未来を認める私でいたい

 石畳の入り組んだ裏道。暖かい色の家々が並ぶその先には小さなバール。入口は開け放たれていて、店先にも小さな椅子とテーブルが置かれており、足場の悪い上に置かれたそれは少しだけ揺れるがそれすらも馴染みのある、通い慣れた店。

「本当に此処で良かったのか?」

「ディーノはここは嫌?」

「嫌なわけじゃないけど……」

 からりとした空気の中、微かに混じっているのは海の匂い。照りつける太陽に透けた、はちみつみたいな色をした髪は前回会った時よりも緩かな曲線を描いていて、男性に向ける言葉では無いのかも知れないが、より一層美しくなったな、と私は密かに心の中で思った。
 目の前に座るディーノは晴れやかな大空と空気とは裏腹に、少々曇った表情を浮かべながら私の顔を覗き込んだ。はちみつ色の髪と同じ色をした瞳と視線が絡む。本当に、いつ見ても美しい。空から眩く降り落ちる陽の光を吸収し、透き通るようなその瞳は何年経っても変わることなく暖かさを宿していた。本当に太陽に愛された人だと思う。恐らくディーノは久しぶりに会ったのに何故此処を選んだのかと思っているのだろう。キャバッローネファミリーのボスとなり、もうたくさんの月日が流れているが、ふとした瞬間、またはプライベートな時間、マフィアのボスとは思えないほど顔によく出るのだ。

「私は此処好きよ」

「折角ならホテルのレストランでも」

「夜はディーノの好きなもの、作ってあげようかと思ったのに」

「そ、それは!なまえのご飯は……嬉しいけど」

 きっとディーノのことだから、私に気を使って家事をさせないためにもそう思ったのだろう。久しぶりに会うからこそ今日を特別な日に。煌びやかなホテルでゆっくりと過ごし、美味しい料理とお酒を楽しみながら、会えなかった日々を埋めるように言葉を重ねる。何故そこまで分かるのかというと、過去何度かもそうだったからだ。
 風がゆっくりと流れ、再び海の香りを感じる。彼の口から語られる日本での出来事や、ファミリーの話はいつも飽きることがない。特に、じゃじゃ馬のヒバリくんの話は、どこか昔のディーノを思い出すようで懐かしく感じる時だってあった。もう、こんなにも月日は経ってしまったのだ。会う度に貴方は強くなって、大人になって、どんどん遠く離れていってしまったような気持ちになる。きっとディーノはそんな私の気持ちになんて全く気付いていないのだろうけど。

「あ、帰りに材料買わなくちゃ」

「無理しなくてもいいんだぜ?」

「いいの。私がやりたいの」

 煌びやかなホテルで見せる紳士的な笑顔よりも、私が作った料理を美味しいと言いながら、子供のように頬張る表情が見たいだなんて言ったら、貴方はどう思うかしら。日本での出来事を聞く度に、私も連れていってと言いたくなるのを堪えているだなんてことも知ったら、きっと貴方は驚くのでしょうね。そんなこと、一度も言ったことが無かったから。
 ロマーリオさん達がいる時はやけに鋭いのに、二人で会う時は全然気付かないだもの。でも、それでいいと思った。むしろその方がよかった。二人きりの時に時折見せる表情は昔とちっとも変わっていなくて、それを見る度に私は安心するのだ。遠く離れていってしまったと感じた距離を手繰り寄せるように、いつもいつも私が知っているディーノの表情を探している。

「ディーノ」

「ん?」

「キスして」

「ここでか?」

「うん、だめ?」

 ディーノが小さなテーブルに手をかけると、足場の悪い位置に置かれたテーブルは力が掛かったことにより、がた、と音を立てた。少しだけ屈んで、近付く彼の顔を盗み見ようとするが「ほら」と、優しく声を掛けられ思わず瞼を閉じた瞬間に、唇に柔らかな感触。何度か啄むようなキスをしてから、ちゅ、とリップ音を鳴らして唇を離し瞼を開けると、ディーノは少しだけ困ったような表情を浮かべていた。

「ちょっと、暑いな」

 場所を問わず、彼からキスをすることなんてたくさんある筈なのに、私から強請られたことに驚いているのだろうか、ほんのりと頬は薄桃色に染まっており、はちみつ色の瞳は先程よりも緩く蕩けそうである。その瞳でもっと私だけを見てくれたらいいのにだなんて、口が裂けても言えないけれど、多少くらいキスのお強請りくらいしたって構わないだろう。

「ディーノ」

「なんだよ」

「もう一回」

 今度は少しだけ目を見開いていた。その表情に、昔もよく何かと驚いていたことをふと思い出す。格好良いだけではない色んな表情を私に見せて。貴方が生まれ育った此処で、私はずっと待っているから。私のところに戻ってくる時くらいはキャバッローネファミリーの十代目ではなくて、私の幼馴染であり恋人のディーノとして隣にいて欲しい。
 ディーノの大きくて骨ばった手がゆっくりと私の手の甲を撫でたあと、ぎゅう、と少しだけ強めに握られる。視線を手のひらから顔に移して、私は思わず息を呑んだ。
 そんな表情しないでよ。
 照りつける陽の光がより一層強くなった気がした。


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