三人

 縁側で赤ん坊の泣き声が響き渡る。しんしんと降り積もる雪があらゆる音を吸収し、静寂が支配する中でも、生気に満ちたその声は雪に埋もれることはなかった。

「あら、可愛いねえ」

 芋を乗せた籠を脇にやりながら、綿入りを着た壮年の女性は顔を綻ばせた。

 自分の子供もこれぐらいの時は可愛らしかったもの、と思い出しながら指で頬をつついてみる。自分が着ている綿入りよりも柔らかく、弾力に満ちていた。

 大粒の涙を流すその目が金色に輝いているのにも気付かず、泣き止まないものかと微苦笑しつつあやしていると、軽い足音が聞こえた途端にぴたりと止んだ。

「あらあら、やっぱりお母さんの方がいいかしら」

 奥から現れた母親は艶やかな黒髪を後ろにまとめ、穏やかに笑ってみせる。やはり、どこか垢抜けているように見えた。

「ぐずりだしたら止まらなくて」

「薬師のあんたでもお手上げになることもあるんだねえ」

 母親はくすりと笑うに止め、ようやく泣き止んだ赤ん坊を抱き上げてあやし始めた。

 こうして見ると普通の人間に見えるものだが、この村へ初めて来た時は皆の注目の的で、随分と大事になった。

 言葉の端々や表情、声、髪質に至るまでここいらの村の女にはない品に満ちて、その上美しい。赤ん坊がいるにも関わらず、いつまで経っても夫の姿を見ることはなく、不審がる者と色めきたつ者に二分したこともあった。

 ところが、初めはなかなか村に馴染むことも出来ず、敬遠されがちだった彼女を村の一員にまで昇格させたのは、彼女の持つ薬の知識だった。

 若いというのにその知識量は豊富で、村人も度々世話になった。医師のいないこの小さな村では本当に重宝されたのである。

 たまに来る薬売りですら驚いて他所で風聞しまわっているらしく、いつだか将軍様の所で働く話を貰った時には誰もが、彼女が行くかと残念がったものだが、彼女はそれを断った。

 子供を育てたいと、断ったそうだ。

「ほんと、このぐらいの時が一番可愛いよ」

 縁側に腰かけて笑い、女性は赤ん坊の顔を覗き込んだ。

 母親が笑って返す。

「キヨさんのところの息子さんだって可愛いじゃない。うちへ来てこの子の面倒を見てくれることもあるのよ」

「ああ、駄目駄目。そりゃただの見栄さね。あの馬鹿どもが何かしたら遠慮なく叱ってくれていいから」

 ふふ、と母親は笑った。

「今日は? 湿布薬?」

「あ、違うわよ。やあね、来た目的忘れるところだったわ。おすそわけ」

「いつもありがとうございます」

 芋の乗った籠を差し出され、母親は小さく会釈する。さらりと流れる黒髪が美しく、キヨは見とれながらも本来の話好きの血が騒ぐのを覚えた。

 隣村から嫁いできた女性の話に始まり、山にあるという不思議な泉の話、今年の雪の具合に続いて、キヨの興味は母親の腕に抱かれてすやすやと眠る赤ん坊に移る。

「……この子のお父さんはいつ帰ってきそうだい?」

 キヨには他の者のような下世話な詮索の心はなかった。ただ、こんなにも可愛らしい子供を置いて出稼ぎに行ったという父親に、この子を見せてやればいいのにと思う。

 母親はふわりと笑った。

「まだ。……まだ、帰ってこれないと思いますけど、でも、ずっと一緒にいると約束したので」

 大丈夫です、と微笑む姿には芯の強さが滲んでいる。

「いいねえ、そんなこと言ってくれる旦那がいるなんて。……じゃ、長居しちゃってごめんなさいね」

 立ち上がるキヨを母親は見上げた。

「すみません、お茶も出さないで」

「いいんだよ。明日、湿布薬お願いね」

「はい」

 キヨは年を思わせないきびきびとした足取りで庭を突っ切り、やがてその姿は見えなくなった。

──初めは怖かったけれど。

 在野に下り、人間と共に暮らすことは恐怖だった。事実、母親が初めて村に現れた時の村人の態度は不審と嫌悪そのもので、本当にやっていけるだろうかと不安になったこともある。

 だが、時を重ねて付き合えば、彼らの余所者に対する不審と嫌悪は興味と好奇心に他ならず、実質は気持ちの良い者ばかりなのだと気付く。

 いつか、自分が夢見た人の営み、人間の世界。そこへ自分は確実に溶け込もうとしている。

 朝、昼、晩と目にする村の風景は息を飲むほど美しく、いつもはっとするような驚きに満ちているのだ。

──僕はそれで充分、幸せだ。

 駆朗の声が蘇り、母親──彼女はふっと笑った。

「そうね、私も幸せよ」

 腕の中の赤ん坊に視線を落とす。

「……ね、駆朗」

 名を呼ばれ、赤ん坊がほのかに笑ったような気がした。

 やがて、この子はこの美しい風景を守る者になる。

 鷲尾の地を守る、守護者へと。

 それまでは駆朗の心と共に、この地で生きていこう。

──この地で、駆朗とこの子と、私の三人で。


終り

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