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 わたしの言葉に名前はぽかんとしている。鳩が豆鉄砲を食ったようなその間抜けな顔に、わたしは思わず噴き出してしまった。この誘いは全く予想していなかったらしい。

「一応は、貴様は現在このDIOの客人という扱いでここに招いている。だがな、客人としての用はもうとっくに済んでしまっているのだ。ここから帰すにはわたしについて知り過ぎているし、だからと言って折角スタンドが発現したのに殺してしまうのは惜しい。まあ、元々帰す気は無いから、選択肢などあってないようなものだが」

 取って付けていた建前を思い出しながら説明すると、段々と名前の顔は曇っていった。コロコロと表情を変える様は何度見ても愉快だ。
 安心しろ、安心しろよ。そう言いながら名前の目を見る。お膳立てはしてきた。お前はわたしにとって特別だ。そう思わせる準備はしてきたのだ。この女は首を縦に振るはずだ。

「……も……もし、断ったら、ど、うなる、ん、です、か?」

 思わず己の耳を疑った。いま、この女は何と言った?

「……つまりそれは、貴様はこのDIOの誘いを断ると?」
「ええと……その……そ、そういうことに、なります、かね……」

 これは予想外だ。この女、どうやら思ったよりも厄介らしい。女なんてどいつもこいつも単純で扱いやすいものだと思っていたが、なかなかどうして上手くいかないものだ。いや、そもそもわたし自身が上手くいくものだと慢心していたせいで、こいつのことを見誤っていたのかもしれない。
 自分の手に力が篭っていたことに気付いた。すぐ苛立ってしまうのは100年前からの悪い癖だ。気持ちを落ち着けなければ。
 さて、断るというのならどうするか。従わせるまでだが、現状手っ取り早い方法はひとつしかあるまい。

「どうしてもと言うのなら……ふむ、そうだな。これを使うのはあまり気が進まないのだが」

 そう言いながらわたしは自分の髪の毛をひと束、名前の前へと伸ばしていった。毛先が変形し、肉の芽を形作っていく。これを刺してしまえば、名前といえどわたしに服従を誓うだろう。
 そもそも、さっさとこれを刺してしまえば今までの面倒なやり取りや、いつかの夜のような気の迷いも無かったのかもしれない。どうして今まで使わないようにしてきていたのだろう。自問しても理由を思い出せないあたり、大した事情は無かったのだろう。

「……そ、それだけは、やめて下さい、お願い、します」

 案の定、名前は肉の芽を見ると怯えた様子を見せた。肉の芽自体がとても綺麗とは言い難い見た目ではあるし、当然の反応だろう。わたしの時を止める力を見ても尚、自分のスタンドで防ごうとする無様な姿までは予想がついたし、事実、名前はその通りの行動を取った。

「ほう、この芽の意味も知っているのか? そういえば貴様を連れて帰るときに使ったか……だが……」

 そう言いながら、名前の言葉に違和感を覚えた。
 名前と会ってからの記憶を思い出してみるが、この肉の芽がどんな効果をもたらすのか、そもそもこれの存在自体を名前に話したことはない。記憶違いなどではなく、確かに話していないという確信がある。
 だのに、この女の口ぶりは、まるで知っているようだ。この芽が刺されることで自分がどうなるのかを、知っているようだ。

「貴様、知っているのか?」

 スタンドで防がれないよう、一瞬だけ時を止めて名前の首を掴んだ。苦しそうに咽せるので、話せる程度に力を緩めて、そのままベッドに押し倒した。

「貴様に話したことのないこれが、何なのか知っているのか、と訊いている」

 名前の目が見開いたのを見て、わたしは確信した。名前は『知っている』のだ。わたしが一度として話したことのないこれを、肉の芽を、知る術など無い筈の情報を、名前は知っている。
 やはり茨のスタンドを使うべきか? くだらない約束なぞをしてしまったが、そんなこと関係無く探るべきかもしれない。石の矢に始まり、この女は知らない筈のことをあまりにも知りすぎている。わたしの脅威になるとは思えないが、少しでも不安因子になる可能性があるのなら摘み取る必要だってあるだろう。
 固まった名前にもう一度同じ質問を繰り返した。この女のことだ、下手くそな言い訳で誤魔化そうとするだろう。

「……し、知らない、です」

 予想通りの返答だ。
 名前の目をじっと見る。目を逸らさない。嘘をついているのだろうが、どうやってボロを出させようか。すぐ肉の芽を刺してしまっても良いが、このDIOの誘いを断った報いを受けさせたい気持ちもほんの少しだけある。

「知らない? それにしては随分と怯えているじゃあないか。理由はこれの見た目か? それだけでは無さそうな様子だが」
「……く、空港で、それが刺さってる人たちが、DIOさんに向ける態度が、へ、変だったから、たぶん、良くないものだって、思って、その」

 震える声で答えた内容は、なるほど確かに筋が通っている。
 ならば、嘘はついていないのか? それは有り得ない。今までのことを鑑みると、確実にこいつは嘘をついている。だが、この食い下がり方ではボロは出させにくい。どうするべきか。

「あの、DIOさん……その……い、息苦しい、です」

 名前がそう言いながらわたしの手を叩くので、わたしは名前の喉元を解放した。あまり力を入れていないつもりだったが。
 身を起こした名前はそのまま後退りをして、ベッドの端まで移動した。それでもわたしと大した距離を取ることは出来ていない。

「……ひとつ尋ねておくが、何故断りたい? 貴様にとって悪い条件でもないだろう。わたしの下につけば確実な安心を得ることが出来るのだが」

 わたしがそう尋ねると、名前は気まずそうに俯きながら、ボソボソと小さな声で呟いた。

「……部下よりは、その、いや、下につくのが嫌だっていうわけじゃ、なくて……その……」
「何だというのだ。早く言え」
「そ、その……部下とか、上司とか、そういう、上下がはっきりしてる関係が、あ、あまり好きじゃ、なくて」

 要領を得ない回答に不信感が募る。この女に取ってわたしの配下になることにどんな不都合があるというのだ。まだ何か隠していることがあるのだろうか。

「だ、だめ、ですか、ね。そ、……その……DIOさんと、その、と、と、友達、とか、友達っていうとなんか、馴れ馴れしいですけど、うまく言葉が見つからなくて……」

 耳を疑った。こいつは今、何と言ったのだ?

「その、そういう、た、対等な関係、というか…………いや、やっぱり、いいです、すいません、出過ぎたこと言いました。忘れてください、すいません、ごめんなさい」
「……今まで散々無礼な態度を取ってきた癖に、何を今更弱腰になったかと思えば」

 名前の返答に、思わず大きな溜息を溢した。
 嘘にしては稚拙すぎるし、本音ならあまりにもマヌケだ。ただの馬鹿だったか。勘繰っていた自分が考えすぎていただけにすら思えてきたくらいだ。そう思わせるように誘導しているのだとしたらなかなかのやり手だが、いや、こんな嘘でこのDIOを誤魔化せると思っているのだとしたら 、どちらにせよ大馬鹿だ。
 対等だと? このDIOと同じ目線で肩を並べたいと言っているのか、この女は。
 名前に目を向けると、名前はじっとこちらを見ていた。眉間に皺を寄せて全身が力んでいる。友になりたい、なんて抜かす割には随分警戒するじゃあないか。
 時を止めて、名前の頭を掴んだ。時が動き出し、そのまま優しく撫でると、名前の顔はみるみる青ざめていった。やはり、わたしの挙動を見てスタンドを出すつもりだったのだろう。わたしが能力に目覚めた今、そんなことは不可能だというのに。

「何を驚いている? いつものように頭を撫でただけではないか。いつものようにな。いや、友には普通こんなことはしないかな? フフ、くくく……」

 さて、どうしたものか。肉の芽を刺してしまおうかと思ったが、それによって名前のこの愚かさが無くなってしまうのはどこか惜しい気もする。玩具は大事に扱わねばなるまい。

「そうだな。対等……と言うには、貴様には些か足りないものが多い……多すぎるが……それだけに……実際、部下にしても役に立つかは疑問だな。ちょっと外へ出せば気付かぬ間にその首を落とされている可能性すらあるだろう。何ゆえにスタンド能力を身に付けられたのか……つくづく不思議でならない」

 名前は顔を青ざめたまま固まって、目だけがギョロギョロと挙動不審に動き回っている。そこまで怯えなくてもいいじゃあないか、と声をかけるが、聞こえていないように名前の表情は変わらない。
 何度か名前を呼んでみると、ようやく名前は固まっていた意識を取り戻したらしかった。びくりと身体を震わせると、「あの」だの「えっと」だのを繰り返しながらわたしの顔を伺った。

「……じゃあ、つまり、えっと…………」
「これからも仲の良い友でいようじゃあないか。仲の良い友達、だ。なあ、名前?」

 目を細めると、名前はわたしに合わせるように両頬を引きつらせた。笑っているつもりらしいが、ただ口の両端が頬の筋肉に引っ張られただけの歪な笑みになっている。それが可笑しくて、わたしはまた噴き出してしまった。







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2018.12.15