その眩しさを誰にも知られないで

 ゆるやかではあるが日向を歩けばわずかに汗が滲むようなあつい夏の日。けれども澄んだ青空と湿度の少ない空気のお陰か、はたまた本日夏休み前の期末テストを終えたためか、気分は晴れやかであつい太陽の下を歩いてるわりに足取りは軽かった。校門を抜け、しばらくブロック塀の壁伝いに歩いたのち、同じ中学の制服がほとんど見えなくなったころ。角を曲がった先に目的の男が見えた。

「圭介」
「おせーよ」
「終わってからすぐ来たってば」

 ダサい眼鏡をかけて、きっちりと乱れなく髪を結った男──場地圭介はアイロンがかけられたほとんど皺のないワイシャツの、これまたきっちりと手首まで伸ばされた袖のボタンを外しながらこちらを見やった。なんとも夏に似合わない格好だ。けれども肩にかけられたスクールバッグは数日前見たときとは違い、遥かに薄く役目を果たしているのか不安になるほどみすぼらしい姿に変わっている。

「先に眼鏡から外したら?」
「このあと外すっつうの」
「見た目と口調が合ってなさすぎるんだって」
「うるせぇワ」
「教科書は?」
「置いてきた」

 盛大にため息をつくと圭介は「テストも終わったしもういらねぇだろ」と、歩きながらボタンを外した袖を捲って、眼鏡を外したあとわたしの手のひらにそれを持たせる。そうして結っていたヘアゴムを外して、きっちりとまとめられたそれをガシガシと乱雑に手櫛で解いたのち、「あ〜」と唸るような声を上げて今度は首元のボタンに手をかけた。

「あっつ!」
「そんな格好してるからだよ」

 圭介が咎めるようにほんの少しわたしを睨んでから、眼鏡を奪い取って胸元のポケットに入れる。持ってあげたのだからむしろ感謝してほしいくらいなのに。そうしてあっという間に夏に相応しい格好となった圭介は、艶のある黒い髪を風にたなびかせて日向の下を歩いていく。

「腹へった。飯食うか」
「圭介の奢り?」
「ハ? なんで」
「勉強教えたのわたしだし」
「……」
「決まりね」
「わーったよ」

 降参したようにひらひらと手を揺らす圭介に続いて近くのファミレスに入っていく。店内はしっかりと冷房が効いていてひんやりと涼しく、あっという間に滲み出た汗が引いていった。
 窓側に面したテーブルに向かい合って座る。圭介は慣れた手つきでメニューを二つ取ったあとわたしの目の前に一つを差し出し、期間限定のメニューも合わせてテーブルの上に置いた。わたしはペラペラとそれを捲って、薄緑色のデザート写真がいくつも並んだページを眺める。

「メロンフェアだって」
「オマエ人の金だからって馬鹿みたいに食うなよ」
「パフェ食べたい」
「ハァ? 飯は?」
「うーん、暑いしそんなに食べられるかわかんないから」
「飯も食わずに甘いもの食うとかまじで有り得ねぇだろ」

 言ってることがお母さんと一緒だと思ったけれど、口にすればまた睨まれそうなので黙っておく。しかし顔に出ていたのかそれとも心を読まれたのか結局圭介には睨まれてしまって、そのまま彼は呼び出しボタンを押してからハンバーグのランチセットを一つとオムライスが一つ、それからメロンパフェを一つ頼んだ。

「そんな食べるの……?」
「なまえの分もに決まってんだろぉが」
「どっちがわたし?」
「オムライス。好きだろ?」

 別に普通だけど。と答えれば圭介はテーブルの下でわたしの靴をコツンと足先でつついた。本当は好きだけど、圭介のくせになんかむかつくから嘘をついた。でもきっとそれすらもバレている。ドリンクバーでストローと共にガムシロップを二つ勝手に持っていく時点で、もう色んなことが把握されてしまっているのだ。
 頬杖をつきながら夏の日差しに目を細めて窓の外を見る圭介は、これもむかつくけれどかっこよかった。わずかにウェーブ描いた黒髪の隙間から鋭い瞳が見えて、すっと伸びた鼻と顎先がほんの少しだけ上を向いている。なにを考えているかだなんて、どうせ東卍のことばっかりに決まっているけれど。

「いつまでそのガリ勉君の格好続けるの?」
「別に決めてねぇけど」
「……そう」

 そののち「なんで?」と尋ねた圭介の言葉のあとすぐに料理が到着したため、わたしはその答えを言わずに済んだ。元より素直に言うつもりもなかったけれど、バレてしまうのは嫌だったからよかった。つやつやとした半熟の卵と、濃厚なデミグラスソース。ほんのりと立ち上った湯気から香るその匂いは、先ほどまで感じなかったはずの食欲をそそった。
 何度もこのファミレスには来ているからわたしは知っている。このオムライスにはグリンピースが入っているということを。わたしは慎重にそれを取り除いて、時折ソースも掬いながら口に運んでいく。
 すると再びコツンとなにかがわたしの靴にぶつかったので視線を上げれば、圭介がハンバーグを頬張りながらこちらを向いていた。「なに?」と首を傾げれば彼は「一口寄越せ」と言ってスプーンを取ると、返事を聞く前に反対側のオムライスにスプーンを立てて掬っていく。端に寄せたグリンピースも持っていって。

「まだ食えねーのかよ」
「美味しくないんだからしょうがない」
「へーへー」
「馬鹿にしてるでしょ」
「ガキだな」
「圭介に言われたくない」

 留年したくせに。そうすればあんなダサい格好もしなくてよかったし、学校で過ごすのもバラバラにならなかったのに。けれどそれだけは絶対に言えなくて、無言のまま睨みつければ圭介はハンバーグを一口サイズに切り分けたあと、わたしのオムライスの上にそれを乗せた。

「怒んなって」
「怒ってないし。というよりもうあんまり食べられない」
「パフェ来んぞ」
「それは食べる」
「オマエの腹ン中どーなってんだよ」
「別腹だもん」
「かわいこぶんな」

 流石に奢ってもらうのに残すのも失礼かと思い、スプーンを握り直す。けれども圭介はああは言ったもののわたしからオムライスを奪い取るとケチャップライスを一粒も残すことなく綺麗に食べてくれたので、お礼にメロンパフェも半分こした(というより圭介が勝手に食べたに近かったけれど)。そうしてテストの手応えがいいとかわるいとか、夏休みマイキーくんたちとどこに行くかとか、そんな話をして結局数時間もだらだらとファミレスに居座った。

 別に四六時中一緒にいるわけでもないし、こうして放課後たまに会っているのだから今までとそんなに変わらない日々ではあるけれど、本当だったら夏休み明けの体育祭も、来年の遠足も修学旅行も、圭介と一緒に参加して行けたはずなのにと、心のどこかで思ってしまう。それがやっぱりわたしには面白くなくて、けれど寂しいだなんて恥ずかしくて口が裂けても言えないから、こうしていつも心のどこかでもやもやしているような気がした。
 それぞれの家へと続く分かれ道。わたしはいつもの通りスクールバッグを抱え直してからくるりと反転して「じゃあ明日ね」と圭介に手を振った。けれどいつもであれば「おー」だとか「んー」だとか気の抜けた返事が返ってくるはずなのに、今日だけは黙りこくったままわたしを見下ろしていて。そうしてわずかに首を傾げたとき、わたしの髪をぐしゃぐしゃにする勢いで彼は突然頭を撫でた。

「えっ! なに!」
「別に、なんでもねぇ。寄り道すんなよ」
「それは圭介の方でしょ!」

 乱れた髪を手櫛で整えながら睨みつけるように圭介を見上げれば、彼は八重歯を見せつけるように笑っていた。わずかに日が傾いた帰路は家々の隙間から橙色の光を零していてむかつくくらい眩しかったから、わたしは彼の手を引っ張ってから唇を押し当てて、逃げるようにして踵を返した。圭介のそのときの顔はよく見えなかったけれど、数秒後、背後からわたしの名前を叫ぶ声が聞こえたから内心悪態をついて慌てて走る速度を上げた。昼間よりも、ずっとずっとあつくなった頬に手を添えて。


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