▼ あんうん
ざあざあと、泣き始めた曇天は泣き止むことを知らぬ様に世界を濡らした。滴り落ちるほど水を吸った布が肌にまとわりつき冷たく体温が奪っていく。
逃げ出すようにたどり着いた、寺の一角に建てられた荘厳な墓石もまた雨に打たれぼろぼろと泣いているように見えた。
「輝宗様...」
ぐしゃりと視界が歪み、声が震える。
腕を伝い落ちた水が指先を汚す赤を清めるが、雨の匂いに混じりどうにも鼻につく鉄臭さ。以前にも、こんなことがあった。抜け忍の咎にぼろぼろになり、死の瀬戸際で輝宗様に拾われた日も、こんな雨の日だった。あの日輝宗様に拾われたから、俺は笑うことが出来た。俺の命は輝宗様に尽くす為にあるのだと胸を張っていれた。輝宗様の忍であることが、俺の誇りだった。
そうだ、俺を拾ってくれた輝宗様の命だから、俺は政宗を守る。
「あの子を頼む」
政宗に弟が生まれたばかりの頃、輝宗様は俺にそう命じた。
「あの子を頼む、メイ」
お前はあの子を誰よりも見てきたから、私が死んでも、あの子を頼むよ。
輝宗様は死の間際、俺にそう命じた。隠居の身となりながら、死の戦局を悟りながらなお、輝宗様はわが子と奥州を案じて止まなかった。
俺は輝宗様の命だから、政宗を守る。輝宗様が作り上げた奥州を守る。
俺は輝宗様に拾われた忍。忍は主の命を遂行するための道具に過ぎない。だから、俺は輝宗様の忍として、政宗を守る。
墓前にそう誓った日も、こんな雨が降っていた。
「心が無いわけない!」
天女の声が脳裏に蘇り、振り払うように頭を振った。心は殺した。殺したつもりでいた。そう、無いものとしようとしていた。
お ま え の せ い だ
紡いではならぬ呪詛を紡がぬ様に。主の命を反故にせぬ様に。俺は、輝宗様に仕える忍なのだから。
お ま え の せ い で
だから、心を殺したつもりで笑っていたのだ。
ほうら、何が天女だ。いらぬ化け物が目を覚まそうとしている。醜い化け物が憎い憎いと魘されている。
お ま え が い た か ら
ぼろりと、獣が涎を垂らして唸りを上げる。
ぼろぼろと双眸を曇天の涙が伝う。
ああ、嫌だ、嫌だ。赤く汚れた忍刀は涙に清められ、それはまるで贖罪のようだと烏滸がましくも錯覚してしまう。罪ではないよと天が囁いているようだ。
お ま え さ え い な け れ ば
それでも、見上げた空に光は見えず、八咫烏の導きもないまま、背後に聞こえる足音に俺は追い詰められる絶望感を味わいそっと目を閉じた。
「メイ!」
雨水を踏みつける音とともに、政宗の声が荒々しく背にかかるが俺は動かない。乱雑な動きでもって、政宗の手が俺に伸ばされるのが分かる。触るな。酷く冷たい声がした。
「っ」
弾かれたように政宗が伸ばした手を引っ込める。そう、触らないで。来ないで。今は、駄目だ。
「今更、不敬だなんて言うなよ」
「...メイ」
「ああ、大丈夫、ちゃんと仕事はする。大丈夫、大丈夫。ちゃんとアンタは守るから」
「メイ」
「天女様には悪いことをしたかな、ちょっと意地が悪かった。大丈夫、もう天女様には近づかない」
「っ、メイ!!」
ぱしりと、再び伸ばされた手をたたき落とした。
「大丈夫、ちゃんとあんたのために死ぬから」
大丈夫、大丈夫。その独眼を見ることなく、俺は羽を散らして姿を消した。
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