荊の魔女

 炎の散華


 フィオが目覚めたとき、見知らぬ部屋の見知らぬベッドに寝かされていた。いつの間に眠ってしまったのか、何故ここにいるのか暫く判然とせず、ぼんやりしているうちに漸う理解が追いついてくると布団を跳ね除ける勢いで飛び起き、まずは出入り口である重厚な木製扉に向かうが、鍵がかかっているのかノブが動く気配すらなかった。仕方なく部屋にある唯一の窓に駆け寄ると、傍にあった鏡台のスツールを引っ張ってきてその上に乗って背伸びをし、どうにか外を見た。

「……! おばあさま!」

 フィオが高い位置にある小さい格子窓からやっとの思いで覗いた先は、叶うなら二度と使われるところを目にしたくなかった、処刑場と化してしまった広場だった。
 そして同時に現在地も理解し、青ざめる。

「西の塔……」

 外側からしか鍵を開け閉め出来ない、戦争の際に使われる、他国の捕虜幽閉用の塔だ。何故。誰が。疑問は尽きない。答える者もない。
 混乱しているフィオにもわかることは、もう幾許もなく処刑が始まってしまうという、惨酷な事実だけ。

「どうして、おばあさま……止められるって仰っていたのに……!」

 格子を握り締め、頬を伝う涙にも構わず、胸の奥から絞り出すような悲痛な声で叫ぶ。自身もまた処刑されるはずの立場であることも忘れて、助けに行くことの叶わない、遠いアリアを思って。
 フィオは気付かなかったが、処刑台にかけられているのはアリアだけではなかった。
 もう一本の処刑台に、アリアたちの牢室にあったあのボロ雑巾よりひどい毛布の四隅と一片を糸で括り、どうにかヒトガタとしての体裁を保った、人形と呼ぶのもおこがましい物体が真面目ぶった様子で縛り付けられているのだ。城の塔の窓はちょうど裏側に当たる位置にあるため、アリアの特徴的なローブ以外フィオからは視認することが出来ない。
 だからそのボロ人形の顔に、昨晩フィオが名前を書いた羊皮紙が張られていることも、ついに狂える領主一家が我が子にまで手を掛けたということで見に来た数人の見物人が、アリアとボロ人形両方を憐みの目で見ていることも、フィオには全く見えていなかった。

「これより、魔女の処刑を行う!」

 無慈悲な宣告と共に、処刑人の持つ松明の火が処刑台へと移る。炎が燃え上がり、風が舞い、火の粉が辺りをひらひらと踊る。
 そのひとひらが、近くにいた処刑人のマントに舞い降りた。瞬間、頭から油でも被っていたかのような勢いで処刑人の体が燃え上がり始めた。

「ぎゃああああああっ!」

 獣の咆哮めいた悲鳴をあげながら周囲を見ずに松明を放り投げ、土の上を転げまわる。しかし、炎の勢いは弱まるどころか一層激しさを増し、先に火をつけた処刑台より遥かに早く、瞬く間にすべてを焼き尽くしてしまった。放り投げられた松明は見物人のほうへと飛んでいったが、幸い柵に阻まれて被害が拡大することはなかった。
 残されたのは焦げた跡を残す地面と、人型であったかすら危うい黒い塊だけ。

「―――思い出せ」

 呆然とする見物人の耳に、不意に明瞭な声が響いた。人々がハッとして顔を上げると、その声は処刑台から聞こえていた。

「思い出せ。恋人を凌辱された恨みを。親を見世物にされた憎しみを。我が子をその手にかけさせられた苦しみを。……思い出せ。いまなお無念の淵に囚われた、愛しき者の声を聞け!」

 朗々と、炎が歌うような声だった。高い空に響き渡る、老婆のものとは思えない、良く澄んだ声だった。心のうちを揺さぶる、力強い声だった。

「思い出せ。その無念を晴らせるのは誰か!」

 それはまさしく、黄昏の魔女最期の呪文だった。
 心を深く抉って捕らえて離さない、不思議な力を秘めている声だ。魔女が本気で呪文を唱えるとここまで響くものかと思わせるものだった。

「おばあ、さま……そう……そうよね。フィオたちさえいなくなれば、この悪夢はすべて終わるのだわ」

 アリアの最期の呪文は、遠く離れたフィオの元にも届いていた。
 真実をありのままに突きつける鋭い言葉を受けても、不思議とつらくはなかった。心のどこかで思っていたことだったから。
 乾く間もなく溢れてくる涙を拭うことも忘れ、フィオは白い灰となって空へ消えていく魔女の最期を、じっと見守っていた。

「もうすぐ、おわるのよね……」

 炎が消えると、ふらふらと夢遊病患者のような様子で見物人たちが帰っていく。
 それから街の人間たちが大挙して押し寄せてくるのに、そう時間はかからなかった。

「フィオ様」

 不意に背後から、フィオを呼ぶ若い男の声がした。振り返る暇もなくフィオはその場に崩れ落ちる。

「暫く眠っていて下さい。……ここから先は、フィオ様には関わりないことです」

 穏やかな甘い声の青年が、フィオの体を抱き留めてそっとベッドに横たえる。
 優しいアイスブルーの瞳が、眠るフィオの姿を愛おしげに見守っていた。



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