▼ 09

 マリアたちが廊下を進んでいく後ろ姿を見送り、なまえとフェデリコも歩き出した。

「悪かったな、急に呼び止めて」

「ううん。いいの、あなたは私の人生を豊かにしてくれてる一番の人じゃない」

 満面の笑顔をむけられ、フェデリコは肩をすくめた。なまえに思いを告げるまで大勢の女性を振り回していたはずの自分がなまえの笑顔ひとつでこんなに振り回されている。胸にひろがる甘く切ない気持ちを自覚しながらフェデリコは彼女の腕を掴んだ。建物の陰になまえを連れて行って、驚くなまえの唇を優しく塞ぐ。

「っ…フェデリコ?」

「渡したいものがあるんだ」

「うん」

 そう言って彼が取り出したのはペンダントだった。ずしりと重い銀製で、チェーンは金でてきている。アウディトーレの頭文字Aが掘られただけの簡素なデザインのアクセサリーだった。

「これは…」

「父上から頂いたものだ。大切にしろと俺とエツィオにくれたんだが…なまえに持っていて欲しいんだ」

「そんなに大切なものをどうして?」

 驚きながらペンダントを受け取るなまえに、フェデリコは眉をひそめて声を少し落とした。

「…最近、父上の様子がおかしい。アルベルティ判事が神妙な面もちで家を訪ねてきたり、真夜中に出かけたり…。そう、ちょうどミラノの公爵が暗殺されてから…」

「…おじさま、どうしたのかしら。心配だね」

「ああ。だが父上は聞いても話してくれない。うまくはぐらかされてしまう」

 苦笑を浮かべて、フェデリコはなまえを引き寄せた。片手を彼女の腰にやり、もう片手でペンダントを持つ彼女の手を握る。

「俺は、きみも家も守りたい。きみにこれを渡すのはその決意の証なんだ。もらってくれるか?」

「私もあなたの力になりたい。もちろん、このペンダントは大切にするわ。絶対に絶対に大切にする」

「ああ」

「…むかし、おじさまから貰ったアクセサリーは壊れてしまったけど…」

 ふたりは静かにペンダントに目を落とした。
 懐かしい。まだふたりが幼かった頃、ジョヴァンニがなまえにブレスレットをプレゼントしたことがあった。それこそヴェネツィアへの仕事帰りに行商人から買ったおもちゃのような代物だったが、大好きなジョヴァンニからのプレゼントになまえは喜んだ。絶対に大切にすると誓った。だが遊びの最中、転んだ拍子にブレスレットは割れてしまい、なまえは声をあげて泣いた。エツィオに心配され、フェデリコにに声をかけられても泣き続けた。結局、クラウディアに呼ばれて駆けつけたジョヴァンニに抱き上げられ、慰められてようやく落ち着いた。

「ジョヴァンニおじさまは、かたちがあるものは全て壊れるものだからって慰めてくれたけど…悲しかった」

「父上は心配していた。ブレスレットひとつであんなに泣いて、もっと大切なものを失ったらなまえはどうするのかと」

 フェデリコの言葉にジョヴァンニの優しい瞳を思い出す。そういえば父も朝から忙しそうにしていた。ジョヴァンニの様子がおかしいのも、何か仕事のことかもしれない…それとも、他に何かあるのだろうか。ミラノ公爵の暗殺、パッツィ家、優秀な判事、一抹の不安を感じるにじゅうぶんな単語の羅列だ。なまえは思考を巡らせたがすぐに暗雲を散らすように頭をふり、フェデリコとふたりで遅い昼食をとりに街へと出かけた。



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