短 篇 蒐


▼ 婚約破棄RTA

 ファイエットは、とても可愛らしい。
 ぱっちりとした大きな瞳はフランボワーズのような艶めくピンク色。ふわふわした長いくせ毛はコットンキャンディのよう。透き通った肌に、ほんのり淡紅に染まった丸い頬。小さな手指も華奢な体も、なにもかもが守りたくなる造型をしている。
 対して私ことエヴリーヌは、薔薇のソルベ姫と呼ばれるだけあって顔立ちが強い。ただ澄まして立っているだけで気温が五度下がるなんて言われたりもするくらいだ。銀のロングヘアも水色の瞳も、氷で出来ているかのよう。

 此処が前世で死ぬほど遊び倒しまくった育成系乙女ゲームアプリ『ル・シュクルショコラティエール〜とろける恋の魔法』の世界だと気付いたのは、ファイエットに出逢ったときだった。
 このゲームは、新人ショコラティエールとしてイケメンたちと恋をしながら自分のお店を大きく立派にして行くというもので、ファイエットはゲームのヒロインだ。
 中世の貴族社会と現代社会が融合した世界観で、貴族は領地に自分のお店を持っているのが当然という設定。そして最も位が高いのはショコラティエで、バレンタインコンテストで優勝したショコラティエやショコラティエールは、一年間王家に作品を献上する権利を得る。
 世界の中心にチョコレートがあり、質のいいチョコレートを作る職人は王から叙勲されたり爵位を頂いたりもするほど。
 ヒロインは師匠である祖父から「一年間一人で店を持ち実践で修行をしてこい」と故郷を叩き出され、都会のど真ん中にある中古物件で店を開くことになる。ゲームの出だしにグダグダしないのはいいことだけど、あまりにスパルタ。

 攻略対象は、全部で四人。
 世界中で有名な高級チョコレートブランド『ル・ショコラロメオ』の跡取り息子で悪役令嬢の婚約者でもある、アルベール。底なしの自信家で、自分が世界の中心且つ頂点であると信じて疑わない俺様キャラ。
 ヒロインがショコラティエールを目指すきっかけとなったチョコレートの制作者で伝説のショコラティエの孫でもある、バージル。彼は、ショコラ・ショのように甘い顔立ちと柔らかな声で老若男女問わず多くのファンを抱えている。
 近年様々な大規模コンテストで賞を獲得している新進気鋭の若きショコラティエ、シャルル。クールな出で立ちと寡黙で生真面目な性格は主に年上からの評価が高く、高名なショコラティエにも目をかけられている。
 ヒロインと同じ製菓学校に通っていた先輩で、一足先にお手本のような成功を掴みメディアの注目も集めている、ダヴィド。軟派な性格で毎日違う女性とデートをしているけれど、不思議とまだ誰からも刺されていないプロのナンパ男。

 そして私は、ヒロインの前に立ちはだかるクソデカライバル店舗の令嬢……即ち、悪役令嬢というわけ。昨今の悪役令嬢ブームに乗っかって、元々乙女ゲームにはほぼいなかった典型的意地悪クソ女を突っ込んだ結果滑り散らかしたっていうんだから、大人しく普通のライバルにしておけば良かったのに。
 しかも、シナリオを考えた人は上流階級の世界をろくに知らない上に調べることもしなかったのか、イジメの内容が中学生レベル。私も別に貴族令嬢じゃないから全然知らないけど、少なくともこんな治安悪い中学校みたいな空気じゃないと思う。建物裏に呼び出して取り巻きに水をぶっかけさせたりなんて、いつの時代よ。
 他にもファイエットが一生懸命努力して努力して、がんばって手に入れたものを、ポンとキャッシュで手に入れては、自慢げに見せびらかす。ファイエットが経営難で苦しんでいれば、盛大なパーティを開いて彼女を招待し、ドレスではなく背伸びした余所行き服を着てきたところを大衆の前で嘲笑し、恥をかかせる。誕生日には大量のプレゼントを見せつけ、ファイエットが祖父にもらったお下がりの道具を馬鹿にして笑う。それだけじゃなく祖父まで大したことない人間だと馬鹿にする。
 そんな悪辣なことを繰り返していたら、ヒロインの懸命な姿に心を打たれた職人や婚約者たちに裏切られ、滅茶苦茶落ちぶれて、最後には店を畳んで孤独に街を去って行く。全面的に自業自得とはいえ、あまりにもひどい末路だ。
 私は幼少期に転生を自覚してからというもの、経営のいろはを父に叩き込まれて、女社長として跡を継ぐためだけに生きて来た。家のための道具でしかない日々は心底キツくて、心がすり減っていくのを感じた。癒しなんかない。そんな暇はない。暇があるなら一つでも多くのことを学ばなければならなかったから。
 前世が全くの一般市民だった私にとって貴族の血を引く社長令嬢という立場は凄く重くて、逃げられるものなら逃げたいと思ったことすらあったけれど。当然、そんな甘えが許される世界じゃなく。
 こうしていると、エヴリーヌが歪んでしまったのもわからなくはない。ぽっと出の田舎娘が小さいながらも店を持って、イケメンたちにチヤホヤされているのを見れば自分の血反吐を吐くような努力と比べてしまうのも仕方ない。仕方ないんだけど……やることの治安が終わってて、追放もまたやむなしではあると思う。

(やっぱり、此処でヒロインが現れるのね)

 十八歳になって店を任されるようになったと思ったら、隣の空家にファイエットが引っ越してきた。原作のシナリオ通り、師匠である祖父にスパルタ教育の一環として一人で店を経営して見せろと叩き出されて。

(画面越しじゃないファイエット、本当に可愛い……! 本当に生きて動いてる……目の前に生身の推しがいる……!!)

 初めて見たときは、妖精かなにかかと思った。あまりの愛らしさに、内心では推しアイドルを前にしたオタクみたいな挙動になっていた。表面上はお父様の教育の甲斐あって平静を保っていたけれど。お父様ありがとう。でもいつか殴る。
 次に見たときは、ハムスターの擬人化かと思った。くるくると良く動く姿は男じゃなくても可愛いと思うし、ずっと見ていられた。叶うならうちで飼いたいくらいだ。どうしてファイエットはハムスターじゃないのかしら。
 そして、いくら同年代のライバル店舗の令嬢だからってあんなイジメをするなんて信じられないと心底思った。少なくとも私には無理。
 だから私は、普通のライバルとして、同年代の経営者仲間として彼女と接した。
 建物自体が美術品みたいなフランス博物館風のうちの店と、シルバニアファミリーみたいな彼女の店が隣同士に建っているのは何だか不思議な感覚だったけれど、私は彼女の可愛らしさが反映された店が好きだったし、彼女もうちの店を憧れで目標だと言ってくれた。
 店を訪ねてくる攻略対象たちとも順調に親交を深めているみたいで、何度かデートイベントも発生した。何故かファイエットに誘われて、私もデートに同席することがあったけれど。あの子は明るく見えて異性関係となると控えめな性格だから、男性と最初から二人きりになるのは緊張するのかも知れない。そう思うと、より応援したくなった。政略結婚しか許されていない私と違って、彼女には恋する自由があるもの。攻略対象の誰と結ばれても将来は輝かしいわ。
 友人として過ごしていたから、イジメなんてしたことも考えたこともなかったし、きっとこのまま上手くいく。

 そう思っていたのに。

「エヴリーヌ。君との婚約を白紙にしたい」

 ある日突然、婚約者のアルベール様に婚約破棄を突きつけられた。
 頭が真っ白になるってこういうことなんだ、ってぼんやり思っていたら彼の背後に見覚えのある人影があることに気付いた。

「ファイエット……まさか、アルベール様……」
「ああ……そうだ。俺はファイエットを愛してしまった。彼女の愛らしさに惹かれ、もう君のことは婚約者として考えられなくなったんだ。元より幼少期に両親が勝手に決めた婚約だし、俺の両親は優秀なショコラティエールであれば良いと言っている。ならば君でなくともいいだろう?」

 ファイエットのまん丸な瞳が、私をじっと見つめている。
 それってどういう感情? 勝者の余裕? それとも同情?

「俺の寵愛が得られないからと、見苦しい真似を散々してくれたな。ファイエットが泣いて震えながらお前にいじめられていると訴えてくれた」

 どういうこと……?
 私は誓っていじめなんてしていない。冷たい顔立ちや抑揚に欠ける物言いのせいで誤解されることはあったけれど、ファイエットとは身分に囚われず、平等な友達だと思っていたのに。……いや、心底そう思っていたのは私だけかも知れない。私は上の立場だからそう思えたけれど、ファイエットからすれば無理矢理無礼講を押しつけてくる上司のようなものだったのかも。

「前々から、演劇の悪役令嬢のような君が婚約者だというせいで息苦しかったんだ。それをファイエットの優しさが救ってくれた。薔薇のソルベ姫などと言われている、かわいげのない冷血女とはこれっきりだ」
「…………そう」

 私は気付いたら彼の前を立ち去っていて、部屋で一人泣いていた。
 彼女のことを友達だと思っていたのは私だけなんだろうか。金持ちで便利だから、それともアルベール様に近付きたいから傍にいただけなんだろうか。
 ベッドに潜り込んでずっとそんなことを考えていたら、窓のほうでコツンと小さな音がした。
 窓を見れば、いつの間にやらすっかり日が沈んでいた。私の心を表すかのような、昏い橙と紫がどろりと溶け合った空だ。

「なにかしら……?」

 小鳥でも迷い込んできたのかと思いながら、窓に近付く。すると其処には、臙脂のマントを羽織ったファイエットが蹲っていた。

「ファイエット……!?」

 此処は二階なのにどうやって。
 そう思ってファイエットを見たら、マントが木の葉まみれであることに気付いた。まさかと思い、ベランダの外を確かめる。窓の傍にある木の葉とファイエットの服についている木の葉は同じものだ。それに、丁度良く枝も伸びている。正面から来ても追い返されると思ったのか、それとも必死だったのか。
 小さなファイエットでも辿り着けてしまうなら、泥棒なんて入り放題じゃないの。あとで庭師に言って剪定してもらわないと。

「! え、エヴリーヌさま……っ」

 庭木のことはともかく、いまはファイエットだ。
 どういうわけかファイエットも目にあふれんばかりの涙を溜めていて、私は一先ず誰かに見られる前にとベランダで丸くなっているファイエットを部屋に招いた。
 すっかり日が落ちているとは言え、いつ何処で人の目があるかもわからないのだ。カーテンを閉めて、ファイエットをソファに座らせた。

「いったいどうして……あなたは、私の……」

 婚約者を奪った女じゃない。
 そう冷たく言えなかったのは、まだ何処かで彼女を信じていたから。だって原作でやっていたようなイジメは一つもしていなかった。それにアルベール様の心が離れた理由も、陰湿な女は自分に相応しくないってことだったはず。
 それなのに、なにも悪いことはしていないのに、アルベール様はファイエットへと乗り換えてしまった。理由があるならいい。段階を踏んで婚約解消して付き合うならいくらでも応援するのに、こんな前触れなく覚えの無い汚名を着せられるなんて。

「エヴリーヌさまに、ご相談したいことがあるんです……どうか、どうか……お話を聞いてください……」

 ファイエットは涙をぽろぽろ零しながら、一冊の日記帳を差し出した。何処にでもあるノートの表紙に、手書きで日記と書いただけの簡素なものだ。中のページが所々よれてしわになっているように見える。

「これは、あなたの日記? プライバシーの塊じゃない。私が読んでも良いの?」
「はい……っ、お願いします……」

 人の日記を読むなんてはしたないとは思うけれど、本人の希望なら仕方ない。
 表紙を開いて、古い日付から目を通していく。
 最初は、初めて店を持った不安と期待が綴られていて、私と出会ってからは何故か私とのことがメインなのかと思うほど書かれている。合間に勉強した内容のメモや、新商品が褒められてうれしいといった内容がちらほらある。攻略対象たちに誘われたときは僅かな動揺が見られて、私に対する深い謝罪と共に「それでも一緒にいられてうれしい」と、何故か私に向かって書かれている。
 そんな他愛ないことが綴られていく中、アルベール様に関する明らかな異変が見え始めたのは、三ヶ月ほど前からだ。

 ――――
 ○月○日
 今日は、エヴリーヌさまがご来店くださった。
 初めて一人で作ったオランジェットのチョコレートケーキを召し上がって、それは美しい笑顔を見せてくださったの。
 良い日になりそうだと思ったのに、時間をずらしてアルベールさまがいらした。
 わたしの手を取って、愛の言葉を囁いて、同じ口でエヴリーヌさまを罵る。
 やめて。聞きたくない。
 わたしの尊敬する方を汚さないで。

 ○月×日
 どうして?
 どうして婚約者がいる身で、他人に愛を囁けるの?
 わたしはセクシーで豪華なドレスなんかほしくない。
 ドレスならエヴリーヌさまがとっても可愛らしいものを贈ってくださったもの。
 わたしは大きな宝石がたくさんついたネックレスなんかほしくない。
 エヴリーヌさまがわたしの誕生日に誕生石がついたペンダントをくださったもの。
 永遠の愛を誓う指輪なんか贈らないで。
 それを贈るべきはわたしじゃないでしょう?
 やめて。やめて。
 大好きなエヴリーヌさまの婚約者を、気持ち悪いなんて思いたくないのに。

 △月□日
 もう贈り物をやめてほしいと言ったら、エヴリーヌさまがわたしをいじめたことにされてしまった。
 エヴリーヌさまが、わたしに断るよう脅したなんて。
 あり得ない。
 あのお優しい方を裏切っているのは、アルベールさまのほうじゃない。
 わたしのせいで、アルベールさまのエヴリーヌさまへの罵倒が悪化してしまった。
 わたしのせいで。

 ×月△日
 アルベールさまが、婚約破棄をするから、共に来いと仰った。
 なにを言っているの?
 わたしをからかっているの?
 それとも、わたしがエヴリーヌさまになれなれしくしすぎたから、引き離そうと、わざと嫌われるようなことを言っているの?
 教えてください、アルベールさま。
 わたしは一度でも、あなたに愛を返したことがありましたか?
 助けて。エヴリーヌさま。
 こんなこと、誰に相談すればいいの。
 わたしは、どうすれば。

 ×月●日
 もう耐えられない。
 ――――

 日記には、ファイエットの血を吐くような苦悩が書き記されていた。
 あるときから、アルベール様からの贈り物がなくなった。お茶に誘われることも、パーティで一緒になることも、顔を合わせる機会すらもなくなった。元から対外的な社交辞令ではあったけれど。
 その裏で、無理矢理ファイエットに言い寄っていたなんて。
 一瞬でもファイエットを疑った自分が恥ずかしい。彼女はずっとひとりで悩んで、苦しんでいたのに。

「……ごめんなさい、気付いてあげられなくて」

 ファイエットはふるふると首を振り、嗚咽を漏らした。
 ただでさえ小さい体が、更に小さくなっている。

「ごめんなさい……ごめんなさい、エヴリーヌさま……わたし、どうすればいいのかわからなくて……誓って、アルベールさまに言い寄ったりはしていません。ドレスや宝石をねだったりもしていません。わたしにはエヴリーヌさまに頂いた大切な宝物があるんですから……そんなこと……」
「わかっているわ。あなたがどれほど私との絆を大切にしてくれているかなんて……それなのに、どうしてこんなことになってしまったの……」

 声を殺して泣き続けるファイエットを抱きしめながら、私も少しだけ泣いた。
 泣いてなにかが解決するわけではない。わかっている。考えないと。
 一方的に婚約破棄をされたのは私で、原因は彼の浮気。これは私に非はないはず。訴えたら120%勝てる戦いだ。
 けれど、相手は私の家と並ぶ世界的ブランド。存在しない証拠を虚空から無理矢理ひり出してきて私を責めることくらい、平気でやってくれるだろう。何なら引き際を見誤って自棄になった挙げ句、ファイエットが自分に色目を使ってきたせいだなんて寝言を言い出しかねない。
 どうやら向こうはファイエットと愛し合っていると思っている。其処を何とか突くことは出来ないだろうか。

「ファイエット。私に考えがあるのだけれど……」

 私が涙声で呼びかけると、ファイエットは真珠のような涙を纏ったまん丸な瞳で、私をじっと見つめてきた。

「思い出すのも忌々しいでしょうけれど、今度のバレンタインコンテストについて、彼はなにか言っていなかったかしら」
「ええと……」

 ファイエットは暫く考えて、小さく「あっ」と声を上げた。

「アルベールさまが優勝したら、会見で婚約発表をすると……」

 ああ、やっぱり。
 これは、原作ゲームにもあったイベントだ。
 このゲームの区切りであり、最大のイベントでもあるバレンタインコンテストで、ヒロインは攻略対象と正式に結ばれる。其処から各キャラの専用ルートエピソードが始まるのだ。
 コンテスト作品はキャラクターによって様々で、アルベール様の場合は真実の愛というタイトルの、ヒロインとデザインが対になったチョコレートを発表する。其処でエヴリーヌは、ショコラティエールとして最もやってはいけないこと……ヒロインの作品を破壊する行為に出て、大衆の前で業界を追放されてしまう。
 前後のストーリーを見るに、ヒロインは意図して彼とおそろいにしたのではなく、アルベールがファイエットのキッチンを偵察して得た情報を元に作品を寄せていた。相談したならまだしも、盗み見て勝手に似せたものを真実の愛とは随分と図々しい。

「あの……最近、アルベールさまがわたしのお店を訪ねてくるんです。閉店後なのに裏口からきて、少しお話して帰られるんですけど……それがコンテストの練習をしているときなので、気になって……」

 まさかのバレバレとは恐れ入った。
 しかもファイエットは、話しているあいだもずっと震えて怯えている。
 それはそうだろう。好きでもない男が一方的に通い詰めてきて、挙げ句の果てには愛し合ってる前提で話をどんどん進めていくのだから。しかも、大事なコンテストで一方的に、大々的に、婚約発表をするとまで言っている。ファイエットのように強い後ろ盾のない庶民の娘にとって、それがどれほど恐ろしいことか、想像したことなどないのでしょうね。
 彼は、愚かにも心から愛し合っているつもりなのだから。

「偵察のつもりかしら。それならファイエット、練習はそのまま続けなさいな」
「えっ……」

 まん丸なファイエットの瞳が、更に丸くなった。
 私はやわらかく微笑んで見せ、それからわざと意地悪な微笑を作る。

「そして本物の練習は、私の個人キッチンをお使いなさい。彼はすっかり私の家には近付かなくなったもの。丁度いいわ」
「そんな、大事なコンテストなのに、ご迷惑をおかけするわけには……」
「大事なコンテストだからよ」

 ファイエットの丸い頬を撫でて、額にキスを送る。
 可哀想に、涙の痕が残ってしまっているじゃない。

「彼がそのつもりなら、私たちも相応の応えを用意して差し上げましょう?」

 そう言うと、暫くぽかんとしていたファイエットの目が、力強い光を帯びた。
 大好きなチョコレートの世界を、下らない浮気心なんかで穢されているのだもの。ファイエットだって黙っていられないはず。

「屈辱には屈辱を。侮辱には侮辱を。綺麗にお返しするのが筋ですわ」
「はい、エヴリーヌさま。わたし、がんばります」

 か弱く肩を震わせていた儚い小動物はもういない。
 ファイエットは私を抱き返し、私の胸に埋もれながら小声で何事かを呟いた。



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