高杉さんが姿を現さなくなってから、季節が一つ移ろいだ。
綺麗に咲き誇っていた桜は散り葉桜へと代わり、黄色いタンポポが彩っていた公園は黄色いひまわりが植えられた。私の日常は変化する事はないけれど、日常に組み込まれていた歯車が一つ無くなってしまった。
たった一つ、たったそれだけなのに心はポッカリと空いている。
「…………」
店を早めに閉めて、あの野原へと向かった。
お父さんとの一度きりの思い出の場所は、高杉さんとの一度きりの思い出の場所にもなった。
適当な花を摘んで、空へと放つ。
ひらひらと飛んでく花びらを見ながら木に体を預けた。
さよならのお別れも無しなんて、ほんとに私の事を何とも思っていないんですね。
私はあなたに幸せも、悲しみも、憎しみも、心も預けてしまったのに。勝手にだけど。
だけど、少しくらいは私にもあなたの事を教えてくれたって、あなたの何かを私に預けてくれたって良いじゃないですか。あの日残していった煙管を握り締めながら膝を抱える。
バカ、バカ、バカ。
「バカ杉さん」
「……誰の事言ってんだてめぇ」
ふわり、と花びらが舞って一瞬視界が遮られる。
次の瞬間に現れたのは、鮮やかな着物に身を包んだ男の人だった。相変わらずニヒルな笑い方しながら、笠を被って、変わらない姿で立ってる。
「…………」
「相変わらず腑抜けた面してやがんな」
伸ばされる手に反応する事ができず固まっていると無骨な指先が目元に触れた、
冷たくて固いはずなのに、この感触をずっと待っていた気がした。
頬をなぞるように動いていた指はそのままぐにっと頬をつねる。
「いっ!?」
「何固まってんだ」
「…………」
「おい」
「…………」
「お、」
私は持っていた煙管を高杉さんに向かって思いっきり投げつけた。
ついでに手元の雑草を引き抜いて投げつけた。
何度も、何度も、投げつけた。
「てめぇ…っ、いい加減に……」
「さんざん、人を、振り回しておいて……!」
「?」
「なにも言わないで、いなくなっちゃって…、今さらドヤ顔でなんですか…!」
しびれを切らせたのか高杉さんは私の手を掴んで雑草の押収を止めさせる。
「高杉さんの、バカ…!」
ボロボロと涙が溢れて、止まらなかった。
言いたい事があったはずなのに
話したい事があったはずなのに
嗚咽に紛れて消えていき、ぽたぽたと滴が花へと流れていく。
悔しい、あんなにムカついてたのに、文句をもっともっと言ってやりたかったのにまた会えて嬉しいと思う気持ちが勝ってこれ以上何も言えない。
「バカにバカと言われる筋合いはねぇ」
「ひ、どい…」
「わざわざ迎えに来てやった人間に言う言葉かそれは」
「……むかえ?」
「俺の事を知りてぇと思うなら、これから俺が起こす事全てを見る覚悟があるなら」
「……」
「来い、なまえ」
手が、差し出される。
この手をとったなら、今の生活にはもう2度と戻れないと直感で感じた。高杉さんがどんな事をするつもりなのかは、まだよく分からない。
それでも、
「……はい」
もう見失うのは嫌だった。
たとえ茶屋を捨ててしまっても、この町でできた友達を失ってしまっても、選びとる方が大きければ大きいほど捨てる方も大きくなる。
だけどこの人の手をとらないという道は考えられなかった。その手に触れると同時に強く引っ張られてその腕に閉じ込められる、
「言質はとったぜ」
「……どこかの悪者ですか」
「さぁ、てめぇにはどう見える?」
「…どこかの悪者に見えます」
「じゃあ、拐っても問題ねぇな」
「文句は言いませんよ、私を連れていってくれるなら」
全てをなくしたこの手にも、
残るものがあるならば、
それはきっとあなた(お前)なんだろうと思う。
これは心を預け預かった男と女が
恋におちるまでの過程のお話。
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