望郷。 | ナノ

なつのおわりに


盛りの頃にはじゃわじゃわと、耳を塞ぎたくなるくらいに歌っていた蝉たちも、ただもの悲しく囁くだけの季節になった。


「そんな顔をするなよ」

「……なんの話だ」


夏の間、奔放に伸び放題だった庭草に足を擽られながら、歩く。鈴虫だか、蟋蟀だかがりんころと鳴いた。
見上げれば、茜色。もこもこと、青い中へと起立していた大入道は崩れ……朱色に染まってぱらぱらと、小さな鱗たちが浮かぶ。


「拗ねてるのか?」

「……なにに」


なつのおわり。風は、少しだけつめたい。
……ちらりと、振り返る。後ろを歩く男が、困ったように笑った。


「また、すぐに帰るよ。……毎日連絡も入れる」

「…………」


夕闇に、相手の白い肌が呑まれてゆく。
……この夏は、彼とどう過ごしたのだったか。

ふたりで行った場所、ふたりで食べたもの。楽しかったこと、知らなかったもの、うつくしかったもの。
すぐに一つを挙げられないまでに、私たちの夏は鮮やかだった。


「…べつに……」


だけれども。それももう、終わってしまう。


「……こっちは、一人でいるぶん、気楽なだけだ。」


強がりですらない、嘘を並べて。……息を吐いた。
彼は戻ってゆく。この世界の中で、彼のあるべき場所へと。

緑の湿っぽいにおいに、枯れ草のそれが混ざる。
……次の季節。待ち続ける日々は、冬の訪れより早く……終わってくれるのだろうか。

鬱々と口を曲げれば、ふふふと笑い声。


「……なにがおかしい」


じろり、と睨めつければ……先程の顔は何処へやら。……男は、嬉しそうにこちらの手を引く。


「……さびしいか?」

「………べつに」


憮然と答えるよりも先、腰に腕が回される。


「おまえはこの頃、随分と可愛くなってゆく」

「……意味がわからない」


陽がいよいよ傾き、空の色は青みの強い紫を含んだ。
……妙に、懐かしい色。


「……この夏は、楽しかったな」


見上げれば、白皙が微笑む。
引き寄せられ。……額に、ぬくもりが触れた。


「………うん」


やっと頷くこうべを撫ぜて、また笑い声。


「次は、秋だ。……ものが美味くなるから、太らないようにな」

「……うるさい」


ばしんと相手を引っ叩けば、いつもの調子が戻ってきた。

薄暗くなりゆく、ちいさな庭。
草に埋れた小道を、二人で家に引き返す。……互いの手は、繋がれたままで。

繰り返しの始まったばかりの約束。唇は、うんと近い位置で……それを、囁いた。


「待っていてくれ。……すぐに、帰ってくるから」

「……うん」


青紫は、藍色に。紺青は群青へ。
夜空へと、移ろいたなびく色相の下……かたわらの体温は、沁みるようにあたたかい。


「……ペル…」

「うん…?」

「………呼んでみただけだ」


この男に、背を向けて……何も見ようとしなかった、あの年月のぶんだけ。
いや、それよりも……ずっと、たくさん。

軽口やら、嫌味やら。そんなものを叩き合いながらも……己は、何度でも。
この、いとおしいひとを……この胸で迎えてやろうと。

らしくもなく、そう思った。



「なあ、次はふたりで何処へ行こうか」

「……何処でもいい」



いっしょならば



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