二人─7
寄り添った彼の手が暖かい。木の根元に大きく開いたうろの中で、二人は山に走る炎の明かりを見つめていた。
およそ一晩経つ。夜空に映える炎の明かりとは違った、暖かな光が東の空を染め始めていた。
ここへ至るまで、息絶えた仲間や動物や、二人の姿を認めて助けを求める者を沢山見た。誰も彼も炎にまかれ、苦悶の表情で死んでいった。
人間の放った炎の結果を、彼はどういう思いで見ているのだろう。
「……すごいものだね」
駆朗は言葉を落とす。静かな声がうろの中に染み込んでいった。
「一晩経つのにまだ燃えている。……お父さんはこうなることをわかっていたんだろうか」
「あなたはどう思うの」
彼女の方を見て微笑した。
「どうかな、血は繋がっててもやっぱりわからなかったよ、あの人のことは」
多分最期まで、という言葉を飲み込む。
人間の社会から身を引いた自分に、親の最期を見届ける資格はないだろう。彼女と共に生きると決めた。それが自分の道なのだと信じ、もう迷わない。
この体は自分だけのものではないのだ。彼女と、彼女の中に宿るであろう新たな命の為に費やさなくてはならない。これからが大変だろうが、幸せだった。
──幸せなのだと、思い込もうとしていた。
「……迷ってる?」
着物の裾を正し、彼女が駆朗の胸元に額を寄せる。山火事の中を歩いてきただけあって、あれほど柔らかだった彼女の黒髪が所々縮れてしまっていた。心落ち着く緑の香りも、今は焦げ臭い香りに取って変わっている。
静かな彼女の声が間近で聞こえることに喜びを覚えながらも、駆朗は心が揺り動かされるのに気付いた。
「……迷ってる」
「そうね、あなたはそういう人だもの」
「嫌い?」
「場合によっては。嫌いになるかもしれない」
「それは困ったな」
言いながら苦笑する。駆朗から離れた彼女は顔を上げて、その黒い瞳を見つめた。
「私はずっとあなたを好きでいたい」
「僕もだ」
「だから迷ってるなら、行って」
静かな口調だ。悲しんでいるのでも、怒っているのでもないとわかる。彼女は彼女の自由を得て、そして今度はそれを駆朗に与えようとしているのだった。
こちらはどうあっても駆朗の生きる世界にはなり得ない。駆朗が人であるという事実は曲げられず、彼を育てた故郷や記憶を捨てて生き延びることは、彼の心が許さないだろう。
例え、その道を共に歩むのが心から大事に思う女性であっても。
これが彼女なりの、駆朗と共に生きる方法なのだ。
彼女はもう、わかっているんだ。
「──この時期は風の方向が変わりやすいから……」
「わかってる。きっとあなたよりも」
肩をつかんで覗き込む駆朗に微笑んでみせる。駆朗もつられて笑った。
「……君が僕を好きでいてくれるなら、体が滅んでも僕の心はずっと側にいるよ」
「子供は?」
「勿論、側にいる。君が自由にしてくれた心だから」
「結果的には引き止めてしまうみたいね」
「いいよ」
駆朗は彼女を抱き寄せた。
「僕はそれで充分、幸せだ」
その感触を確かめるように手に力を入れ、強く抱き締める。
やがて体を離した駆朗は何度目かに彼女に向かって微笑んでみせると、着物を正して外に出ていった。
前を見て、未来を見て、未だ燃え盛る山へ駆朗の小さな背中が頼りなく見える。
だが、強く踏み出された足音が彼の変化を思わせた。今の彼は死に向かって歩んでいるのではなく、未来に向かって歩いているのだ。
耳を澄ませて、いつまでも彼の足音を辿っていた彼女の頬を涙がつたう。
それが、駆朗の姿を見た最後だった。
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