Romantic Nightmare

▼ 物読みの憂い


「着いたよ」

 香織の声と共に、車が駐車場にゆっくりと止まった。荊兎はぬいぐるみを自分のいた座席に座らせると、車を降りて悠の元へ駆け寄った。磁石が吸い付くようにくっついて離れない兄弟を、香織は目を細めて眩しそうに眺めている。
 三人が訪ったショッピングモールは、衣服や雑貨を中心とした様々な店が大きな建物内に集結しているタイプの作りをしており、その取り扱うジャンルも多岐に渡っているため、特定のどれと決まっていないときに、悠と香織がふらっと立ち寄る先として愛用している場所だ。

「荊兎ちゃんに似合いそうなのは六階かな」
「六階というと……中央エスカレーターが早いか。おいで」

 荊兎の手をしっかり繋ぎ、香織に続いて歩き出す。休日ということもあり店内は人が多く、どこを向いても混雑している。各店舗から流れ出る曲が混ざり合った不協和音がモール全体の特徴となっており、どの階へ行っても雑多な音が縦横無尽に跳ね回っては自由な雑踏と共について回る。
 目的の六階に着くと、中央の吹き抜けを囲むようにして並ぶ様々な店を、まずは外を歩いてどういったものがあるのか見て回ることにした。荊兎は学校と家の往復以外殆どしたことがなかったため、落ち着かない様子で悠にくっついている。

「……お兄ちゃん」
「うん?」

 小さな声と共に手を軽く握られ、悠は荊兎を見下ろして足を止めた。先を行っていた香織も足を止め、流れの邪魔にならない端に移動する。荊兎の視線の先を追うと、ある店に注がれていた。

「あのお店、気になるの?」

 そう尋ねる悠に、荊兎はこくんと頷いて答えた。不安をいっぱいに映した目で二人を見上げ、震える手で一生懸命悠の手を握り締めている。

「大丈夫、怖くないよ。お洋服を見ても、買っても、なにも怖いことはないから」

 宥める悠にしがみつき、荊兎は過呼吸を起こしたように引き攣った呼吸をし始めた。慌てて抱き上げ、背中を撫でて優しくあやす悠を、香織が心配そうに覗き込む。荊兎は目に涙をいっぱい溜めて、しゃくり上げながら浅い呼吸を繰り返している。

「悠、荊兎ちゃん大丈夫?」
「よくあることなんだ……本当に。前は食事にデザートをつけたらこうなった」
「それだけで……?」

 香織が荊兎の頭を撫でると、一瞬目を見開いて、そして悲しそうに目を伏せた。

「……そっか、本当はうれしいんだね。でも、うれしい分だけ怖いことがあったから、それでこうなっちゃうんだ」
「香織……お前な、勝手に読むなよ」

 呆れた口調で言う悠に、香織は静かに首を横に振った。

「そんなつもりはなかったよ。宥めるつもりで撫でたら、止める間もなく流れてきた。荊兎ちゃんも、頭ではわかってるんだ。悠がひどいことをする人じゃないって。でも、体が覚えてしまってる。そのギャップでこうなっちゃうみたいだね」

 優しい眼差しで、香織は荊兎の頭を撫でる。そのうち呼吸が落ち着くと、荊兎は悠にしがみついたまま不思議そうな目で香織を見つめた。

「なんでわかったのって顔してるね」

 苦笑する香織に、荊兎が怖々頷く。

「昔からこうなんだ。触れて、読み取ろうとすると何となく読めるみたいでさ。でも、荊兎ちゃんのことは読もうとは思ってなかったよ。いくら読めるからって、勝手に人の心を覗く趣味はないし」
「……僕は、へいき、です……お兄ちゃんに、かくしたいことはないから……」

 そう泣いて掠れた声で言うと、自ら香織の手を取り、自分の頬に添えた。細く小さい肉付きの殆どない真っ白な手が、香織の骨ばった手を握っている。

「荊兎ちゃんはいい子だね、悠」
「俺の弟だから当然だな」

 何故か得意げな悠に「はいはい」と言い微笑み返すと、香織は最後に荊兎の頭をひと撫でしてそっと離れた。


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