雨水とDahlia

 頼まれていた資料をまとめ、部屋を訪れたがそこはもぬけの殻であった。またか、となまえは踵を返そうとするが、先日両親から連絡があったことを思い出し、足を止める。
 久しぶりに聞いた父の声は、もう以前のような優しい声ではない。白蘭の力が恐れられ始めた頃、ボンゴレは白蘭の周りの者を全て調べあげた。勿論、なまえの事も。彼女が白蘭の手を取ったことも、彼を止めようとしていることも全て知っている。ボンゴレは、両親は、そんな中ぶらりななまえを家族という力を使ってスパイ活動を命じた。彼女がミルフィオーレに転ぶかも知れないという危険を孕んでいながらもそれを命じたのは、家族としての情からなのか、はたまたそれ程ボンゴレが追い詰められていた状況だったからなのか。
 なまえは前にも後ろにももう動けなかった。前には白蘭が、後ろには両親を含めたボンゴレが。これはあの時彼を止めなかった自分への戒めなのだと思った時もある。だがもうなまえの心は限界に近かった。

(どちらにしても私は裏切り者)

 いっその事、白蘭に全てを委ねればどれだけ楽になれるだろうかと、考えたこともある。それでもそうしないのは、これ以上彼が過ちを犯して欲しくないという想いからであった。
 それは偶然であった。両親からの連絡を思い出し、何となく、触れたことない白蘭のパソコンに触れる。デスクの上には沢山のダリア。そろそろ水を変えなくてはいけないな、と思いながらマウスを動かす。そして目にしてしまったのだ。現在のミルフィオーレファミリーにいる六弔花とは別に、真六弔花という組織があることを。そして本物のマーレリングは彼等が所持していることも。

「嘘……」

 ボンゴレに知らせるべきなのは分かっている。己のやるべき事を見失ってはいけない。それでも、これを伝えてしまったらもう後戻りは出来ない。彼を、裏切ることになる。
 思えばこれほど簡単に白蘭が情報を漏らすこと等、ある筈も無いのに、なまえは焦りからかそれに気付くことが出来なかった。

(正一に伝えるか……?いや、そしたら彼も同じだと思われる……)

 正一が何かを計画していることは知っていた。だがその内容も、ボンゴレの沢田綱吉が関わっていることもなまえは知らない。
 どれが正解かだなんてなまえにはもう分からなかった。気付いたら走り出していた。ポケットから端末を取り出して、履歴をタップする。

「おっと」

「っ!!」

「あれ?なまえチャン。血相変えてどうしたの?」

「びゃく…らん……」

 何てタイミングだろう。全て仕組まれていたことに気付きもしないなまえは目の前の人物を見て愕然とした。

「はいこれ」

「え……?」

 手渡されたのは黄色いダリア。外は雨が降っているからか、雨水のついた花はライトに反射してキラキラと輝いた。よく見れば、白蘭の肩も薄らと濡れている。

「まだデスクの花は替えなくても」

「ううん、それはなまえチャンに」

「私に……?」

 なまえは視線を降ろす。心臓は先程から大きく音を立てている。指先から冷たくなり、血の気が引いていく感覚がした。黄色いダリアの花言葉は。

「栄華、優美、そして……」

「裏切り」

「っ!!」

「だよね?なまえチャン」

 顔を上げることが出来なかった。そうか、だからわざとあんなに見やすい所にあったのか。

(そんなことにも気付かないなんて、本当に私は馬鹿ね)

 もう、なまえに未来は無い。それならば、最後に素直になってみたって誰も怒りはしないだろう。

「悲しいの?」

 溢れるようにして零れる涙を、彼の長い指先が掬い上げる。
 そうだね、そうかもしれないね。だって現実は残酷なものだから。だけどね、本当の理由は。

「うん。あのね、ずっと、悲しかった」

 ゆっくりとなまえはポケットからもう一つの端末を取り出した。履歴の中から、父親の名前をタップする。暫くしてから通話が開始される表示が現れた。

『なまえ?』

「だって私、白蘭のこと愛してしまったから」

 白蘭は瞠目し、端末からは父の焦ったような声がした。

「不甲斐なくてごめんね」

 どちらに向けた言葉だったのだろう。なまえはそれだけ言って、電源を切り端末を床に落とす。落ちた音が響くと、彼女はダリアを両手で強く抱いた。

「ごめんね、白蘭。私、何にも出来なくて……」

 手は震えていた。白蘭は何も言わずに彼女の手を引く。

「否定して、ごめんね……っ」

 涙を零しながら謝り続ける彼女を優しく抱き締めた。擦り寄るようになまえは額を押し付ける。

「楽にしてあげる」

 悪魔のような囁きも、なまえにとっては心地良さまで感じられた。こくこくと、黙って何度も頷く彼女の顎を掬うと、白蘭は全く彼女と視線を合わせる。

「……いつから知っていたの?」

「ずっと前からだよ」

 ボンゴレが白蘭のことを調べあげたように、また白蘭もなまえのことを調べあげていた。ジェッソファミリーが設立された頃から、なまえの両親がCEDEFであることを知っていた。

「やっぱり、白蘭は意地悪ね」

「なまえチャンには言われたくないな」

「うん……裏切ってごめんね」

 それに答えること無く、白蘭は黙って彼女の頬を撫でた。

「もうおやすみ」

「うん……白蘭、ずっと守ってくれてありがとう」

 それと、正一もありがとう。
 最後の言葉が紡がれることは無く、黄色いダリアは儚く舞った。





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