雫は全て海に溶けた

「おやすみ、僕の可愛い人」

 最後になまえが取り出した端末はミルフィオーレで支給された方の端末であった。彼女はあの瞬間、自分の両親に掛けようとはしていなかった。

「裏切ってなんかいないのにね」

 なまえとの出会い方は様々だったが、どのパラレルワールドでも彼女は白蘭を裏切ったことなど無い。寧ろ裏切ったのはボンゴレファミリーの方であろう。いくら機密情報とはいえ、入江正一と沢田綱吉との作戦はなまえには一切伝わっていないのだから。
 白蘭は彼女が落とした端末を拾い、履歴から一番上に表示されている名前をタップする。するとワンコールもしない内に繋がった。

『なまえ!!何が!!』

「やあ。なまえチャンのお父さん、かな?」

『き、貴様……!!』

「なまえはもういないよ」

 それだけ言い、返事を待たずに電源を切ると、白蘭は膝をついてなまえの頬を撫でた。

「本当に、君は愚かだ」

 頬には涙を流した跡が残っている。彼女は良く泣いていたようだったが、目の前で泣くことは殆ど無かった。

「そんなに苦しいなら離れれば良かったのに」

 幾らでもチャンスは与えた。だが優しすぎる彼女は一度手を取った白蘭のことを突き放せなかった。そして自分ではもう身動きが取れなくなり、もがき苦しんだ後に自害してしまう世界もある。他の人間が死のうが何とも思わなかったのに、彼女だけは違った。何となく、もう二度とこんな感情は味わいたくないと、他の世界でなまえを失った時にそう思ったのだ。
 もう何度も他の世界で彼女の死を目の当たりにしている筈なのに、白蘭の心は痛むばかり。その理由を白蘭は知らなかった。いや、知らないふりをしてきた。

「この世界の君と僕はちょっと違うみたいだ」

 同じような結末でも多少の誤差はある。それでも今までの世界とは大きな違いが二つだけあった。
 一つはなまえが白蘭への想いを告げたこと。そしてもう一つは白蘭も愛という感情に気付き始めていたということ。

「でももうあと此処だけだから」

 他の世界は全て白蘭の手の中にある。唯一残るはこの世界のみ。

「さよなら、なまえチャン」

 なまえの近くで濡れていたのは、涙なのか、はたまた花から滴り落ちた雨水なのか。答えを知るものは白い悪魔のような男と黄色いダリアだけ。







 全てはシナリオ通りに進んでいた筈だった。誰もが一度はそう思っただろう。そしてたった今思ったのはあの真っ白な男だった。

「消えろ!!」

「くらえ!!」

 白蘭と沢田綱吉の最後の一撃が激しくぶつかり合う。しかし徐々に沢田綱吉の攻撃が白蘭に食らいついていくと、その炎は白蘭を全て包み込んで激しく燃え、彼は荒々しく声を上げる。
 白蘭にとって唯一違ったこの世界は、どうやら沢田綱吉達にとっても違った世界のようだった。

(なんかこの世の中はしっくり来ないんだ。わかってくれるよね……?ここ、気持ち悪くない?)

 そう思っても目の前の少年はそんなこと微塵も思っていないような表情をしている。やはり白蘭にはこの世界のことがよく分からなかった。

(全く眩しいったら……完敗だよ)

 消え去る瞬間に思い出したのはなまえのこと。敗北した筈なのに心は何処かすっきりとしていた。彼女も最後はこういう気持ちだったのだろうか。

(──なまえ)

 無性に彼女に会いたくなった。





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