短 篇 蒐


▼ 薄氷の鳥籠姫

「あねさま、あねさま、鼓草がたくさん咲いていなんすえ」

 雪見障子に取り付いて小雀のように飛び跳ねながら、チセがうれしそうに囀った。ふくら雀の帯が、丸く切り揃えられた焦げ茶色の髪が、鞠のように弾む。

「あれ、本当だこと。もう春なのねえ」

 チセにあねさまと呼ばれた女性が、嫋やかに微笑む。
 その微笑を見たチセは小走りで女性の元へ戻ると、懐へと飛び込んだ。小さな頭を撫でてやれば、きゃらきゃらと愛らしい笑い声が漏れる。

「清花あねさま。もっとあたたかくなったら、おでかけいたしんしょう」
「それは構わないけれど、おまえは一向に言葉遣いが直らないねえ」

 不思議そうに小首を傾げるチセを、清花は呆れるやら愛おしいやら複雑な気持ちで抱きしめる。
 膝の上で転がる幼い雀を擽っていると、部屋の前に人の立つ気配がした。

「清花様。お客様がいらっしゃいました」

 老女の声で名を呼ばれ、清花は表情を引き締める。膝の上で転がっていたチセも、体を起こして居住まいを正した。

「はあい」

 チセをひと撫でするとスッと立ち上がり、清花は襖に手をかけた。
 隣室に入れば、其処にはスーツ姿の男性と青白い顔をした女性が、寄り添い合って縮こまっていた。男性のほうは困惑が強く、女性のほうは妙齢でありながら、髪にも肌にも気遣っている様子がなく、すっかり荒れ果ててしまっている。
 更に女性はブツブツと何事か呟き続けているようで、正気が残っているかどうかも怪しいほどだ。長い髪を垂らして身を屈めているため、表情が全く見えない。

「あの……此処で、悪霊払いをしてると聞いて来たんですが……」

 口火を切ったのは、男性だった。その表情は、半信半疑どころか八割疑っていると書かれているようなもので、怪訝そうに清花を見つめている。

「ええ。然様でございますわ」

 事も無げに答えれば、男性は一瞬ぐっと息を飲んだ。
 暫しの逡巡を経て、女性を横目で見てから、男性が改めて叫ぶ。

「お願いします……! コイツを、妻を助けてやってください!」

 清花の目が、僅かに細められた。が、どちらもその変化に気付かない。

「手は尽くしましょう。であれば、旦那様は別室でお待ち頂いて、奥様を霊視させて頂きますが、宜しいでしょうか」
「……わかりました。よろしくお願いします」

 不服そうな表情をしつつも、男性は清花の条件を呑んで頷いた。
 話が纏まったところで襖が開き、先ほど清花を呼びに来た背の低い老女が、男性を伴って退室した。

「さて。除霊をしようにも、悪霊なんざおまえさんに憑いちゃいないんだけれど……なにを祓えば良いのかしらねえ」

 わざとらしく溜息を吐くと、女性の肩がピクリと反応した。それを目敏く捕らえ、清花は声を和らげた。

「ああ、やはり。おまえさん、気狂いのふりをしていたのねえ」
「っ……!」

 今度はビクッと、大仰に体が跳ねた。
 それを宥めるようにそっと肩に手を置くと、清花は優しく語りかける。

「怯えなくて良いのよ。あの男はもうおまえさんをどうにも出来やしないのだから」
「え……ぇ……?」

 艶麗な微笑を浮かべ、清花は立ち上がって襖に嫋やかな手をかけた。そして女性に一言「其処で待っておいで」と声をかけると、廊下へと出て行った。
 残された女性は、暫し呆然としてから顔を覆い、さめざめと泣き出してしまった。その背を、いつの間にか部屋に来ていたチセが、小さな手で撫で続けた。

「さあて、鬼さんはどちらかしらねえ」

 愉しげに清花が歌えば、母屋の奥から悲鳴が上がった。男の声だ。

「やめろ! 離せ! 離せぇえええ!!」

 清花が向かうと、男は待機にあてがわれた一室で暴れていた。闇雲になにかを振り払うような仕草をしては、離せ離せと喚いている。
 しかしそれは、只人の目で見たときのこと。清花の目には、彼を襲っている悪霊の正体がはっきりと見えていた。血に塗れた、嬰児たちの姿が。

「おい! 女! 見てないで除霊しろ!! クソッ、早くしろ!!」
「赤子が。あれ、あんなに。父が恋しいのかしらねえ」

 叫ぶ男を無視して、清花は目を細めて男を見下ろした。
 ころころと笑う清花の前で、男は畳の中へと沈んで行く。まるで、其処だけ沼地になっているかのように。赤子の泣き声が反響する。小さな手が男に縋り付く。今度は離されぬよう。
 喚きながら、藻掻きながら、男は血の海に飲まれるようにして消えていった。

「さて、これにて除霊完了」

 パンパンと手を叩き、清花は歌うように囀った。

「……そういうわけで、もうおまえさんはあの男に煩わされやしないよ。というか、他にも随分被害者がいたみたいでねえ」
「ありがとうございます……! 本当に、何とお礼を申し上げれば良いか……」

 何度も頭を下げる女性を見送り、清花はほうっと息を吐いた。隣ではチセが小さな体を目一杯使って飛び跳ね、手を振っている。
 女性が去り際、一度だけ振り向いて、笑顔でチセに手を振った。



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