薔薇は無慈悲な庭の女王


▼ お手製の副作用


 会った男は、想像以上の美男だった。一夜限りの遊びでは勿体ないくらいの、彼氏として完璧な相手だった。エスコートも、食事に選ぶ店も、それからホテルへの誘い方も、いやらしさや嫌味が全く感じられないスマートな振る舞いだった。
 先にシャワーを浴びるよう言われた由夏は、一人シャワールームで火照る体を持て余していた。いまから自分があの美男子に抱かれるのかと思うと、全身くまなく綺麗にしなければと思う。
 そうして念入りに洗ってからタオルを巻いて部屋に戻ると、彼は照れくさそうな微笑で出迎えてくれた。

「僕も浴びていいかな」
「うん、待ってるね」
「あ、グラス出しといたから、ドリンクは好きなのをどうぞ」
「ありがと。じゃあ、もらっちゃおっかな」

 我ながらぶりっこにもほどがあると思いながら、しおらしく頷いてベッドに腰掛ける。
 彼は名を『結斗』といい、男子校出身の大学生だといった。それゆえに女性とあまり縁がなく、友人に勧められてこういったことに手を出したのだそう。それを聞いて、由夏はこれほど顔のいい男が恋人もいないなんてという疑いを取り消した。デートプランが完璧だったのも、きっと将来の彼女を思ってシミュレーションした結果なのだろう。それが援交に生かされたのは彼にとって残念だったかもしれないが、由夏にはこの上ない幸運だった。
 そして上手くすれば、女慣れしていない彼を自分のものに出来るかも知れないとも思った。

「あー、これマジ美味い。やっぱ酒が一番だわ」

 冷蔵庫から缶酎ハイを取り出して、グラスにあけて呷る。本当は未成年だが結斗には二十一歳の女子大生と偽って告げてあるため、堂々と飲んでいた。
 いつ結斗が出て来てもいいよう缶に直接口をつけずにグラスで飲んでみたが、ピンク色の炭酸がムードによくあっていて、いつにも増して綺麗に見える。それどころか、照明やスマートフォンの画面の灯りまでもがきらきらして見え出し、更にはシャワーを浴びているとき以上に体が熱くなり出した。こんなにアルコールに弱かった覚えはないと思いつつ、火照りと眠気に抗えず、ベッドに横たわる。
 きっと彼なら優しく起こしてくれるはずだと頭の片隅で思いながら、由夏は眠りに落ちた。

「…………ぅ、っ……ん…………」

 それからどれくらい経ったのか。
 由夏がふと目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。――――否。辺りが暗いのではなく、目隠しをされているのだと遅れて気付き、慌てて体を起こそうとした。

「ぐっ……!」

 それを拒んだのは、両手に括り付けられた拘束具だ。両手だけではない、両足も、大きく開いた状態でベッドに固定されている。

「えっ……な、なに? 何なの? 結斗さんっ!? 結斗さんはどこ!?」

 怯えて叫ぶ由夏の声に応えるものはない。静寂が返事をするばかりの中、由夏は更に体が異常を起こしていることに気付いた。
 拘束されているところが、異様にヒリヒリと痛むのだ。まるで、散々暴れ狂って擦り傷が出来ているかのように。それだけではなく、ベッドに接している背中もじくじくと痛み出した。

「ひっ……い、痛いっ! 痛い痛い痛いいぃっ!」

 痛みに気付いてからは、地獄としか言いようのない時間だった。人の気配もなく、拘束を解いてくれる者もなく、ひたすら暗闇の中で痛みに襲われるだけの時間。その痛みも、全身の皮を剥いだ上に垢すりで擦られているかのような激しい痛みだ。
 痛みから逃れようと身を捩ればそれが痛みとなり、じっとしていても拘束具に接している箇所が痛む。シーツに接している背中の痛みは言うに及ばず。声をあげれば喉が痛むが、焼け付く全身の痛みが黙ることを許してくれない。

「ゆぃと、さ……ゆいどざん、だずげでぇ……」

 気が狂いそうな時間の中、由夏は涙と鼻水に塗れた顔で譫言のように結斗を呼び続けた。それに応えるかのように、由夏の体に指先が触れた。その感触に「ぎひぃ!」と悲鳴をあげるも、指先は由夏の体をお構いなしになぞっていく。
 ビクンビクンと跳ね回る体を弄ぶ指が一瞬離れたかと思うと、不意に腕が掴まれた。骨まで軋むひどい痛みに、由夏は歯を食い縛って甲高い悲鳴をあげる。その直後、ぷすりと針が刺さる感触がして、由夏は今度こそ汚い産声のような叫び声を上げて失禁、及び失神した。

「あはは、狐くんの薬は用法を守らないと本当に怖いねえ」

 あらゆる体液でぐしゃぐしゃになった由夏を見下ろしながら、『結斗』はからりと笑った。その手には小さな注射器が握られており、傍らには狐印の注射用薬瓶がある。
 由夏を襲った痛みは『鎮痛剤』の副作用だった。あれは骨折の痛みすら感じなくなるほど全身の痛覚を極端に鈍らせるもので、一日一錠が限界の代物。それを四錠も飲んだ結果、感覚神経が過剰反応する副作用を起こしたのだ。

「これは痛みを快楽に……だっけ? 用量を聞いてなかったから適当に打ったけど、ま、この子はお相手には困らなさそうだし、いいよね」

 薬と注射器を袋にしまい、ジャケットを肩にかけて、結斗はホテルの部屋を出た。廊下で、掃除道具とリネンが入った大きなワゴンを押しながら歩く掃除夫とすれ違う。
 結斗がワゴンの横に提げられたゴミ箱に袋を投げ入れると、掃除夫は小さく一礼して由夏がいる部屋に入っていった。









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