ね、それ!」
「鬼ーっ!人でなしーっっっ!!」
この人の何処が人でなしだ、と言いたくなる。盗人に食うところ住むところ与えて学校まで行かせてくれるというのだ。それがしたくても出来ない孤児がマナで一体何百人いるか。それを与えてくれているのだ。人でなしなんてとんでもない。(ティモシーの場合、そんな意味で言ってるわけではないが…。)
「話はまとまりましたか。」
未だ「放せー!」と暴れるティモシーにそろそろそこら辺の草っ原に投げてやろうかと思った時、屋敷から頃合いかとばかりにトリシャがやってきた。
「姫様、そこの坊ちゃんの部屋用意しておきましたよ。」
「ありがとう、あとはトリシャに任せるわ。」
「は!?え!?」
「かしこまりました。さ、坊ちゃん、部屋に案内したら厨房を手伝ってもらいますよ。」
「は!?俺牧場の手伝いじゃないの!?」
「ここに住む限り、屋敷のことは手伝ってもらいます。」
「なっ…!」
「この屋敷では私が法律です。従ってもらいますよ。」
にっこりと笑っているに関わらず背筋をひやりとさせるパトリシアの笑みに神田は思わず愛刀の位置を確認したくなった。そして腕を引っ張られて屋敷へと連れ込まれるティモシーを見送って、改めてあの女は苦手だ…と再認識した。
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