幼い光



 ハロウィンを終えてしばらくすると、世間は一気にクリスマスムードへと変わっていく。街並みは煌びやかな照明に彩られ、広場には大きなクリスマスツリーが飾られるようになった。
 風が吹けば思わず身を縮こませたくなるような寒さだ。特に朝は気温も低く、ピンと張り詰めたような冷たい空気に包まれている。ほうっと息を吐き出せば白い靄が立ち上るほど。隣に並ぶ春千夜が小さく舌打ちをした。

「コートは着ない。マフラーもしない。そりゃあ寒いだろうね」
「……マフラーは千壽に取られたんだよ」

 忌々しそうに吐き捨てているが、そうなったことのきっかけは春千夜が去年彼女のマフラーを駄目にしてしまったからである。それに、毎年どうしてだか寒いと言いつつギリギリまでコートを着ないのだ。お陰で冬服のブレザー姿の彼は、周りと比べると幾分寒そうに見える。

「お前の寄越せよ」
「えー、やだよ。寒いし」
「どう考えてもオレのが寒いだろ」
「そんなに言うならマフラー買えばいいじゃん」
「じゃあ買って」
「なんでわたし? 絶対やだ」

 じろりと睨まれたがここは無視を決め込む。大体どうしてわたしが買わなければならないのだ。二年連続喧嘩によってボロボロにしたのは春千夜自身だというのに。
 しかし長く一緒にいるせいだろうか。彼の言葉に、まあクリスマスプレゼントとしてあげてもいいかな、と思っている自分もいた。別に大層なものでもなく本当にちょっとしたものだが、毎年なんだかんだ送っているのだ。

「そういえば今年はどこのにしようかな」
「なんの話?」
「ケーキ。クリスマスの」

 クリスマスと言えば、わたしたちは毎年ケーキを買いに行くのが恒例になりつつあった。年にもよるけれど、毎年万次郎の家やわたしの家でクリスマスパーティーをするからだ。春千夜の家は武臣くんが忙しく中々帰って来ない(実際のところなにをしているのかわたしは知らない)ことが多いので、いつからか一緒にやることになった。千壽ちゃんが小さいときに、大きなケーキが食べたいと言ったことも関係している。
 今年は佐野家が忙しいそうなので、我が家でこぢんまりと行うことが決まっている。大体の集まりは万次郎を中心にしているので、彼がいなければ他のメンバーが集まることはないのだ。小さいときは圭介もよく遊びに来ていたのだが、いつからかそれもなくなってしまった。
 いつもならケーキを買うときは駅前のデパートを巡ることが多い。あれが食べたいこれが食べたいと、みんなが我儘を言うため、購入するお惣菜もそれなりの数になってしまうからだ。しかし今年は人数も少ないのでその必要もないだろう。間に合うのなら、気になっていたケーキ屋さんで予約をするのも良いかもしれない。
 校門を潜りながら想像をしていると、隣に並ぶ春千夜が訝しげな表情を浮かべながらわたしを見やった。浮かれてついにやけてしまった自覚はあったので、慌てて緩んだ口角を元に戻す。案の定彼は呆れたような顔をしていた。


* * *


 クリスマスムードに変わっていくのはなにも街中だけではない。先日期末試験を終えた校内も、どこか浮ついた雰囲気に包まれた。

「なまえってやっぱりクリスマスも明司くんとなの?」

 クラスメイト数人とクリスマスの話題で盛り上がっていると、とある一人の女の子がそう尋ねた。クリスマスも、というのに少し引っ掛かりを覚えたが、一緒に過ごすのには違いないのでわたしは頷いた。

「毎年幼馴染の家族と一緒にホームパーティーをするよ。今年は春千夜たちだけとだけど」
「妹さんがいるんだっけ?」
「うん」
「デートとかしないの?」
「買い出しとかは行くけど……」

 そもそもわたしたちは恋人ではなくただの幼馴染だ。その上幼いころから一緒にいたので、デートという括りに当てはまるものではないし、今更そういうふうに考えるのも少し難しい。それをそのまま告げれば、クラスメイトは疑うような視線を向けた。

「なまえはそうじゃなくてもさ、明司くんはわかんないじゃん」
「春千夜がデートだって思ってるってこと? いやないよ」
「いやいやいや。なくないよ」

 クラスメイトの反応は食い気味だった。確かに毎日のように放課後一緒に帰ったり、休みの日もときどき会っていると聞けば、一般的にはそういうふうに思うのかもしれない。けれど現実はそんな簡単に恋愛に発展するわけでもなく、甘い雰囲気など皆無である。寒いからと言って物をたかるような男だ。小さな恋心を内に秘めているような、控えめで可愛らしい性格ではない。
 しかしデートという話は一旦置いておくとして、今年はイルミネーションやクリスマスツリーを見に行く余裕くらいはあるかもしれないと思った。普段千壽ちゃんはエマちゃんと一緒に飾り付けを担当しているので、今年は三人で外へ行くのもいいかもしれない。

「なまえって本当に明司くんに恋愛感情ないの?」
「ないよ」
「うわ即答……信じられない」
「そういうんじゃないんだって」
「でもさ、たとえばだけど明司くんに彼女ができたら? それでもなんとも思わないの?」

 春千夜に彼女ができたら。彼女なんていらないとよく言っているし、あまり想像がつかないけれど、絶対ないとも言いきれない未来である。彼女……うん、そうだな。

「めちゃくちゃ大変そう」
「一応聞いておくけど、なにが?」
「その彼女が」

 愛想がそれほどいいわけでもなく、案外細かいところがあるのでそれなりに苦労はするかもしれない。その上、少々気分屋なところがある。頼めば大抵のことは付き合ってくれるだろうが、ほとんどの事柄に興味のない彼が積極的に恋愛をするとは到底思えなかった。
 好きな人だったならば変わるのだろうか。もしそうならば、少しだけ見てみたいような気もした。彼女のことが大好きで、思いやりに溢れていて、気遣い、熱中する春千夜。想像は、やはり何度試みても浮かばないけれど。

「でも確かに春千夜に彼女ができたら、休みの日に連れ回せないよなぁ……」
「そうだよ。寂しくなるんじゃない?」

 とはいえ全く顔を合わせないなんてことはないだろうし、別にそれほど変わらないような気もした。今までは春千夜が先に予定を組んでしまっていたから声を掛けなかったけれど、高校にだって友人はいるし、千壽ちゃんやエマちゃん、それに圭介だっている。ちなみに万次郎はすぐにドラケンくんたちのところへ行ってしまう上に、わたしとの約束は大抵時間通りに来ないので却下だ。
 寂しくなるものなんだろうか。想像がつかないせいかいまいちピンと来ず、わたしはしばらく首を傾げたままだった。


* * *


 クリスマス。わたしと春千夜はお台場に来ていた。数日前に冬休みも始まったため、今年は午前中に準備を終えることができたのだ。そうして、「クリスマスケーキを買って来るついでにどこか出かけてきたら?」と母が送り出してくれたのである。人数も少ないからと、料理も母が全て用意してくれることになった。
 千壽ちゃんは友人と遊びに行くと言って別行動だ。結局いつも通り二人きりになってしまったが、クリスマスに買い出し以外で外に出ることなど滅多にないので、折角だからと少し遠出をすることになった。

 クリスマスなだけあって、駅の近くにあるショッピングモールは賑わいを見せていた。お昼は軽く家で食べてきたので、立ち並ぶ店を眺めながら人の流れに身を任せて歩いていく。

「……混み過ぎ」
「いつものデパートも中々混んでたけどね。流石にここまでではなかったかも。どこかで休む?」
「来たばっかだろうが」

 早くも疲れて休むと言うかと思ったが、案外楽しむ気はあるらしい。わざわざ店内に入ることはしないけれど、ぼんやりとなかを眺めてはいるようだった。
 有名なアクセサリーショップやファッションブランド。その他にもプレゼントにぴったりな商品が多く揃えられているお店には、それなりに人だかりができている。

「あ、春千夜、ここ見たい。いい?」
「なんでここ?」

 足を止めたのは男性向けファッションブランドのお店だ。一応女性服も揃ってはいるけれど、わたしが普段着るような系統ではない。彼は眉を顰め、わたしを見やった。

「春千夜の。マフラー買えって言ったじゃん」
「別に要らねぇ」
「とか言ってすぐわたしの取ろうとするでしょ」

 クリスマスプレゼントにはちょうどいいからか、お店にはずらりとマフラーや手袋、それに財布類が並んでいる。わたしは春千夜の腕を無理やり引いて、店内に足を踏み入れた。
 ファッションにはそれなりにこだわりがある上にセンスもいいので、彼のコーディネートはいつもきちんとまとまっている。服を送るのは少々難易度が高いけれど、マフラーくらいならば大丈夫だろう。

「これとこれだったらどっちがいい?」
「どっちでも」
「えー、決めてよ」

 最初は渋っていた春千夜もマフラーが欲しいのは嘘ではなかったようで、わたしの後ろで静かに眺めている。見ているなら決めて欲しいんだけどな。好きな系統はなんとなくわかるけども、隣にいるのなら一緒に考えてくれたっていいのに。
 冬になると私服はタートルネックが多くなるので、付けるのは学校の日がほとんどだろう。となると制服に合わせて落ち着いた色合いの方がいいだろうか。ちなみに私服はときどきだが奇抜な色を着たりする。どこで買ったの? と思わず疑問を抱いてしまうようなやつ。しっかりと似合っているので指摘したことはないけれど。

「うーん……これかな。どう?」
「別にいいんじゃねぇの?」
「もー、春千夜のを選んでるんだからもうちょっと真剣に答えてよ。あとからやだって言われてももう絶対あげないからね」

 結局、シンプルな無地のマフラーを選んだ。これならば私服のときでも着けられるだろうし、文句も言わないだろう。
 レジの方へ向かうと、案の定人だかりができていた。目の前で買ったとはいえ一応ラッピングしてもらおうかと思っていたけれど、これでは少し時間がかかってしまうかもしれない。

「春千夜、外で待ってていいよ」
「あ? なんで?」
「ラッピングしてもらおうかと思って。混んでるからちょっと時間かかるかも」
「んなの要らねぇよ」

 しかしレジだけでもすぐに終わらないことを察したのか、彼は少し迷ったのち、「終わったら連絡して」と言ってお店を抜けた。やはりなんだかんだ人混みにうんざりしていたのかもしれない。そもそも好きな人などほとんどいないだろうが、彼の人混み嫌いは群を抜いていると思う。
 列に並んでしばらくすると、ようやくわたしの番が回ってきた。ラッピングもクリスマス用にいくつか取り揃えられていて、リボンと組み合わせて選べるらしい。春千夜と言ったらピンク、それから黒(おそらくこれは東卍の特攻服のせいだろう)のイメージがあるけれど、男性にあげるならその組み合わせは避けた方がいいかもしれない。ピンクの他にはゴールドやシルバー、定番の赤や青もあった。

「すいません、袋はこの黒いやつで、リボンはゴールドでお願いします」
「かしこまりました。番号をお呼びいたしますので店内をご覧になってお待ちください」

 時間にして十五分くらいだろうか。店内をふらふらと回りながら待っていると、紙袋を手にした女性店員が番号札を読み上げた。十五番。わたしに渡された番号だ。目が合ったのでそのまま近付くと、彼女は丁寧な所作で頭を下げた。

「大変お待たせいたしました」
「いえ、ありがとうございます」
「よろしければ出口までお持ちいたします」

 すいません、とあとに続くと、店員は出口までわたしを案内した。そうして紙袋を手渡す瞬間、「彼氏さんへのプレゼントですか?」とわたしに尋ねた。

「え?」
「先程一緒にご覧になられてましたよね。マフラー、きっとお似合いになると思います」
「あー……えっと、ごめんなさい彼氏ではなくて……その、友達です……」

 なんだか申し訳なくなって声量が尻すぼみになっていく。すると女性店員は慌てたように頭を下げた。

「それは大変失礼いたしました……! 仲がよろしいんですね」
「そう、ですね。仲は良い方だと思います」

 良いクリスマスを、と見送られながらお店を抜ける。通路に春千夜は見当たらなかった。もしかしたら人が少ないところまで移動したのかもしれない。メール……いや電話の方が早いか。通話履歴を開いて、彼の名前を探す。
 今日という日もあって、傍から見ればカップルに見えるのだろう。そうでなくても間違えられたことはたびたびある。一度や二度ではない。両手で数えられるかも危ういくらいだ。
 春千夜の名前を選択してからちょうど二コール目が鳴ったところだった。ぽん、と頭に軽い衝撃がやってきたので、後ろを振り返る。

「あ、春千夜。今終わったからちょうど電話しようと思ってて……なにか買ったの?」

 どこか人の少ないところで休んでいるのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。彼の手には先ほどまでなかった小さな紙袋が握られていた。

「どんだけ人いんだよ」
「カフェでも入って休憩する?」
「どうせそっちも混んでんだろ。買って外行こうぜ」

 質問に答えるつもりはないらしい。人のあいだをすり抜けるように、わたしたちは出口へと向かった。

 曇り空だったこともあって、早くも外は薄暗くなり始めていた。そうするとショッピングモールの外壁にあった装飾がきらきらと瞬き始め、昼間とはまた違った景色が広がっていた。
 途中にあったカフェでココアをテイクアウトしてビーチの方へと向かう。そこには大きなツリーが飾られており、綺麗にライトアップがされていた。その先に見えるのは瞬く光を映した海と、長いレインボーブリッジ。

「わー! 綺麗!」

 外もそれなりに人がいたが、まだ日が沈みきっていないためかモール内よりかは落ち着いていた。ウッドデッキの上をゆっくりと歩きながら、ライトアップされたツリーやイルミネーションを眺める。
 いつものようにみんなでクリスマスパーティーの予定だったならば、こんなふうに遊ぶこともできなかっただろう。もちろんあれはあれで楽しいし買い出しも苦ではないけれど、少し大人な気分になってわくわくする。

「なまえ、あれ出して」
「あれってなに?」
「それ。寒い」

 そう言って春千夜はマフラーが入った紙袋を指差した。少し前まで要らないと言っていたくせに。しかし出番がないよりかはずっといいだろう。
 せっかくラッピングしてもらったが、一時間もせずに開けることになってしまった。ウッドデッキの端に寄って、金色のリボンを解いていく。新品と取り替えてくれたようで、なかには透明の袋に入ったマフラーが出てきた。

「はい、どうぞ。メリークリスマス」

 特別喜ぶわけでもなく、春千夜は「ん」とだけ言って少しだけ屈んだ。巻け、ということだろうか。確かに両手にはわたしと春千夜のココアが握られているので、きっとそうだろう。

「もー、自分で巻いてよね」

 前傾姿勢になったことで目の前にはさらさらと彼の綺麗な髪が流れてくる。わたしはそれを避けながら、彼の首にそっとマフラーを巻き付けた。シンプルなデザインのため、それは当然のように似合っている。これならば私服でも制服でも大丈夫だろう。
 巻き終えると、春千夜は小さな声で「さんきゅ」と言って姿勢を正した。心做しか表情もどことなく嬉しそうにも見える。肌触りのいいそれに少しは気に入ってくれたようで、顔をうずめるように体を縮こませた。

「どう?」
「良い」
「それは良かった」

 すると突然春千夜の手がこちらに伸びてきて、わたしの耳に触れた。ココアを持っていたとはいえ、すでに冷え始めていたからか彼の指先は冷たく、思わず少しだけ肩が震える。

「え、なに?」
「いいから。これ持ってて」

 言われた通りに春千夜のココアを受け取って大人しくしていると、もう一度指先が耳に触れる。そうして耳の裏をなぞり、ぐっとなにかを引っ張られた。おそらくピアスのキャッチを外したのだろう。ちなみにピアスホールは高校に入ってすぐに春千夜に開けてもらった。

「これも持って」

 次はなにを持たせる気なのか。すでに両手は塞がっていたため、わたしはウッドデッキの手摺りにココアを置いて言われるがまま両手を差し出した。すると、ころん、とわたしの手のひらにピアスが転がる。つい先ほどまで耳に着いていたものだ。なぜ外されたのだろう。それなりに気に入っているものだったが、もしかして似合っていなかっただろうか。ここにきて駄目出し? 彼の前でも何度か着けているし、それは違うと願いたい。
 顔に出ていたのだろう。春千夜が少しだけニヤッとした。なんかむかつく。しかしそれさえもバレたのか口を開こうとした瞬間に、「暴れんなよ」と告げられた。暴れないし、そう言うなら最初からなにをするか言って欲しい。
 すると彼は紙袋から小さな箱のようなものを取り出して、再び上体を屈めた。先ほど聞きそびれたあの小さな紙袋だ。しかしその中身は、ぱかりと貝殻のように開封された蓋に遮られてしまってよく見えない。

「……ピアス?」
「そう」
「でもこれじゃあ見えないよ」
「帰ってから見ればいいだろ」

 そっと春千夜の指がわたしの耳に触れ、ピアスを装着していく。あまりの至近距離に思わず静かに息を潜めた。左が終わり、今度は右……どうやら着け終えたようで、彼がゆっくりと離れていく。

「クリスマスプレゼント、ってこと?」
「……まあ」
「へへ、ありがと」

 指先でちょん、と触れてみる。感触的に小ぶりのフープピアスのようだった。色やデザインが見えないのが残念だけれど、春千夜が選んだのなら心配はいらないだろう。手鏡は持っているが、家に着いてからのお楽しみとして取っておくことにした。
 冬は日が沈むまでの時間が本当にあっという間で、気が付けば夜空が広がっていた。イルミネーションや夜景を映した水面がゆらゆらと揺れている。わたしたちはしはらくそれを眺め、それからケーキを受け取るために帰路へとついた。


「あれ、なまえ姉そんなピアス持ってたっけ? 石がピンク色で可愛い」

 ケーキを持って帰ると、すでに千壽ちゃんは我が家に戻って来ていた。そうして今朝と違うピアスを着けていることに気付くと、羨ましがるように見つめる。
 ピンク色なんだ。
 思わず春千夜の方に視線を向けたけれど、彼はこちらを振り向くことなくリビングの方へと行ってしまった。どうしてこれを選んだのか、それは彼にしかわからないけれど、自分の色と重ねて選んでいたら可愛いなと思って、わたしは鏡の前へと急いだ。



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