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 ここ数日は先日の一件が嘘なのではと思うくらいに今まで通りの日常だった。というか夢だった、という感じで夢オチとして片付けても良い程には何も無い日々だった。強いて言えばたまごっち宜しくな育成ゲームが流行したくらいで、相変わらず海馬くんは不登校状態だし(何で退学しないんだろう)、城之内くん筆頭に周辺は騒がしいし、武藤くんの首にはパズルがかかっている。
 だが、私の携帯には謎のエジプト人との一件があった日に両親に送ったメールの履歴が残っていたし、先日公共放送で流れてた古代エジプト文化特集の美術番組に登場していた吉森教授は顔にガーゼを貼っていた。夢では無かったのだと私が確認するには充分すぎた。嘘じゃないからこそこの平凡さが際立って感じるのだ。
 過ぎた事をいくら考えても仕方が無いので、平和だからもう何でも良いやという事にしておく。深く考えるのは得意ではない。面倒になったら見て見ぬふりをするのが、16年程生きてきた私に染み付いた癖の一つだ。

「ね! 格好良いでしょ! ゾンバイアって」
「へー花咲くんがアメコミのコレクターだったとは知らなかったよ!」

 今日も残すところ午後の授業だけだと眠気からくる欠伸を噛み殺している私の前で自分の席に座っている花咲くんが冊子を両手に随分と熱を込めて何かを話しているが、それらは全て私の片耳からそのままもう片方の耳へを引っかかる事も無く通り過ぎて行く。アメコミが好きなのだと言う事は理解出来た。私が知っているアメコミヒーローは赤と青のピチピチな衣装を着た蜘蛛男くらいしかいない。普段ならもう少し関心を持って話を聞けるのだろうが今は眠くて眠くて仕方が無い。

「でもアメリカの漫画ってどうしてこうマッチョばかり出てくるのかしら……」
「ゾンバイアはただのマッチョじゃありませ〜ん!!」
「花咲くん声でかい」

 眠い所為で少し強い言い方をしてしまった気がするが気にしていられる程の余裕が私には無い。さっきから眠気のあまり何度か意識が飛んだ。
 私の言葉に花咲くんは小さく謝罪の意を示した。が、ゾンバイアについて話していくにつれてまた声量は元に戻っていった。好きな事に関しては周りが見えなくなるタイプらしい。私も似たようなところはあるので共感はするが、TPOは弁えて欲しい。ついでに私に襲いかかってくる睡魔も日頃からもっとTPOを弁えて欲しい。

「……保健室行ってくる」
「え? ああ、いってらっしゃい。大丈夫?」
「眠い」
「サボりかよー」

 城之内くんの野次にも返す余裕が無い私は彼らに振り向く事無く右手をひらりと振って教室を後にした。昼休みも残すところあと10分を切っていたので、今から休むとなれば必然的に5限はおサボりだ。どうせこのまま授業に出ても終始寝て終わるに違いないのだから、それなら固い机を枕にするよりはベッドで寝たい。以前の様に眠くても糞真面目に頑張って授業に参加しようだなんて考えなくなった私は順調に糞野郎へと堕ちていっているが別に反省も後悔もしていない。
 正味な話、昼休みの間に机に突っ伏して寝てれば午後の授業は何とか乗り越えられそうだったのだが、真崎さんに半ば引きずられる形で先程のアメコミ談義に参加させられたのだ。それで真崎さんを怒るつもりなど無いが、サボった授業のノートを写させて貰うくらいはさせて頂こう。
 保健室の戸を開くと先生がいた。どうしたのと柔らかい雰囲気で尋ねられ、少し怠いと答えた。眠すぎて身体が重たいので嘘は言っていない。一応ね、と言われながら体温計を渡された。左脇に挟みながら保健室を利用した証明カードに名前を記入する。
 そういえばここに来るのは城之内くんに大泣きして以来な気がする。輝かしい青春の1ページと言えば聞こえは良いが、実際はすぐそこに置いてあるゴミ箱に頭から突っ込みたくなるくらい恥ずかしい記憶である。そういえば春には武藤くんにも泣き顔見られてたんだった。うわ思い出すんじゃなかった死にたい。今すぐ死にたい。頭を抱えたい衝動を抑えながら体温計の数字を確認してカードに記入した。

「すっかり元気そうね」
「え、あ、はい?」
「前にここに来た時すごく死にそうな顔してたもの」
「マジすか」

 城之内くんに大泣きした時の事だ。特に意識していたわけでは無かったが私は顔に出やすいタイプらしい。もし嘘を吐く時もそれが当てはまってしまっていたらとは考えないようにしよう。悩み事があったら1人で考えないようにね、と笑顔で言われた。
 靴を脱いでベッドに寝転がった。ああ素晴らしきかなこの寝心地の良さ。幸い私以外に保健室に来ている生徒は居ないらしく、先生がパソコンのキーボードを打つ音しか聞こえない。立っていても充分重たかった私の瞼は、最早邪魔するものは何も無いと言わんばかりにあっという間に私の瞳を覆っていた。キーボードを叩く音が遠のいていく。


「苗字さーん。体調は大丈夫ですかー」

 仕切りのカーテンを開きながらかけてきた先生の声で目を覚ました。丁度先程5限終了のチャイムが鳴ったらしい。もう大丈夫ですと言いながら、恐らく先生が直してくれたのだろう綺麗に揃えられた上履きを履いた。保健室を出る間際、睡眠はしっかり取ってねと笑顔で言われた。仮病なのがバレていたようだ。すみません、と心の中で謝罪をしながら一礼をして保健室を後にした。

 放課後になり、さて帰るぞと鞄を肩にかけたところで武藤くんに呼び止められた。彼曰く、これから花咲くんの家に行ってゾンバイアのコレクションを見せてもらうらしい。
 苗字さんも一緒にどうかと訊かれたが、私はそこまで花咲くんと親しくはない。昼休みの一件も、武藤くん達と昼食を食べていたらいつの間にか武藤くんと花咲くんがアメコミの話で盛り上がりだしていたのが発端だ。私は真崎さんに引きずられて参加させられただけである。
 どうしようかと一瞬悩んで断った。親しくない人の家に行くのは気が引ける。というか帰りたい。これ見よがしに武藤くんに残念そうな顔をされたが生憎人の顔色を伺って考えを変える程軟弱な意志で決断はしていないつもりである。だからその顔で私を見るのを止めて欲しい。何も悪い事していないのに後ろめたい気持ちになる。

「名前来ねーの? ノリの悪い奴だな」
「そりゃすいませんね。じゃあまた明日」
「名前ちゃんまた明日」

 花咲組御一行と軽い挨拶を交わして教室を出た。私と付き合いのある人達は皆行くらしく、ぼっちを貫いた私は寂しい気持ちになったがその程度でこの苗字意志は曲げんと自らに言い聞かせながらそういえばあの漫画の新刊もう発売していたなあと別の事を考えるようにした。べべべ別に寂しくねえし。ちょっとだけ後悔の念を抱きながら家路に着いた。



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