息をとめて
※「
息をひそめて 」の続き
「遊真って意外に食べるね。男の子なんだね〜」
なまえ先輩があんまりにも驚いた風に言うので、照れくさい気持ちを抱くと同時に、むなしさを覚えた。彼女の眼に映る自分が、ただの幼い後輩であると思い知らされてしまう。そんな感情はみじんも表に出さず、「まあね」と答えて、おかわりを求めた。レイジさんはおれの茶碗にご飯をよそいながら、「みょうじも食うか」と問いかけていた。玉狛の夕食にお呼ばれしたなまえ先輩は、すこし遠慮がちに、「じゃあ少しだけ」とはにかんだ。
しおりちゃんと仲のいい先輩は、任務が休みの日、一緒に出かけることも多いそうだ。今日は二人で話題の映画を見てきたと言っていた。そのまま玉狛支部にお泊まりするのと浮かれたように笑う先輩は、模擬戦をしている時とはまったく違って見えた。
「おかわりなんてして、大量に買った夜食入るの?」
しおりちゃんに言われて、いたずらな表情を浮かべた彼女が歯を出して笑う。レイジさんから茶碗を受け取るなまえ先輩は、野菜炒めも二皿目だった。
「だってレイジさんのご飯おいしいんだもん。夜食は別腹だからイケる!はず!」
「ふとるぞ」
ようたろーが指摘すると、うっと言葉に詰まる。
「……大丈夫!そしたらトリオン体で生活するから!」
「うわ、ずるい〜」
「なまえの運動量なら、大丈夫だろう」
「ですよね!?レイジさん」
ぐっと身を乗り出してレイジさんにしがみついた先輩から視線を外し、おれはご飯を頬張った。
今日は防衛任務で、とりまる先輩もこなみ先輩もいなかった。支部長から言われて、ようたろーの面倒を見るつもりで来たのに、玉狛支部は思いのほか賑やかだった。なまえ先輩がいると、場は盛り上がる。しおりちゃんと、こなみ先輩が揃うと、なおさらだ。とりまる先輩が以前、「女三人そろうとかしましい」と言っていたのを思い出す。でもおれは、その「かしましい」が嫌いじゃなかった。
「じゃ、私たち戻ります〜」
「あんまり夜更かしするなよ」
自分たちの食器を洗い終えて部屋を出ていく。レイジさんは諸々の片付けをしながら、二人を見送った。
おれも使用した食器を重ねて台所へ行ったら、フライパンを洗っていたレイジさんに、ついでだからそのまま置いていいと言われた。お言葉に甘えて風呂に入り、ようたろーを寝かしつけてから借りている部屋に向かおうとした。
自室に入る前、廊下を歩いていたら、奥の扉が開いた。顔を出した先輩が、表情を明るくしたのを見て、風呂の熱が蘇るように体が火照る。
「遊真、寝るの?」
「おれは寝ないよ」
「夜更かししたら身長伸びないよー」
事情を知らない先輩にわざわざ説明するのも変かと思い、「寝る子は育つらしいな」とだけ相づちを返した。部屋の扉をそっと閉めて出てきた先輩は、音を立てぬようにと慎重に廊下を歩く。
「しおり寝ちゃったんだよね〜」
「しおりちゃん、昨日は防衛任務だったから疲れてるのかもな」
「やっぱそうなんだ?じゃあ起こしちゃ悪いよねー。小南が防衛任務終わるまで待とうかな」
こなみ先輩は夜勤で、相当帰りが遅かったはずだ。それを伝えようと思ったら、肩にポンと両手が乗り、半回転させられる。
「ね、遊真の部屋で待たせてよ」
言うと同時に押されるように廊下を歩き出す。返事をする前に、「しおり起こしちゃったら悪いし」と付け足すので、おれは言われるがままになってしまった。
扉を閉めると簡単に出来上がる密室。遠慮なく部屋に入った先輩が、ローテーブルの傍らにぺたんと腰を落としたのを見て、体の芯が熱を持つ。パジャマにカーディガンを羽織っているだけの姿に、ランク戦をしている時のような高揚感が襲った。手招きをされるままに、テーブルを挟んだ向かい側へと腰をおろす。
「あ、なんかお菓子持ってくれば良かったかなぁ。遊真、小腹減ってない?」
「おれは大丈夫だよ」
「そっか。じゃーいっか」
ローテーブルに両腕を伸ばして乗せた先輩が、伸びをするみたいに突っ伏した。上目にこちらを見つめ、歯をみせて笑った。
それから先輩は、学校は楽しいかとか、近界の世界はどんなだったかとか、色々と質問してきた。おれはその一つ一つに答えを返しながら、自分の中で高まっていく熱を収めることに必死だった。上の空でいるおれに気づかず、先輩は「へぇ〜」とか「すごい!」とか、素直な感嘆の声をもらしていた。
「何気にこうやって遊真と話すの初めてじゃない?いつも顔さえ合わせたらバトルだったからさー」
ひとしきり質問を終えて、満足げに笑った先輩が、肩甲骨をほぐすように肩を横へ伸ばした。その動きが、いつかの模擬選で見た時の動きと重なって、意識するよりも前に身体が前へ出ていた。ぐっと距離を縮めたおれに、先輩も反射的に体が動いたようだった。テーブル上に身を乗り出したら、仰け反って腕で体を守る。
「び……っくりした〜!遊真、何?」
「おれは先輩とずっと話したかったのかも」
「……え?そうなの?ありがと〜」
「違う、そうじゃなくて」
ここで右腕を振りかぶったら、きっと左腕で防がれる。だけどその隙にテーブルの上にあがって、勢い付けて飛び込んだら、アステロイドもスコーピオンもない彼女は、きっと成す術なく床に倒れ込む。その上を陣取って、組み敷いたら、一体どんなリアクションをするのだろう。怒る?びっくりする?怯える?答えの出ない疑問は次から次へと膨れ上がって、おれの中へと熱を蓄積していく。やっぱりこれは、模擬戦の時の興奮とは違う。先輩を見ているだけで胸が熱くなる。先輩に触れたい。先輩を、倒したい。先輩を――。
振りかぶる予定だった右腕を、テーブル越しの彼女の頬に添えた。触れた頬は、いつもは気づくことのできない温もりと、柔らかさを感じさせた。歯が見たいな。笑った時にいつも見える、綺麗に並んだ先輩の歯が。ローテーブルに乗り上げて反対側へ距離を詰める間、先輩は身じろぎひとつしなかった。親指で唇を撫ぜるようにして、歯を見ようとする。
怯えているのか強張る表情を眺めながら、先輩が以前口にした『戦ってる時の遊真の目、完全に獲物を狙う感じでちょっとゾクゾクする』という言葉を思い出す。今、おそらく自分は、その目をしている。そしたら先輩は、俺の一挙一動にゾクゾクしているのかもと都合の良い妄想をして、芯に集った熱を、放出したくなった。
「嫌だったら逃げてね、先輩」
逃がす気なんてさらさらないくせに、おれは言った。
本能が、「機会は今だ」と叫んでるから、きっと止められない。
End
151025