▼ ひろがり
久方ぶりに政宗に頭垂れながら、俺は静かに目を閉じた。青ざめた天女の存在すら今はどうでもいい。
あれから、無事同盟の話がまとまり信玄公を送り出し、裏方へ潜むように一歩離れたところから眺めていた奥州にはどこか見えない糸が張り詰めていて、それは嵐の前触れのように思えた。隔離した黒脛巾の忍の数は変わらずにいたが、喜ばしいとは素直に言えない。なんとも言い難い嫌な予感があった。
結果的に、その勘は当たってしまった。
奇襲を知らせに命からがら戻った部下は、報告の途中、腸を覗かせながら息絶えた。
「松永か...戦の準備を急がせろ」
「御意」
「ま、政宗...」
心配するな、と政宗は見慣れてしまった表情で天女を宥めるが、現実が僅かでも見えているなら内心穏やかではないだろう。
まるで伝染病のように天女に惚けた奥州で、容赦を知らない松永の急襲にどこまで対応出来るか。被害を免れない事は火を見るより明らかだった。
唐突に慌ただしくなった城内で、俺はどうしようもない悪寒を背に味わいながら武器を仕込む。指示を飛ばした黒脛巾も戦の準備に追われ、そこらかしこで叱責や檄が飛ぶのが聞こえた。
「急げ、猶予はないぞ」
松永に戦の手順などあってないようなものだろう。狡猾で苛烈な男は実に厄介で、定石通りには行くはずもない。勝機があるとすれば武田からの援軍が寄越されて、それまで持ちこたえた時だろうか。常の奥州ならば、ここまで弱気になることもないのだけど。
「...メイ!」
「ここに」
甲冑に身を包んだ政宗が、戦支度を整え俺を呼ぶ。久方ぶりに呼びかけへ応えた俺に、わずかに眉を下げながら政宗は何も言わず俺の肩を叩いた。
急ごしらえの軍は少しだけ足並みを乱しはしたが、それでも以前とそう相違ないようにも見えた。
「松永の狙いは俺の首か、天女か...まぁどっちでもいいさ。取らせやしねぇ」
「......」
「...どうした、メイ」
「...いえ」
それでもどうしようもない嫌な予感が、拭えぬまま俺達は戦地へ走り出した。
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