▼ ハッピーエンドのその先で
「エヴリーヌさま、本当によろしいのですか?」
ファイエットのまん丸な瞳が、私を真っ直ぐに見上げてくる。
もちもちでふわふわな頬を両手で包むと、桜色の唇から「むきゅ」と音が漏れた。
「何度も言ったでしょう。私、あのとき庇いもしなかったお父様の傀儡として社長になるのは御免なの。それに、あなたの可愛いお店のほうがずっと好きだわ」
あの日――――コンテストは、結局私とファイエットのWチャンピオンとなった。満場一致で「一つの愛を引き裂いてまで栄冠を一人に与える必要があろうか」ということになったらしい。
『見たまえ。ファイエット嬢の作品はエヴリーヌ嬢を、そしてエヴリーヌ嬢の作品はファイエット嬢を、それぞれイメージして作られているのだ。これは互いを良く見、理解し、愛をもって作り上げなければ完成し得ない一つの芸術である』
『これほどまでに純愛というテーマに沿った作品はあるだろうか』
『皆も記憶に焼き付いているであろう。二人の淑女が寄り添い合う美しい姿を』
ジャン=バティスト様の言葉は、翌日から世界を駆け巡った。
社交界では、会場に来ていた令嬢方の口から例のファイエットの裏拳ビンタ伝説が語られていて、彼女は愛に殉じる覚悟すら持った崇高な魂の持ち主であると言われているらしい。ただ、噂には尾ひれが付きもので。ファイエットが裏拳ビンタしたのは滅茶苦茶なことを宣うアルベール様だったらしいという説まで流れている様子。
パーティでは遠巻きにヒソヒソとやってもいない悪行を語られていた私も、最近は誤解だったと謝罪されたり遠慮がちながらも話しかけてくれる令嬢が増えたりした。
一方でアルベール様は社交界を追放され、ショコラティエの資格も剥奪。いまでは修行僧も泣いて逃げるレベルの厳しい修錬施設にほぼ監禁状態で閉じ込められ、毎日血涙が出るほどしごかれているらしい。
「ねえ、それよりファイエット。私にもこのエプロンは似合うかしら?」
「はいっ、とってもお似合いですっ」
弾んだ声とキラキラした眼差しが飛んできて、私は思わず笑みを浮かべた。ずっとお父様の命令で感情を表に出さないようにしていたから、いま凄く心が軽い。
「あう…………エヴリーヌさまの笑顔は心臓に悪いです……」
「えっ、ごめんなさい。怖かったかしら……」
やっぱりずっと笑わないようにしてきたから、不審者の微笑になっているのかも。そう思ってファイエットを宥めようとしたら、か細い声で「まぶしい……」と言って顔を覆ってしまった。
「ふ、ファイエット……?」
「だめです……エヴリーヌさまの笑顔は簡単に振りまいていいものじゃないです……お金を払わせて頂いた上で拝まないといけないです……」
どうしましょう。ファイエットの語彙が限界オタクになってしまったわ。
少なくとも表情が怖かったわけではないようで安心はしたけれど、別の問題が出てきてしまったかも知れない。
「わたし、ずっと笑顔で接客してただけなのにどうしてデートに誘われたりするのか疑問だったんですよね。わたしはたぶん簡単に落とせそうな田舎娘だからだとして、エヴリーヌさまの場合はとっても危険だと思います。誤解を生みます」
「そ、そうかしら……? 私はあなたのような愛嬌もないし、営業用だってわかってもらえるのではなくて?」
「甘いですっ!」
ずいっと迫られ、その勢いに思わずのけぞる。
ファイエットは丸い頬を更に丸く膨らませて「エヴリーヌさまは、わたしがお守りしますからね!」と謎の宣言をした。
コンテストの結果を受け、私は自分の店を畳み、ファイエットと共に彼女の故郷で店を持つことにした。
店の外観はファイエットの店に似せた、赤い屋根の小さなお店だ。アーチ型の窓とチョコレート色の扉がミニチュアハウスのようで本当に可愛らしい。木製の看板には『ル・シュクル
ショコラティエール』と、可愛らしい手書き文字で彫られている。手作り感溢れるこの看板は、ファイエットの直筆を元にして街の年若い職人が善意で作ってくれたものだ。何でも、彼はファイエットの幼馴染らしい。
悪役令嬢がコンテストをきっかけに店を畳み、街を出る。奇しくもシナリオ通りの結末になったわけだけれど、その後のことはゲームでは語られていない。
「ファイエット。これから忙しくなりますわ。覚悟はよろしくて?」
「はいっ。エヴリーヌさまと一緒なら、何だって乗り越えて見せます」
愛らしいファイエットの頬をもちもちと撫で、一緒に外に出ると扉に下げてあった『Fermons』の看板を裏返して『Ouvres』を表にした。
「いらっしゃいませ! ようこそル・シュクルショコラティエールへ!」
「ティータイムのお供に、チョコレートは如何かしら?」
ファイエットの弾ける笑顔が、明るい声が、往来に響いた。
興味本位で店を眺めていた人たちが、続々と中に入ってくる。ショーウィンドウに並んだチョコレートに目を輝かせる人たちを見て、私もしあわせな気持ちになる。
なにより、ファイエットがくるくる動き回るのを同じ店内で一日中見ていられるのだから、こんなにしあわせなことはない。
「お酒を使ってなくて、子供でも食べられるものはあるかしら?」
「こちらはどうですか? マシュマロチョコレートです。フワンボワーズクッキーもありますよ」
「まあ、素敵。自分用にもほしいわ。それぞれ六つずつ頂けて?」
「ありがとうございます!」
「甘いのは苦手なんだが、ウィスキーに合うものはあるか?」
「でしたら此方などは如何でしょう? ビターチョコレートにから煎りしたナッツを混ぜ込んでありますの。ほろ苦い風味が男性に好評頂いておりますわ」
「ふむ。試してみようか。家内にも買って帰らねば叱られそうだ。二つもらおう」
「ありがとうございます。良い時間を過ごされますことを」
街には色々な人がいて、色々な好みがある。
元の店は上流階級向けだったから忙しさなんて殆どなかったけれど、此処では一日働いたらくたくたになってしまう。でも、それが凄く楽しい。父から預かった店ではカウンターに飾られているオブジェの気分だったのに。私はいま一人の店員として、ただのエヴリーヌとしてちゃんと生きているんだって実感している。
「エヴリーヌさま、お疲れ様です。ショコラ・ショを作りましたので、よろしければどうぞ」
「ありがとう。あなたも一緒に頂きましょう」
「はいっ」
ソファに腰掛け、ファイエットが作ったショコラ・ショにシャンティーを乗せる。そして小皿に添えられていたフランボワーズも一粒。
隣り合ってこうして一息吐いている時間は至福の極み。一日の疲れが溶けるように消えるのを感じる。
「わたし、エヴリーヌさまとこうしている時間が一番好きです」
ファイエットの口から、私の思考を切り取ったかのような言葉が出てきて、思わず目を丸くした。ファイエットはそうとも知らず、フランボワーズを口に入れてはその甘酸っぱい味に目をきゅっと瞑っている。なんて可愛いの。
「私もよ、ファイエット」
そう心から答えると、ファイエットは頬を淡く紅色に染めて、それはうれしそうに微笑んだ。
シナリオから外れたヒロインと悪役令嬢は、共に舞台から降りて新たな人生を歩み始める。
大好きなチョコレートと、お互いへの愛だけを抱えて。