人間



目の前でふらふらと揺れるそれに私は飛び付く!飛んでく!なんの!飛び付く!飛んでく!飛び付く!飛び付く!私の手は掴みきれなかったそれにぱふぱふ鳴って、ご主人様が鼻で笑った。


「お前トロいな。本当に猫のハーフか?」


ハーフ、とはハーフアニマルの略語だ。ご主人様は私の事を獣人とは言わない。そもそも獣人という言葉は既に獣人奴隷禁止法が発布されてから差別用語だ。それでも獣人という言葉はまだ使われている、というより大半の人間がそう呼ぶ。でもご主人様は言わない。ご主人様は、獣人奴隷には反対の方なのだろう。優しい人、だもん。


「ほら、猫のハーフなら猫じゃらしぐらい掴んでみろ。」


…うん、優しい…。


「猫じゃらしに遊ばれてんぞ。」


やさ、しい…。


「はっ、脇がガラ空きだ。」


やさ、しいかな?




たしっ、と猫じゃらしを掴む事ができたのはそれから10分後の事だった。ご主人様は既にソファに座ってテレビを見ながら猫じゃらしを振ってて、私はそれに食らい付く感じだった。そしてご主人様が欠伸をした時に、私は猫じゃらしをたしっと仕留めたのだ。ご主人様仕留めました!そう顔を上げればお風呂のお知らせタイマーが鳴った。


『お風呂が沸きました。』


「…風呂か。」


お風呂です。ご主人様、お風呂が熱い内に入ってください。


「お前先入るか?」


と言われて私は首を傾げた。
何を、言ってるのだろうこの人は。獣人が人間より先に風呂に入るわけがない。入れるわけがない。昔から決まっている。獣人は風呂に入れたとしても人間の後に風呂に入る。獣人は、汚い、から。だから、お風呂は人間が先、でしょ?


「あぁ、猫だから熱いのは嫌か。」


熱いのは、確かにあまり得意ではない。だけど、そういう意味じゃない。そういう意味じゃないですよ、ご主人様。首を振った。ちりん、ちりん。


「ナマエ?」


私は、獣人。
貴方は、人間。

そう、手振りで伝えた。自分の獣耳と尻尾を触れて、自分の胸に手を置く。(私は、獣人。)そしてその手を今度はご主人様に返す。(貴方は、人間。)

そう伝えると、ご主人様の目が見開かれて、空気がガラリと変わったのがわかった。ご主人様が勢いよく立ち上がった。そして私をその切れ長の目で見下ろす。

あ、どうしよう。


「俺は、」


ご主人様を、


「お前を獣人とかハーフアニマルとか、そんな差別はしない。」


怒らせた。


「お前には、」


力いっぱい、腕を引っ張られた。
せっかく仕留めた猫じゃらしが手から滑り落ちる。
痛い程腕を掴まれて、腕が、体が、ご主人様に引き寄せられた。その力強さにご主人様の怒りがわかる。何に怒ってるか私にはわからないけど、怒りの度合いはわかる。いっぱい、いっぱいいっぱい、ご主人様は怒ってる。
苦しい程のこの抱擁は、罰なのかな。


「お前には、俺がそう見えるのか。」


すごく、辛そうな声をご主人様は出した。ご主人様、辛そう。どこか、痛そう。痛いのかな。どこか痛いのかな、ご主人様。私を抱き締める程どこか痛いのかな。でもご主人様、お離しください。私は獣人。きたない、です。
そう腕から出ようと身を捩ると、ご主人様が小さな声で「悪い」と一言言って私を離した。綺麗な前髪でご主人様の表情が見えない。でも、すごく辛そう。


「…風呂、好きな時に入れ。」


そうご主人様は残して、お部屋に戻った。
その後、ご主人様の後に私が入るなんてことはやっぱりできなくて、結局ご主人様が先に入った。

お風呂のお湯は、熱かった。



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