馬鹿に呑ませる針は無い

大丈夫かと問えば、一向平気と強がって言う。
嘘もつけない愚直さを持て余すくせ、どうにもならない天邪鬼。……今更ながら、この女はなにゆえこんなひねくれ者に育ったのか。
「……脳みそまで筋だらけか。そんなことで軍吏が務まるのか?」
「…………煩い」
目前、気怠げに開く薄いまなぶた。上気した頬へ声をかければ、可愛げの欠片も無い返答。
患いじみて青いおもては、日中ほとんど陽射しを浴びれぬそろばん者の宿命か。
……けれど、いまは幾分血の気が戻っているような。
ひとつ、嘆息して。髪際へ、水で冷やした布を置く。
咥えさせた、硝子棒のあかいろ。じわりと伸びゆく目盛りの位置は、とうに平熱を超えた。
「……だから言ったろう……」
「……何とかなると思ったんだ」
「浅はかな……」
今暁。目覚めた横のぬくもりが、妙に熱いような気はしていた。身支度するその様子は、まさに倦怠そのもの。見咎め忠言しようとも、案の定黙殺され……参内と共に別れて半日、再会したのは医務室だった。
「……ほんの、かるい風邪だ」
「かるくてこれじゃあ堪ったものか」
嫌がる相手に宮医特製の苦薬を飲ませ、立ち上がって戻ろうとするのを留めさせ。
熱に魘されるのか……時折辺りを徘徊しようとするので、乳幼児より目が離せない。
「……もう、逃げたりしないから………」
おまえ、戻れとぼそぼそする声。
目を開けるのがつらいのか、二枚皮はゆるりと下がる。……とろりと、澄んだものが落ちた。
「……任せてきたから、大丈夫だ」
「………大丈夫じゃない……」
「……下手な気を回すな。寝ていろ」
「………うるさい」
また、ぼそりと反駁してくる。ひねくれた返言は、けれど常より力ない。……流れた液を拭ってやれば、あつかった。
球形のまるみ、それから青い血筋を浮かせ……ぴくりと、薄皮が揺れる。濡れた睫毛は、開かない。
……しばらく、黙っていれば。やがてすうすう寝息が聞こえた。
首元へ、指を伸ばす。……起こさないように、そっと。ぶにりとした感触は、すっかりぬるくとろけた氷嚢。そろそろと、新しいものに取り替えて……ついで、襟周りの汗を拭ってやった。
……鎖骨のかたい手触り。相手は、なんの反応も寄越さない。
沈黙は、かるくこまかい粉のように……薬の香のする埃とも似て、薬研の並ぶ部屋に積もった。
……うう、と呻きが聞こえて。はっと、そのおもてを見遣ろうとも……依然、そのまなこは開かれなかった。
「………わるい夢でも見ているのか…?」
汗ばむ髪糸を撫で付けて、病熱に紅い耳介へ囁く。……返答は、無い。
しゅうう、と……悪夢の欠片のように。蒸気とも似た息差しが、うすい口唇から漏れた。
布団の脇、だらりと垂れて戻らぬ腕。その骨は強固に、筋は薄くも堅牢に。吏人の職務に板挾まれ、それでも剣を放さない……この女の必死の意地と、死に物狂いのがむしゃらさ……その、煮凝りのようなかたち。
……しかし、いまこの時。それらはひしりと強張り、こまかく震えていた。……怖気て強がる獣のように。
「……嘘つきめ」
……また、ひとすじ。とろんと落ちた濃いうしお。肉のうすい頬の上、緩慢に伝いゆくものは……果たして、反射の範疇なのか。
また拭えば、あつい表皮はぺとりと吸い付く。……水の温度は、ぬるい。目元を撫ぜれば、ぺとぺと塩気が多かった。
筆だこだらけの手のひら。さわれば、ぱっと指で握られた。
「……そう、泣くんじゃない」
何処にも行きやしないから。
あつい手を握り返し、また長息する。安心しろとささめけば、力は幾分ゆるまった。
「………泣き虫」
静まり返った部屋のうち、ただただ不規則に……ぽろぽろと、女の寝息が続く。
薬研のあるじの老人は、現在席を外していた。
「……ばればれなんだ」
……いつだって、そうだった。
むかしも、いまも。子供の頃から、ずっと……痩せ我慢ばかりして。ばれやしないと、傲慢なまでにひた隠し……ひとり、物陰で泣いている。
「……つくづく、考えの足らん」
すこしくらい、甘えてくれたって良いのに。……だって、ようやくとなりへ添えたのだから。うんと、ちいさかったあの頃より……ずっと、ちかい場所へ来てくれたのは……そのためだったろうに。
「その筋だらけの頭は、物覚えまで悪くなったのか?」
……なんのためにおれがいる。ひとりはいやだと言ったのは、そっちのくせに。
なんというあまのじゃく。誰も彼も、愛想を尽かして見放しそうな。あんまりなつむじ曲がり……
「情強。頓知気。見栄坊。……この、嘘吐きめ」
………だからこそ、ひとりきりにはしておけない。
見遣る先、悪夢も去って行ったのか……とろとろ溢れるあつさが止まる。……ひとの胸中など、何も知らずに。湿った跡で火照った顔は、ようやく穏健に眠った。
熱の引かずにあかい頬。触れれば、やっぱりぺとりとくっつく。……吸ってみれば、傷口とも似て辛かった。


鹿
(指切り、したのに)









なんか睡眠DAYの時と被ってる。




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