懲罰房の朝
廃墟街の奥深く。最低な治安と最高の賃金が入り乱れるその街に、嬌花楼はある。
暗灰色のビル群に、極彩色のネオン。夜にこそ輝く廃墟街では、力こそが正義だ。財力、権力、武力といったわかりやすい力の他に、もう一つ。魅力もまた、この街に於ける正義の力として君臨している。
嬌花楼はそれら全てを結集した、至高の見世。門をくぐれば蝶たちは現世を忘れ、花の香に酔う。
しかし、空気にさえ魔性が満ちる蜃気楼にも、現実的な側面はある。
規則と、料金。此処が見世である以上は決して避けられない、最後の現実だ。
「今日は珍しく札がついたお客様が出なかったねえ」
「だいたいご新規さんが菊札辺りをやらかすんだけどね」
夜明けを迎える午前五時。
パタパタと忙しなく部屋の片付けをしている蕾――幼い切花見習いの禿――たちを眺めながら、懲罰係の
夏月と尋問係の秋良がしみじみ零した。
商品を切花、客を蝶と呼ぶこの嬌花楼では、違反行為を花札に喩えている。
菊札は『酒絡みの違反』であり、気分が乗った蝶が切花に酒を強要したり悪酔いの果てに更なる違反を重ねることが多い。菊札に付随しやすい札は暴力行為の桜札や、プレイの一環とは言えないほど度を超した暴言を指す月札となる。
それゆえ、酔い方に節操がない無粋な蝶は、登楼日早々に花見酒と月見酒を揃えてしまいがちである。
「今日は馴染みが多かったのもあるかな」
「ああ、そういえば。ご新規さんのもう一人も、馴染みの方のご紹介だっけ?」
二人は廊下を進みながら、時折元気よく「お疲れさまでございます」と挨拶をしてすれ違っていく蕾に手を振り返す。
片付けが済んだら次は部屋を整える仕事が残っている。大人の従業員に紛れて幼い蕾たちが駆け回る光景も、夜明け間際の嬌花楼を彩る名物だ。
白々明けのやわらかな光を背に、地下へと続く階段を降りていくと、血と埃と汗の臭いが鼻をついた。坑道のような石造りの通路を奥へ進んで、角を曲がった先。檻で閉ざされた部屋に、一人の少年が木製の寝台に拘束されていた。足を開き、天井から伸びた鎖で両腕を真上に拘束した格好で二日間放置されたせいで、寝台にあけられた穴の中には垂れ流しの糞尿が溜まってひどい臭いを放っていた。
「やあ、二日ぶり」
夏月が声をかけると、ぐったりしていた少年が上目遣いで二人を睨んだ。
「ふふ。まだ元気なようでなにより。壊れちゃったら痛みもなにもないからねえ」
「君の相方は随分としんどそうだけれど……まあ、どうでもいいよね。どうせ二度と会うことはないんだから」
少年は悔しげに歯噛みをして何事か叫ぼうとするが、喉を痛めているのか、乾いた咳が出るばかりで声にならなかった。
此処は、花のための懲罰房。
仕置き部屋とも呼ばれる部屋で、蕾や花を躾るためにある。
二人の目の前にいる少年は、客を誑かして窃盗をし、花代を盗み、仕事外で逢瀬をした罪で捕えられている。役にして猪鹿蝶。そして客の男は猪鹿蝶に加えて不如帰を引いており、別室で懲罰を受けている。
「君も馬鹿だよねえ。この街にあるだいたいの店はオーナーの息が掛かってるのに。逃げられると思っていたんだから」
「ッ……うるさ、い……! 殺すなら、さっさとやればいいだろ!?」
「ふふっ」
少年が掠れた声で叫ぶと、夏月は子供の悪戯を眺めるかのような、場違いなまでに優しい眼差しを少年へと向けた。
「殺すなんてとんでもない。君にもそれなりにお金がかかっているんだから」
「だったら、また見世に戻すのかよ。ケッ、お優しいこった」
殺されるわけではないと知って、少年の目に僅かな安堵が見えた。それが、舐めた態度にも表れ、夏月と秋良は嘆息する。
「そんなわけないじゃない。枯れた花に飾る価値があるとでも?」
「君には君の使い道があるってだけだよ。思い上がらないことだね」
「は……? 何だよ! なにする気だよっ!」
夏月と秋良は、鎖をガチャガチャ鳴らして喚く少年を無視して、準備を始めた。
まず少年を寝台に寝かせて腕の鎖を天井ではなく壁にくくり直し、手足を大の字になるよう繋ぎ直す。そして排泄物で汚れた体に井戸水をかけて清め、傍らに施術用の器具を並べていく。
その中にギロチンに似た器具があるのが見え、少年は身を震わせた。
「さて、始めようか」
「その前になにをするか説明してあげないとねえ。とある富豪のおじさまが、新しいオナホをご所望でねえ。君はいまから手足を落として歯を抜いて脳の一部を壊して、あんあん喘ぐしか出来ないオナホちゃんに生まれ変わるんだよ」
「精神破壊は旦那様がやりたいらしいから、俺たちはその前準備だな」
さっと少年の顔色が変わったのを見て、夏月はにっこり微笑んだ。
「心配しなくても、痛みは感じないから大丈夫。痛覚を快感に変換するお薬を使ってあげるから。これもお客様のご要望だよ。優しい旦那様で良かったねえ」
「ひ……い、嫌だっ! あ、謝るからっ! それだけは!!」
先ほどまでの威勢はどこへやら。
必死に喚くのも構わずに、夏月はピンと張った少年の腕に点滴の針を刺し、薬液を注入した。冷たい薬品が体内に入り込む違和感を覚えたのは一瞬で、すぐに大の字で突っ張った手足に別の感覚が走る。
「そろそろかな? じゃあ秋良、まず一つ目よろしく」
「わかった」
秋良は一つ頷くと、左足の付け根付近に小型のギロチンをセットして躊躇なく刃を落とした。
「ひぎぃっ!!???
」
ビクンと仰け反り、小さなペ○スが立ち上がった。先端からは小水とも先走りともとれる透明な液体が噴き出て、ビクンビクンと痙攣する度に少年の体を濡らす。
「傷口は焼き潰しておこうね」
「ひぎゃあああっ
」
悲鳴なのか嬌声なのか怪しい声で、少年が叫ぶ。
受けている仕打ちは間違いなく気が狂うほどの痛みを伴う拷問で、だというのに、体は全ての感覚を快楽だと受け止める。実際に起きている出来事と自身の感覚が乖離している事実に脳が混乱し、視界がチカチカと明滅し、体がのたうつ。
「次は右足」
「んひぃいいいいっ
」
脳が焼き切れそうなほどの快楽が突き抜け、少年は目を剥きだして歯を食い縛り、背を弓なりに反らして激しく潮吹きしながら絶頂した。
脚を切り落とされたことで下半身が自由になったものの、胴体が金具で寝台に拘束されているせいで、背を反らすことは出来ても抜け出すことが出来ない。
「今度は左腕をお願いね。点滴があるから、右を最後にしよう」
「わかった」
「ひぎゃあああっ
やらぁああっ
」
まるで野菜を刻むような気軽さで、トントンと手足が落とされていく。
四肢を失った傷口は焼き印で乱暴に止血され、本来ならひどい火傷の痛みが其処にあるはずなのに、媚薬を塗りたくられた性器が置き換わったかのような快感が全身を襲う。勃起した性器は少年が暴れる度に潮を吹き散らし、白い体を濡らしていく。
「よし、あと一つ。これで君もオナホちゃんだよ」
「いやあぁあああっ
おなほなんていやらぁああ
」
首を激しく振る少年の視界の隅で、銀の刃が無慈悲に落ちる。
「んぎぃいいいいっ
」
四肢を根元から全て切り落とされた少年は、最後に大きく仰け反って絶頂すると、目を虚ろに開いたまま意識を失った。
「静かになったなら丁度いいや。あとは歯を全部抜いてから脳機能を壊すだけだし、やっちゃおう」
「悪趣味な変態が多いせいで、この破壊箇所だけやけに早く覚えたな……」
「ふふ。そうだねえ。自我は残したまま発話機能だけなくしてほしいなんて、ねえ」
パソコンに怪しげな箱形の機械を接続したような機器を弄りながら、夏月と秋良はのんびりと話す。
口を開けた状態で固定する器具を嵌め、ペンチで一つずつ全ての歯を抜いていく。出血箇所は小さな焼きごてで処置し、万が一にも腐敗しないよう消毒も施してやる。
それから機械から伸びるヘッドギアを少年の頭に装着して実行を選択すると、一瞬ビクンと体が仰け反り、すぐに弛緩した。
「明日試用運転をして問題なさそうなら出荷かな」
「あとは、蘭蓮に洗浄を頼んでおかないと……臭いがヤバい」
「そうだねえ。これも一応は商品だからね」
端末を通して双子に連絡を取ると、二人は隣室へと移った。
其処には今し方の声を聞いていた少年の相方がいて、歯をガチガチと鳴らしながら怯えの表情で二人を見つめていた。
「やあ。元気そうでなにより」
「オーナーのご贔屓さんが、新鮮な肝臓と膵臓をお求めだそうだよ。良かったねえ、酒浸りだったら廃棄処分になるところだったから」
何一ついいことなどない台詞を吐きながら、淡々と準備が進められていく。
――――簡単に逃げられたと思った。
花代をケチっても、初回でツケにしても、この見世だけはなにも言われなかった。儲かっているのだと思った。それは確かに事実なのだろう。廃墟街随一の花屋。夢を見せ、現を忘れさせる夢幻の楼閣。その噂に違わぬ世界観は見事だった。
夢。そう。男は夢を見せられていたのだ。金を惜しもうとも、備品を盗もうとも、誰も気付かないし構いやしないのだと、そんな都合のいい夢を見せられていた。
この街で、そんな生易しいことがあり得るはずもないのに。
「それじゃあ、さよならだねえ」
夏月の美しい顔が微笑にとろける。
男の視界が、暗く滲んでいく。二度と目覚めないとわかっているのに、抗うことも出来ずに意識が遠のいていく。
最後の最後に、隣室から、己を唆した美しい少年の喘ぎ声が聞こえた気がした。