04
「おいリナ。」
子猫よろしく、神田に首根っこを掴まれたナマエを差し出され、リナリーは慌てて受け取った。ナマエはリナリーに受け止められると、まるで幼子のようにリナリーの胸に顔を埋めた。
「…ナマエ、中央庁から帰ってきてたのね。」
「後はまかせる。」
「ま、まかせるって、ちょっと神田っ、ナマエ一体どうしたの…!」
リナリーがナマエをあやすように頭を撫でたのを確認し、神田は踵を返した。中央庁から帰ってきたのを今知ったうえに、何やら落ち込んでいる様子のナマエに何があったのか聞きたいのだが、神田は何も言わずすたすたと何処かへ行ってしまった。そんな神田に溜息し、リナリーはナマエの小さな頭を撫でた。手触りのいい、ふわふわの髪の毛は久しぶりだ。
「ナマエ…?おかえりなさい。迎えに行けなくてごめんね?私も今任務から帰ってきたの。」
「ううん、こっちこそ連絡もなしにごめん。」
「いいのよ。ナマエがいつも急なのは変わらないし。」
中央庁に武者修行に行くと決めたのも急だった。おかげで見送りもできぬまま、知ったのはナマエが本部を去った時だった。
「ナマエ、どうしたの?任務で何か嫌なことあったの?」
リナリーの胸の中でナマエは首を振り、ゆっくりと体を離した。大きな瞳は先程まで泣いていたのだろう、濡れていて、目尻が少しかさついている。団服もだぼだぼのままで、レイヴから戻ったのが窺えた。
「ご飯食べながら聞いてあげるから、ひとまず着替えちゃいなさい?」
「うん、着替える…、こんな団服可愛くないもん……。」
ナマエはそう言って慣れた手つきで腕まくり裾まくりをし、とぼとぼと自室へと向かった。あまりにも寂しそうな背中に思わずリナリーもその後をついていくのだが、自室までの道、ナマエは一言も喋らなかった。何か、嫌なことがあったのだろうか。…だいたいは見当がつくが、何が彼女の地雷に触れたのかわからない。彼女がここまで落ち込むのは、その体質の事ぐらいだとはわかっているのだが。
「また、体のこと誰かに言われたの…?」
「言われてない…。」
ナマエの自室はいつも可愛いもので溢れていた。女の子らしいレースのカーテン、花柄のベッドシーツ、小さなクマのぬいぐるみが置かれたドレッサー。お気に入りのふわふわワンピース。ここまで可愛いものに拘るのもどうかと思う…、と苦笑していた時期もあったが、それが彼女の体質に関しての反動だとわかると、それも言えなくなってしまった。ある日ナマエは言ったのだ、『可愛いものに溢れてないと、どっちがほんとの自分なのかわからなくなる』と。
「言われてないのに…?他に何かあったの?」
「ううん…、逆…。何もないし、何も言ってない。」
…なんとなく、話が見えてきた。
リナリーは取りあえず、蹲りかけたナマエを抱き起こし、食堂へと向かわせる。彼女の元気がないのは体質で悩んでいることもあるだろうが、きっとお腹を減らしているから更に拍車がかかっている気がする。何か胃に入れば、この落ち込みも少しは和らぐだろう。そう食堂へと向かう廊下で、二人はアレンと会った。
「あ!ナマエ!」
「アレン君、アレン君もご飯?良かったら一緒に食べない?」
「喜んで!…と、言いたいんですが、先にレイヴと約束してるのでよければ一緒に…って。ナマエを探してたんですけど、今度はレイヴが見当たらなくて。」
ナマエ、一緒にご飯食べませんか?とアレンが前に出ると同時にナマエはリナリーの後ろへと下がってしまった。そのことにアレンとリナリーは不思議そうに顔を見合わせるも、リナリーはそれで話がわかったように両手を叩いていみせた。
「あーえーっと、アレン君。レイヴ、また任務入っちゃって、さっき出ちゃったのよね。ね、ナマエ。」
「あ、う、うん…、そ、そうなんだよね。ごめんなさい、って言ってた…。」
「また任務?…忙しいんですね…。」
「まぁね、彼、とても強いから。」
「あ、わかります。身のこなし方とか綺麗ですよね、いつか手合わせお願いしようと思ってるんです。」
にっこりと笑ったアレンの表情に、ナマエが傷付いたような笑みを浮かべたのをリナリーは見逃さなかった。そんな顔をするのなら、最初から隠さなければいいのに、とも思うのだが、その体質は他人が思うより、深い深い彼女の傷なのかもしれない。コンプレックス、という言葉では軽いかもしれないが、彼女のコンプレックスは彼女にしかわからない深い深いものだ。
「ナマエ…?手、また怪我してませんか?」
「え…?」
ふと、アレンに両手を取られてナマエは驚いた。両手を取られたこともそうだが、アレンの手が、思った以上に大きかったのだ。ナマエの両手をすっぽりとおさめてしまうほどその手は大きく、優しそうな顔立ちのアレンからは想像しにくい。
イノセンス発動時、レイヴであるナマエは能力で体が丈夫になり、怪我をしても気付かないか気付いても放っておくことが多い。しかし、やはり女の子であるナマエに戻ると華奢な手に怪我はよく目立つ。その擦り傷達にアレンは痛々しそうに顔を歪めた。
「すぐに医務室に行きましょう。」
「えっ、だ、大丈夫、大丈夫だよっ。こんなのすぐに治るし、診てもらう程の傷じゃないよ。」
実際、イノセンスを発動すればこれくらいの傷はすぐ治ってしまう。筋力、身体能力が発達するナマエのイノセンスはもちろん、細胞も発達するのだ。それに、アレンがそんな表情をするほど痛むわけでもない。
「いつもこれくらいだし、なんともないよ。」
心配するアレンに心配させまいと、ナマエは無理矢理笑顔を浮かべるも、その姿がリナリーにはかえって辛かった。人の心配はよくするクセして、自分の心配は二の次だ。
何も口を出さないリナリー、困ったように笑うナマエに、これは何も言っても医務室へは行かないなと判断したアレンは肩を落とし、またポケットを探ってハンカチを取り出した。
「なら、ハンカチだけはあてさせてください。こんな小さな手に傷があったら、誰でも心配しますよ。」
そう微笑むアレンに、ナマエの頬は微かに色付いた。しかし、体質を言えない自分に嫌気がさす。
「あ…、この前のハンカチ、ごめんなさい。」
「あ、いいですよ気にしなくて。あとのことはレイヴに言ってますし。」
クリーニングした後、除菌をしなければ。アレンは二度と使わないと言っていたが、借りたものはきちんと返さなければ。
「こ、このハンカチも……」
「構いませんよ。あ、でも次はレイヴに見付からないように返してくださいね。また神田に使われたら、僕の使えるハンカチの枚数が減りますから。」
神田とアレンの不仲もどうにかならないものか…、とリナリーは顔を引き攣らせるも、隣から小さくナマエがふきだした。ハンカチが巻かれた小さな手を胸に、くすくすと笑っていた。
「仲、悪いんだねぇ。」
大きな瞳を細め、花を咲かせたような笑みに、ナマエという存在にやっと色が戻ったようだった。それに安心したのはリナリーだけでなく、アレンも嬉しそうに笑った。
「悪いってもんじゃないですよ、あのぱっつんいつか後ろからこう、やってやろうと思ってるんです。」
「ふふ、アレン怖い。」
拳を突き出し、きっと神田を殴っている動作を繰り出すアレンにナマエはころころと笑っていた。先程のアレンと神田のやりとり、今のアレンの口ぶりがおもしろかった。今まで神田とここまで堂々と仲が悪い人はいなかったものだから。そう肩を揺らし笑っていると、ナマエより少し背の高いアレンがナマエの目を視線を合わすように屈み、にっこりと微笑んだ。
「やっぱり、ナマエは笑っている顔が一番可愛いです。」
「あ、アレンっ…」
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