「オヤジ!!駄目だ、渦が引かねぇ!!」
「ったく、モビーじゃなきゃとっくに沈んでるなァ!」
渦が立てる轟音。雨が痛いほどに肌を打ち、蟻地獄のように船を飲もうとうねる海。
あの時とよく似ているが、あの時とは随分と白ひげは変わった。
あの時の未熟さも血の気も失せて、息子と庇護されるだけだった子供は庇護するべき子供まで得た。
グラグラと思わず笑ってしまったのは、イスカが荒れた海を好んでいた気持ちが少しは理解出来たせいだろうか。変わらず肝が冷えないわけではないのだけれど、今でもじくりと心臓が痛むような記憶を思い出してしまったせいか血の気に似た何かのほうが勝ってしまった。
いよいよ渦の中腹に近づき、一か八かと突き出した右手。息子達が各々船にしがみつき、ぱきりと、大気にひびが入った瞬間。
海の底から突き抜けるような揺れが、モビーディックを揺らした。
「…な……」
息子達の悲鳴がいっせいに上がる。
白ひげが能力を使うより先に、白ひげは忘れもせぬあの音、世界が割れる音が響いたのだ。
海から空へと走る亀裂。不自然なうねりを見せる渦潮。
ぞわりと、白ひげの背が粟立つのが分かった。
「オヤジ……!」
「慌てんじゃねェ!!」
恫喝し宥めながらも、耳障りな音は荒波の音に遮られることなく各々の耳に確かに届いた。不吉を予感させる、そんな音だ。
白ひげは舵を握りしめながら、ひび割れたそこに目を凝らした。まさか。もしかしたら。そんな淡い願望と、成すすべもなく亀裂へ飲み込まれていく船体への驚愕。
いつのまにか船を覆ったうねる様なけあらしに、静まり返る海面。まるで鏡の世界に飲み込まれていくような妙な錯覚に陥り、しかし誰しもが息を飲んで身をこわばらせる。そこで白ひげは漸くはっとした。
飲まれてはダメだ。飲まれるべきではない。
再度右手を突き出した時。
「船だ…」
「おい、人も乗ってるぞ!」
「ジョリーロジャー……海賊か!」
向かってくる一隻の、古い船。古い古い作りの船に、視線が奪われる。
僅かに届く互いのざわめき。ニューゲートは舵をマルコに預け、雨に濡れた体を無意識に船首へと押しやった。
見覚えのあるジョリーロジャーだ。
何度も、そう、あの日から何度も本の中で見た髑髏だ。
ぶわりと、全身が総毛立つ。
「イスカ……!!」
けあらしに霞むシルエットが、次第にはっきりと輪郭を帯び、そしてニューゲートに勝るとも劣らない体格の男が船首に立つ姿をようやくはっきりと捉えた。
見間違えるはずもない。白ひげと同じようにずぶ濡れで、それでも記憶より随分と、小綺麗になり老け込んでいたけれど、間違えるはずがなかった。
驚きに見開かれた、傷だらけの顔。
「白」
それだけで、十分だった。
船がすれ違う。ゆっくりと、ゆっくりと、まるで運命の女神が回す歯車の上に乗り上げたかのように凪いだ水面をモビーディックが進む。
白ひげは追いかける。イスカもまた、追いかける。一時でも長く顔を合わせていたいのだと、示し合わせたように、互いを追って船の腹を伝い歩く。
言いたいことがある。何から言おうか。ああでも、船は止まらない。ぐるぐると白ひげの頭は考えるが、上手く思考は定まらない。
オヤジ。背後から聞こえた声に、白ひげはふと思いあたった。ああそうだ、まず言わなければ。見せつけるように両手を広げ、ニューゲートは熱い目頭を堪えながら思い切り笑みを浮かべて叫んだ。
「オヤジィ!おめぇの孫だァ!!」