今まで夜に訪ねてあいつがいないという事はなかった。
しかしその日、なまえの姿はなく家はものけの空。仕方なしに出ようとすると、慌ただしい足音が聞こえてきて咄嗟に物影へと身を隠して様子を伺う。走ってきたのはなまえだった。
ただし体はずぶ濡れで裸同然の格好に真選組の制服を羽織っている、それを見た俺は部屋へと上がろうとするそいつのを捕まえて壁へと押し付けた。
「その格好、どういう事だ」
「ちが、……あの、…川で遊んでたら、真選組の人に見つかって、そしたら今度はガラの悪い人達に絡まれて、逃げるときに真選組の人が貸してくれたんです」
必死に説明するなまえの目には涙が溜まっている、嘘をついている雰囲気ではないが制服から匂ってくるタバコの匂いが鼻について気に食わない。
慌てるなまえの体を担ぎ上げて部屋へと向かう、床に下ろすと「……すみません」と検討違いな謝罪をし始めた。
「何に謝ってんだ」
「高杉さん、怒ってます?」
「怒ってねぇ、ただその制服はさっさと脱げ」
ぐいっと襟元を引っ張ると慌てたような声で俺の手を外そうとするがそれは悪あがきで肩辺りまではだけた制服、そこから見えたのは右肩から斜めにはいっている刀傷だった。
なまえは泣きそうな顔になりながらまたその制服を羽織直す。
「おい、そりゃなんだ」
「……傷、です」
「見ればわかる」
「…お父さんが、処刑される時に飛び出した私を止めるために、土方さんが斬った傷です」
「…………」
「あのまま飛び出してたら私も殺されていました。……土方さんはそうならないように、斬ったんだと思います、致命傷にはならなかった」
そっと細い指先が傷跡をなぞる。
鎖骨が月明かりに照らされて浮き出ていて、なまえという人間がひどく官能めいて見えた。
「父を火葬してくれたのも、真選組の人達です。………たまに自分が憎んでいる相手が正しいのか、分からなくなります」
悲しそうに微笑むなまえの手を掴んでそのまま押し倒す、そして目尻を流れていった涙を指で掬いとった。
「……俺は、全てを壊すつもりだ」
「……?」
「てめぇの憎んでるモンも、大切にしてるモンも、壊す」
「…………」
「てめぇが憎みきれねぇならその分俺が憎んでやるよ、……てめぇほどの憎しみなら上乗せされてもわけねぇ」
制服を今度こそ脱がせて、肩にある傷跡にキスをする。
ぎゅ、と握られる手。頑なに触れようとしないの手を見て俺は深くなまえに口付けた。
唇が離れても息が交わるほど近い位置でその黒い目を見据える。
「すがりつきゃ良いだろ」
「…………え?」
「どうすれば良いのか分からねぇなら、自分の心が揺らぐぐらいなら、俺にすがりつけ」
「……っ」
泣き出す寸前のような吐息が薄い唇からもれてなまえの細い腕が、俺の首へと回る。
離さまいと力をこめるこいつは、ようやく答えにたどり着いたんだろうか。
なまえは涙で濡れた目で俺を見ながら「高杉さん、」と名前を呼んだ。
「なんだ……」
「これ、言ったら、高杉さんに怒られると思って言わなかったんですけど……」
「……」
「好き、なんです」
「!」
「これ以上、関わらない方が良いとか、言われても……それが高杉さんの為になるなら喜んで身を引きます。だけど、そうじゃないなら、この気持ちが届かなくてもいいから、…おそばに、」
言葉半ばで閉じる瞳。
どうやら疲労と緊張で精神力および体力が限界に達したらしく、静かな寝息が聞こえてくる。
艶やかな亜麻色の髪に指を通して口付ける。
タバコの臭いがする忌々しい制服を部屋の隅へと投げて自分の羽織をかけてやった。
真っ赤な顔から紡がれた一言、バカらしいと一蹴にしてきた色恋沙汰は途端に舞い降りてきたようだ。
「クク……捕まえたぜ」
呟いた一言は、夜の空へと溶けていった。
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