短 篇 蒐


▼ 玉鋼製の従者


 紗夜が見合い話に難色を示している頃。
 朔晦景雪は、秘書であり執事でもある帯刀から、見合いの話が来たことを告げられていた。当然私的な見合いに社長同伴など出来るわけもなく、一日側を離れなければならないのだが、どうやら帯刀は景雪のいない場所へ赴くことを渋っているようだ。

「たまには自分のことも考えたっていいだろう。なにが不満なんだ」

 捨てられた子供のように、眉を寄せて目を伏せ、視線を逸らしている。景雪のためとあらば常に鋼の如き精神と忠義心で行動するこの男が、どうしたことだろうか。
 帯刀の家が決めた見合い相手なら、下手な人間は選別していないはずである。抑もが帯刀家は、朔晦家の人間に仕えるための一族。景雪と小羽が夫婦となったいま、二人の子に仕えるための子を準備し始めてもおかしくない頃合いなのだ。
 現代に於いてその関係性の是非はともかく、帯刀家の方針だけでなく、彼自身も納得して景雪に生涯を捧げてきた。そして自身の子がいずれは景雪の子に仕えるだろう事実も、当然のこととして受け入れている。
 しかし、それがいますぐとなっては心の準備が出来ていないと、そういうことなのだろう。

「ですが、私用で社長のお側を一日も離れているなど……」
「お前は常から良くやってくれている。それに、一日離れていたことなら何度もあるじゃないか」
「それは、社長のご命令だったからです。私の都合ではありませんでした」

 深刻な顔をして、重厚な机を挟んで向かい合う、社長と秘書。それだけならなにか重要な会話をしているような絵面だが、彼らの会話はどちらかといえば『母の元を離れて保育園に行きたくない幼児と親』の様相である。
 景雪は眉根を寄せて溜息を吐くと、表情を引き締めてこう告げた。

「なら、その日は俺も小羽さんと一日過ごさせてもらう。お前はそれを利用して見合いに行け」
「それは……ご命令ですか」
「そうだ」

 僅かの迷いもなく言い切られ、帯刀は観念したように頭を垂れた。

「畏まりました。行って参ります」

 静かに退室していく、何処か寂しげな後ろ姿を見送ると、景雪は溜息を追加した。

「千景は昔から俺のことばかりだったからな……いい機会だろう」

 そういえば、と景雪はもう一人、誰かのために人生を捧げている人物がいることを思い出した。小羽と再会することが出来たのも、無欲な小羽とこうして結ばれたのも、彼女の働きあってこそ。
 景雪は鞄から個人用端末を取り出すと、小羽にメッセージを送った。

『小羽さん、今度の金曜は空いていますか? 良ければ一緒に過ごしたいのですが』

 そうメッセージを送ってから小一時間後。練習をしていて遅くなったことを詫びる言葉と共に、小羽からの返事が届いた。

『その日は練習もお休みで、わたしもお誘いするつもりだったのでうれしいです』
『それは良かった。今夜は早めに帰れそうなので、そのときに改めてお話ししましょう』
『わかりました。お仕事がんばってください。お帰りをお待ちしています』

 夫婦になってからも言葉遣いが砕けることなく、出逢った当初の初々しささえ感じられる文章に笑みを零し、端末をしまい直す。

「さて、では小羽さんのためにも早く終わらせないと」

 愛しい人が自分の帰りを待っている。ただそれだけのことが、自分でも驚くほどの力になると、景雪は小羽と出逢って初めて知った。願わくば帯刀にも相応の幸福を見つけてほしいというのは、余計なお世話とわかっていても主人として祈らずにはいられないのだ。



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