8:00


 やばい遅刻する! そんな勢いで掛け布団を取っ払って目が覚めた。チュンチュンと鳥の囀りが微かに聞こえる、絵に書いたような気持ちのいい朝。一体何時だ。しばし固まる。おそらく5秒くらいだろう。そして次に鳥の囀りが聞こえたときには、先ほどの勢いと負けず劣らず盛大に背面から再びベッドに寝転んだ。なあんだ、今日休みじゃん。ヘッドボードに置かれた目覚まし時計の時刻は8時過ぎを指していたが、その下にははっきりと10月22日(土)と表示されている。とても損をした気分だ。大きくため息をついてから、わたしは温もりの残るベッドに潜り込んでもぞもぞと枕に顔を埋めた。二度寝しよう、そうしよう。

「……ん、あれ、待って……? ベルさん!」

 バッと勢いよく飛び起きた。この場に両親や友人、先ほど名前を上げたベルさんがいたならば、落ち着きのない奴だな、と呆れた視線を向けられたに違いない。しかし部屋には誰もいないので、室内には土曜の朝の静かな空気が流れるだけだ。枕元に転がっていたスマートフォンは案の定充電器が差し込まれておらず、電池残量は3パーセントと表示されていた。というより、逆によく電源切れなかったな。

「……やってしまった……」

 ホームボタンを押して画面を見る。そこには通話履歴一覧並んでおり、一番上にはしっかりとベルさんの名前が表示されていた。通話時間はおよそ1時間半。時刻は深夜2時頃だった。
 久しぶりの通話だった。前回したのは半月くらい前だろうか? しかしそれもほんの一瞬のことで、移動中に掛けてきたような感じだった。
 最初の30分くらいは覚えている。突然掛かってきた挙句、「なにしてんの?」という突拍子もない質問からの切り出しだったが、わたしは久しぶりのベルさんに浮かれて、ここ最近あったことをこと細かく話したのだった。ベルさんは「ふーん」だとか「へー」だとか、聞いてきた癖にあんまり興味がなさそうだったけれど、なんだかんだ切らずにずっと聞いてくれていた。案外優しいのだ。
 しかしそのあとの記憶がない。「明日なんかあんの?」みたいなことを聞かれて、確か、お昼の予定を言ったような気がする……。今日は京子ちゃん、ハルちゃん、クロームちゃんと一緒にランチをする予定なのだ。並盛駅の近くに最近出来たイタリアンレストラン。先日母から美味しいと聞いたのでわたしから誘ったのである。
 そしてそのあとまたベルさんは「ふーん」みたいな反応をして……、うーんそのあとの記憶がない。どうやらその辺りで寝てしまったらしい。ああ、本当にやってしまった。ベルさんとたくさん話せる機会なんて、本当に滅多にないのに。おそらく昨晩も1時間は話していないだろう。つまり彼は寝落ちしたわたしとの通話を、しばらく切らずにいてくれたということだ。なんということだ。朝から胸が苦しい。素っ気ないし扱いが結構雑だけれど、こういうところあるんだよなあ。
 わたしはアプリを開いてベルさんにメッセージを送った。「昨日寝落ちしてごめんなさい。また時間あるとき電話したいです」そして最後にミンクちゃんがしょんぼりしているスタンプを送信。猫でも犬でもなく、ミンク。物珍しさに購入したのだが、このミンクちゃんスタンプをベルさんに初めて送ったときに、「センスあんじゃん」と、ほぼ初めてと言っても過言ではないほど珍しく褒められたので度々使用している。いや、度々ではなくしょっちゅうだ。だって、なんだか送ると嬉しそうだし。それにわたしも少しでもいいから彼によく思われたい。恋する女子は単純な生き物なのだ。ベルさんに動物を愛でる感覚があることに少し驚いたことは置いておいて。
 基本的に通話のときは彼から掛けてくることが多い。そもそもいつ通話できるのかとか、タイミングがわからないのだ。マフィアの暗殺部隊とは聞いているけれど、その内容や1日のスケジュールなんて、全くと言っていいほど把握していないし想像もつかない。気軽に掛けて仕事中にうっかり着信音が鳴っちゃう(音が鳴らないようになっているだろうが)、なんてことがあったりでもしたら。彼の仕事内容の詳細はわからずとも、死と隣り合わせの場所で生きていることくらいは知っているので、絶対にそんなことにはなって欲しくない。きっかけは作りたくなかった。
 とはいえ、せっかくの話せるチャンスを自ら潰してしまって寂しいのは事実だ。またこちらから折り返せないもどかしさも。次はいつ頃会えるのかな。電話で聞けばよかったな。メッセージだとあとから見返せるのが恥ずかしくて送りにくいし。思わずはあ、とため息をついて、ぽすりと枕に顔を埋める。昨晩のベルさん、心做しか機嫌よさそうだったな。へー、の数が普段より少なかったような気がする。なのに寝落ちしてしまうなんて……本当わたしのばか。

「起きてるなら降りてらっしゃい」

 扉越しに母にそう言われて「はあい」と声を張り上げた。もう少しごろごろしていようと思ったんだけどな。けれども眠気はとうに覚めてしまっていたので、言われた通りにベッドを降りる。う、さむ。昼間は暖かいけれど季節はもうすっかりと秋で、朝と晩は冷え込む日が多くなった。厚手のカーディガンを羽織ってから、自室を抜け階段を降りる。そういえばイタリアも結構寒いって言ってたな。ベルさんは涼しくなって動きやすくなったと喜んでいたけれど。
 彼に送ったメッセージの返信はない。お仕事中かな。この時間は返信が来ることが多いけれど、もしかしたら今日は忙しいのかもしれない。あんまり何回も送るのは鬱陶しいかな、とも思うけれど、今日は女子会をするって話をしたし、あとでランチ風景の写真でも送ろう。







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