唇から媚薬

『じゃーんけん、ポン!』


出されたそれぞれの手を見回して一拍、科学班フロアでガッツポーズをする者、喜びの雄叫びをあげる者、泣き崩れる一人、それぞれがそれぞれの反応をし、ジョニーが丸眼鏡の奥から涙を流した。


「う、嘘だろ〜!」

「スマン!恨むなよジョニー!」

「公平なじゃんけんだ!」


情けない声をあげたのはじゃんけんにチョキを出して負けたジョニー。ラッキーサインにも関わらずそれはアンラッキーなものへとなってしまった。じゃんけんに勝った者は「勝った勝った」と満足そうな解放されたような爽やかな顔で仕事に戻っていく。その後ろ姿を「薄情!鬼畜!」とジョニーは罵倒するが皆は聞こえないフリをしているのか、それともそれに関わりたくないのか知らんぷりだ。そんなジョニーの肩に優しく同情的なリーバーの手が添えられる。


「じゃ、神田のとこに任務通知、よろしくな。」

「今、神田はナマエと一緒にいるんスよぉ〜!?」

「だから皆でじゃんけん、したんだろ。」







着替えや書類、その他必要な物を詰めたトランクを部屋の隅に、神田は普通にしてても鋭い目を更に鋭くし、クッションに顔を埋める容量でナマエを抱き締めていた。自然と背が仰け反ってしまう程抱き締められている格好にナマエは困ったような、諦めに近いような表情でやんわりと抱き返していた。と言っても広い背中に控え目に手を置いているだけだが。


「時間、大丈夫なの…?」

「あと一時間くらいしたら、出る。」

「…そう。準備は?」

「終わった。」

「…うん…。」


部屋隅のトランクを目だけで確認する。本当に必要最低限の物しか入れない彼の準備はとても早い。今出られるかと聞かれたら二つ返事で返してしまう程に。かと言って、今日の彼はジョニーから任務通知をされた時すごい負のオーラを出していたのだが。それもそうだろう、職業柄仕方がないが二人の擦れ違いなど日常茶飯事。あっちが任務に帰ってきてもこっちが任務に出掛けている。やっと二人共ホームでゆっくりできると思えば先程のように任務にかり出される。二人の任務に対しての積極性もあるが、呼べばすぐに出立できる二人は科学班でも重宝視されている。だからだろう、指名率は高い。


「えっと…、今回はあんまり長く居られなかった、ね?」

「…………」

「つ、次はきっと休みくれるよ。ここ最近私達出てばっかだし…。」

「…………」

「任務、頑張って、ね…?」

「…………」

「待ってる、から…。」


返事のない神田にどんどん声も体も小さくなっていくナマエに神田は腕に力を入れることで返事をした。ぎゅう、と抱き締められる腕が少しきついが、今のナマエにはそのきつさが嬉しかった。神田は小説のような甘い台詞はくれないものの、こうした態度や腕、熱で返事をくれる。リナリーのような愛らしい素直さを何処かに置いてきてしまったナマエには、甘い台詞よりもこの腕の方が嬉しかった。
神田の腕の中はとても安心する。少し苦しいが、温かくて心地よくて、神田の体温を直に感じられる。思わずゆっくりと吐き出される息は神田に抱き締められた事による充足感と、大好きな人が一番近くにいる少しの緊張が混じっている。それがあと一時間したら離れてしまうと思うと急に心が曇る。ナマエは名残惜しそうに神田の首筋に頬をあてて、その温もりをどうにか体に残そうとするが、その頬は神田の手が触れることにより遮られる。ゆっくりと大きな手がナマエの頬を撫で、優しく顎を持ち上げられて唇が落ちてくる。

柔らかい、愛しさの熱が籠る、溶けてしまいそうな鈍い痺れ。

そっと閉じた瞳を開けると目の前には自分を閉じ込める黒い瞳がすぐそこにあった。互いの睫毛が触れてしまうのではないかと思う程に近い。そして再び薄く閉じる黒い瞳に流されて、ナマエもまた瞳を閉じた。二度目のキス。それは先程のよりも長く、軽く押しつけられる。長く、密着度のあるキスに無意識に体が逃げてしまいそうになるが腰を抱く神田の手が逃がさないとばかりに強くなる。そもそも、顎を捉えられていては逃げることなどできないのだが。それでも重なる唇はただただ優しい。柔らかく優しい唇と逃がしてくれない強い腕と手がちぐはぐで苦しい。キスの時、彼から教えてもらった呼吸の仕方を忘れたわけではない。息をすることを忘れてしまう程、唇から全部溶けてしまいそうなのだ。脳がじんじんと痺れる。もう脳内が白い映像だけ見せて吹っ飛んでしまうのではないかと思った頃、唇がゆっくりと離れた。合わさっていた温もりが離れていく感覚に、思わずそれを追いかけてしまいそうになった。

再び、充足感と緊張の吐息。

額に落ちる唇に、違うの、そこじゃないの、と言ってしまいそうなった。そしてそんな事を言ってしまいそうになった自分に驚くのだが、それは大きな手があるところを撫でて消え去った。


「ッ、ゆう!」

「ん?」


尖ったナマエの声にまるで何かしたか、みたいな顔をする神田の手はナマエの腰の下、つまりは尻をやんわりと撫でていた。


「な、だ、だめっ!」

「なんで。」

「なんでって…、あ、あと一時間したら出発するんでしょっ?」

「あと一時間もある。」

「だ、だめっ、やだ!」


その撫で方が何を意味するかわからない程ナマエは子供ではなかった。いや、年齢的に子供と言えば子供なのだが、その体は目の前の神田によって十分潤おされていた。駄目、やだとナマエが言っても神田の手は構わずそこを撫でている。


「ナマエ…」

「い、いやぁ…」


狡い。

自分が耳を弱いことを知ってて耳元で名前を囁くなんて。しかも囁く以前に、神田の声はイイ。この男、顔だけでなく声もいいのだ。そんな狡い囁きにナマエは弱々しく首を振りながら神田の胸を突っぱねる。そんなナマエに何が嫌なんだ駄目なんだと強く引き寄せてくる腕に、ナマエは羞恥で少し潤んだ瞳で神田を見上げた。


「一時間で終わるなんて、いや…。」


じっと見上げられた瞳に神田が数秒固まる。なんて事を口走ってしまったのだとナマエは固まった神田にすぐ顔を逸らすも言ってしまった後の事だ。どうしよう、厭らしい女だと思われてしまっただろうか。これではまるで淫乱ではないか。そう頭を抱えてしまいそうになった時、神田は大きく大きくそれは大袈裟に溜息をついた。まるで体内の息全てを出し尽くさんばかりの溜息にナマエは体を強張らせるが、その強張らせた体を抱き寄せる腕は、とても優しかった。


「…じゃぁ、何ならいいんだよ。」

「えっ、ぁ、えっと…」


再度抱き締められてしまって神田の顔が見えない。しかし声を聞く限り、先程の失言は悪い印象を与えてはいないようだ。ナマエは内心ほっとしつつも、神田の胸を押し返す。抱き締められるのもいいが、今は神田と取り留めのない会話などをして時間を過ごしたい。ゆっくりと離れた体に神田を見上げる。神田の目は、少しだけ熱っぽい。


「おしゃべり、とか。」

「つまらん。」

「え…っ!…じゃ、じゃぁ…ちょっとだけ、お昼寝…」

「時間が勿体ない。」

「え、ええぇ…」


残りの一時間、何をしようかと悩みあぐねるナマエが可愛い。思わず頬を撫でながらも意味ありげな手つきで首筋を撫でればぺちんと叩かれた。


「だから、それは、だめ…」

「他の案は?」

「うんと…、や、だから、やだ」

「早く他の言わないと、」

「だめ、」

「喰っちまうぞ。」


首筋、胸、太もも。ゆっくりと手を伸ばすがどれもぱちんと叩かれる。仕舞いにはナマエの口先がムッと尖って、誘われるようにキスをした。すると尖った口先はすぐに戻って唇を噛んでいた。


「…じゃぁ…、ずっと、キス、してる…。」


叩かれた手はもう変な所に行かないよう、ナマエの指が絡んでいた。一本一本、指と指が丁寧に絡んで隙間なく埋まっている。駄目?と了承得るように傾げられた小首は誘われているようにしか見えない。少しだけナマエ側に手を引っ張られて、そのまま体を前屈みにすると一瞬だけの触れるキスをナマエからもらった。触れてすぐに離れていってしまったそれは、まるで子猫か子犬かに舐められた気分だった。一方は自分からキスした恥ずかしさに、もう一方は愛らしい恋人に、互いに互いの脳内細胞が死滅してしまいそうな感覚を味わいながら、二人はまた唇を重ねた。




―『唇から媚薬』終―


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