善き冬のすごしかた



「構えがなってねぇ。そんなんじゃ一生綺麗になんねーぞ」
「ええ? もうわりとピカピカだと思うんだけど……」

 自分の家でもなんでもない、幼馴染の家の掃除を手伝ってあげているというのに、春千夜の言葉は少々辛辣だ。拭ききれてないとか、ここはもっとこうしろとか。まるでアニメやドラマに出てくる意地悪な継母や姑のようである。
 年末。ハロウィンと同じように、クリスマスが終われば世間はお正月ムードへ様変わりする。クリスマスツリーが飾られていた場所には門松が置かれ、煌めいた雰囲気は日付が変わったとともに眠りについた。活気があることには変わりないけれど、その空気感は全く別物だと言える。
 クリスマスのパーティーの後片付けの流れで、そのまま大掃除に突入した。我が家は母が随分前から少しずつ手を付け始めていたのでそれほど時間は掛からなかったけれど、明司家は別である。ほとんど春千夜と千壽ちゃんの二人で暮らしているようなものだが、家の広さはまあまああるのでそれなりに掃除する部分も多いのだ。加えて普段学校もあるため、大抵は冬休みに入ってから一気に片付けることが多い。そうして毎年、わたしも手伝わされている。
 浴室、キッチン、トイレ、リビング、その他和室など、大きな部分は終了した。各自の部屋は自分たちでやるとして、残すは玄関と廊下のふたつ。廊下はそれほどやることがないので千壽ちゃんが担当し、玄関はわたしと春千夜が受け持つこととなった。そして現在、磨き方について彼に文句を言われているところである。

「こう?」
「及第点ってとこだな」

 ブラシで磨いてから水をかけて流す。春千夜はその様子を見てひとつ頷いた。なぜ手伝ってもらっている側がこんなに偉そうなんだろう、というのはもう突っ込まない。別に今に始まったことではないからだ。
 学校の掃除はいい加減なくせに、我が家となるとその熱量はもはや異常なものだ。髪はポニーテールにまとめ、マスクにゴム手袋、掃除用のエプロンまで着用している。絵に描いたようなスタイルだ。かくいうわたしも、春千夜から手渡されたお掃除セットを身に着けているのだが。自分のテリトリーは綺麗でないと気が済まないのだろう。文句だけでなく掃除の腕も一級品である。

「ハル兄、なまえ姉終わったー?」
「今終わったよー。そっちは?」
「こっちも終わった!」

 最後に外の方へ水を流すと、ちょうど奥から千壽ちゃんがとたとたと駆けてやってきた。

「ってうわ! さむ!」
「ずっと玄関開けっ放しだったからね、中に入って暖まろうか」

 乾くまでもう少し時間が掛かるので玄関はそのままに、わたしたちはなかへと逃げ込んだ。もちろん、手洗いうがい、その他お掃除セットを取り去って。

「あったか〜!」
「やっぱり冬はこれだよね」

 リビングには大きな炬燵があって、わたしと千壽ちゃんは引き寄せられるようにそこへ足を入れた。少し前に電源を入れておいてくれたのか、なかはぬくぬくと暖かい。「生き返る〜」と、千壽ちゃんが温泉に浸かったときのような声を上げた。気持ちはとてもわかる。外、すごく寒かったし。
 すると遅れて春千夜がやって来て、わたしの向かい側に座り込んだ。ちゃっかり服まで着替えている部分はやはり流石だと思う。

「腹減ったな」
「んー、なんか簡単なものでも作ろうか……確か冷凍うどんあったよね?」
「なまえ姉作ってくれるの?」
「うん、いいよー。二人はそこで待ってて」
「やった!」

 キッチン掃除をしたときに見えたラインアップを思い出す。本当は温かいうどんの気分だけれど、玉ねぎやキャベツなどもあったので今回は焼きうどんにしよう。幸い冷凍庫に豚肉もあったはず。もちろん、その他調味料もなにがあるかは一通り把握済みだ。
 レシピ自体は簡単なのでそれほど時間は掛からないだろう。その上どこになにがあるかなど聞かなくてもわかるので、手際もわりとスムーズだ。それくらいこのキッチンには馴染みがある。もしかしたら自分の家とそう変わらない程度には、ここで料理をしているかもしれない。

 焼きうどんを平らげたあと、千壽ちゃんは遊んでくると言ってどこかへ行ってしまった。春千夜と違い好奇心旺盛なところがあるので、彼女が家で何日もダラダラと過ごしている姿はあまり見かけない。
 そうなると明司家に残るのはわたしと春千夜のみで、なにをするわけでもなく、ただのんびりと静かに時間を過ごした。炬燵に籠ってぼんやりとテレビを眺め、テーブルの上に置かれた蜜柑に手を伸ばす。一足先にお正月気分だ。

「あいた! ちょっと、春千夜足蹴らないで」

 すると突然、脛の辺りに春千夜の足がぶつかった。こつん、なんて軽いものではなくて、げし、と結構しっかりめの衝撃。しかし彼は反省する様子も見せず、平然とテレビに視線を向けたままである。

「ぶつかっただけ」
「どっちでもいいけど、痛いからやめて」
「へいへい足が長くて悪かったな」

 布団のせいで見えない分こういうことは多々あるけれど、春千夜の場合はちょっとその数が多いような気がする。むしろ追いやるようにわざと蹴飛ばしているのではないかと疑うくらいだ。

「つーか蜜柑食いすぎじゃね?」
「うーん、目の前にあるとどうしても手が伸びちゃうんだよね」

 冷めた視線がこちらに向いた気がしたが、わたしはそのままもうひとつオレンジ色のそれを手に取った。炬燵に蜜柑。最高の組み合わせだ。年末年始はこれに限る。我が家には炬燵がないので、どうしてもこの時期は明司家に入り浸ってしまう。

「飯食ったばっかでよく食えんな」
「甘くて美味しいよ? 食べる?」
「手が汚れるからパス」
「そういえばそうだったね」

 味自体は嫌いじゃないけれど、手が汚れるのが嫌という理由で、彼はほとんど蜜柑を食べないのだった。わたしはちょうど剥き始めたそれの白い筋を取って、春千夜の手のひらに乗せた。ころん、と小さなオレンジ色が彼の手の上を転がる。

「おひとつどーぞ」
「ん……美味いなこれ」
「でしょ?」

 春千夜の手のひらがもう一度わたしの前に差し出される。どうやら彼も、毎年わたしにこうしてもらっていたことを思い出したらしい。味を占めたように何度もそれを繰り返して、結局丸ごとひとつ分、彼は蜜柑を食べた。


* * *


「年越しの瞬間はやっぱりジャンプで決まりでしょ」
「まだンなこと言ってんのかよ」
「もはや恒例みたいになりつつあるから今年もやらなくちゃと思って」
「別に恒例じゃないけど」

 大晦日もしっかり明司家に入り浸っているわたしは、当然のように年越し蕎麦を準備してそのときを待った。春千夜はこう言っているけれど、隣に座る千壽ちゃんはかなり乗り気である。

「えー、やろうよハル兄」
「大丈夫だよ。そのときになったらどうせやってくれるから」
「……今ので急にやる気なくしたわ」

 初めからやる気などないくせに、まるでさっきまではありましたと言わんばかりの態度だ。とはいえ千壽ちゃんと間に挟み、手を繋いでジャンプすればもうこっちのものである。
 テレビの向こう側では有名な歌手たちが次々とヒット曲を披露していく。すでに年越しまで一時間を切っていて、番組自体もフィナーレに向かいつつあった。

「さて、じゃあそろそろお蕎麦の準備しようかな」
「自分もやる!」
「本当? ありがとう。じゃあお蕎麦お願いしていい?」

 お湯を用意している間、わたしはトッピングの準備に取り掛かる。蒲鉾、葱、海老天。深夜だけれど天麩羅はかかせないので、ここは最後の大仕事だ。まずは薄力粉、卵、冷水をボウルのなかに入れてかき混ぜ、天麩羅衣を作る。そして予め下準備をしておいた海老に粉をまぶしてから衣に潜らせ、熱した油のなかへそっと入れる。シュワ、と心地よい音と、香ばしい油の香りがキッチンに広がった。

「なんか一気にお腹空いてきたなぁ」
「なまえ姉お蕎麦上がるー」
「はーい。蕎麦つゆも温まってるよ」

 ぱちぱちからころと鳴る油のなかから海老を救出する。衣もしっかりとしていて、見た目は完璧だ。一度網の上に乗せて油を切ってから、紙を敷いたお皿に次々と盛り付けていく。なかなか上出来ではないだろうか。
 千壽ちゃんは一度冷水でしめたお蕎麦を再び温め直して器のなかに盛り付けていた。そうして蕎麦つゆをかけ、蒲鉾、葱を添える。

「完成ー!」
「春千夜ー! 出来たから持ってってー」

 のそのそとやってきた春千夜とともに、お蕎麦や天麩羅を運んでいく。テーブルの上にはすでにお箸やコップが並べられていた。どうやら準備しておいてくれたらしい。もちろん当たり前のようにわたしのお箸やお皿もあるので、わたしたちはそれぞれの定位置について炬燵に入った。

「いただきます」

 手を合わせこそしないものの、春千夜もしっかりとそう言ってお箸に手を伸ばした。そしてやはり最初に取るのはみんな海老天で、それぞれ塩を付けたり蕎麦つゆを付けたりと、各々好きな食べ方で頬張った。ちなみにわたしは一口目はお塩で、二口目からは蕎麦つゆ派である。
 どうやら天麩羅は成功したようで、かぶりついた瞬間、サクッと心地よい音が鳴った。シンプルだけれど海老の味がしっかりとしていて美味しい。そして二口目の蕎麦つゆを付けたバージョンは、衣につゆが染みてじゅわっと油と出汁のうま味が広がった。うー……たまらん。やはり揚げたてが一番である。
 そして次に温かいお蕎麦を啜る。炬燵に蜜柑もいいけれど、炬燵に蕎麦も最高かもしれない。茹で加減もちょうどいいし、今年は少し高めのお蕎麦を買ったためかコシや風味もいつも食べているものよりいい気がする。

「ん〜お蕎麦美味しい!」
「海老天うま!」

 千壽ちゃんと二人でわいわいと褒め合っているなか、春千夜はテレビを眺めながら黙々と食べ続けていた。別にわざわざ「美味しい! ありがとうね」なんて言う性格ではないけれど、掃除も手伝ったのだから少しは褒めてくれたっていいと思う。

「春千夜、お蕎麦と天麩羅美味しい?」
「ん」
「ん、じゃなくて」
「……うまい」

 ちら、とこちらに視線を向けてから、彼はそう言った。いつからこんなにもぶっきらぼうになってしまったのか。

「ニシシ」
「なにこっち見て笑ってんだよ千壽」
「なまえ姉が作ったものならなんでも美味しいって素直に言えばいいのに」
「あ?」
「あー! こら! ご飯中なんだから喧嘩しないで!」

 なにやら突然不穏な空気が流れ始めたので、最後に残った海老天ふたつを二人の皿に取り分ける。もう今年も終わるというのに、ここにきて喧嘩は止めて欲しい。もちろん冗談だろうが、もし仮に二人が本気で喧嘩を始めてしまったら、わたしは絶対に止めることができない。ボコボコにされるのが落ちだ。全身傷だらけで新年を迎えるなんて嫌すぎる。

「って、あ、やばい、そろそろ年越しちゃう!」
「え、嘘!? なまえ姉、ハル兄立って! 早く!」
「はぁ!? うわ、おいやめろ!」

 千壽ちゃんに引き摺られるまま炬燵を抜け、ソファの方へ向かう。テレビの画面には大きく数字が映し出され、年越しまでのカウントダウンをしていた。残り三十秒。わたしたちは急いでソファの上に乗った。

「いい? せーの、でジャンプね」
「うん、千壽ちゃんが声掛けてね」
「ハル兄も絶対ちゃんと飛んでね?」
「わーったってば」

 残り十秒。

「あ、海老天つゆに入れっぱなしだ」
「そんなのどうでもいいだろ」
「どうでもよくないよ。ちょっと付けるのがいいんだって」

 残り五秒。

「もー! ハル兄もなまえ姉もこっちに集中して! 行くよ! せーの!」

 千壽ちゃんの掛け声のあとに、春千夜の手を握ってその場でジャンプをする。するとテレビの画面からパン! と破裂音がしたのち、大きく「HAPPY NEW YEAR」と表示された。紙吹雪がキラキラと舞って、出演者が「あけましておめでとう!」と声を掛け合っている。そうして三人揃ってソファの上に着地して、意味もなく笑った。

「はー、今年は間に合わないかと思った」
「なまえ姉が飛ぶ直前に変なこと言うからだよ」
「衣のしなしな加減は重要だよ」
「……結局今年も飛ぶ羽目になった」

 転がるようにソファから降りて炬燵へと戻っていく。案の定衣はつゆを吸って大きくなり、ふよふよと水面を浮いていた。これはこれで美味しいんだけどね。
 すると玄関の方から物音がしたので、全員がリビングの扉に視線を向けた。むしろ春千夜はどこか警戒したように睨み付けている。すると(当然と言えばそうなのだが)廊下から入って来たのは武臣くんで、わたしは驚きのあまり思わずお箸を落としてしまった。帰って来たことにもだが、さっき二人に配った海老天が本当は武臣くんの分だったことを今思い出したからだ。

「ただいまー……ってあれ、なまえ来てたのか」
「あはは……こんばんは。お邪魔してます」
「むしろ兄貴が帰ってきたことにビックリなんだけど……なまえ姉は毎年一緒に年越ししてるよ」
「え? そうなの?」
「……まじでなんで帰ってきた」



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