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 病院に行く関係もあり、母に連絡を取って迎えに来てもらった。私を迎えに行く為に仕事を早めに上がらせてもらったらしく、非常に申し訳なかった。まさか本棚の下敷きになりかけただなんて言うことは出来ず、階段で転んだと言うことにした。ドジだと笑われた。

「それにしても随分腫れてるわねえ。折れてないと良いんだけど」
「か、勘弁してよ……」

 さすがにそれはごめんだ。利き手がギプスで固められてしまったら生活に支障が出てしまう。怪我をした時点で支障が出る事は避けられてはいないのだが、それでもギプスと包帯とテーピングでは不便の差がありすぎる。頼れる人が居ない私にとってそれは致命傷なんてレベルじゃ収まらない。
 何はともあれ、病院で見てもらわない事には私達親子にはこの怪我がどれ程のものなのかは見当がつかなかった。母は車のスピードを上げて病院へ急いだ。腫れて熱を帯びた右手をさすりながら、大事ではない事だけを祈った。

「レントゲン撮ってみましたが骨に異常は無いようですし、湿布出しておきますね。治るまでは右手で無理はしないようにして下さい」

 幸い骨は折れていなかったらしい。母と2人でほっと胸を撫で下ろし、病院を後にする。今思うと、あの大きな本棚が倒れてきておきながらこの怪我で済んだと言うのは本当に運が良い。倒れてきた時の事は朧げにしか思い出すことが出来ないが、図書室の本棚の大きさは知っている。もしあれに押しつぶされていたらと思うと背筋が凍る。確か、あの場には武藤くんも居たはずだが、彼は大丈夫だったのだろうか。
 そういえば、とふと思い出した。あの時誰かが何かを呼びかけていた様な気がしたが、誰だったのだろう。それに図書室で倒れた私がどうやって保健室まで行ったのかが気になる。誰か騒ぎを聞きつけた先生が運んでくれたのだろうか。
 武藤くんなら何か知っているかも、と考えた所で今日の昼に彼らに言ってしまったことを思い出した。あんなことを言った矢先に、いくらこんな事故があったとは言え、話しかけて良いのだろうか。それよりも保健の先生に尋ねた方が早いのかも知れない。怪我の具合を報告しておいた方が良いかも知れないし、そうしよう。1人で考えながら頷いていたら母に訝しむ様な顔で見られた。何してんのと言われ、慌てて何でもないと返した。
 家に着いてから怪我の具合を確かめた。鉛筆や箸を持つだけなら問題なかったが、少しでも手首を動かしたり指に力を入れたりすると痛みを感じてしまい、しばらくは左手での生活を余儀なくされそうだった。ノートが汚くなってしまいそうだが、こうなってしまった以上仕方がない。幸い骨は折れていなかったし、半月もすれば動かすことが出来る程度には治るだろう。それまでの辛抱だ。
 ご飯は左手でも食べられる様にフォークやスプーンで食べられる物にして貰う事になった。母の気遣いに申し訳なくなったが、何を作ろうかと楽しそうな母を見ると、そんな気持ちを抱く必要は無かった様だった。

「ハァ……」

 風呂に浸かりながら溜め息が溢れた。両足に疎らについた擦り傷がお湯で沁みたが気になる程ではない。服を脱いで気付いたのだが、両足以外にも身体の所々に痣が出来ていた。本棚が倒れた時に落ちてきた本がぶつかったのかも知れない。
 腫れた部分は温めてはいけないと言われたので、右手だけ浸からない様に湯船の縁に乗せている。
 今日は色々ありすぎて疲れてしまった。こんなに疲れたのは武藤くんの家に行ったとき以来だろうか。ぼんやりと武藤くんの部屋を思い出していたら、唐突に今日の昼に彼らに向けて行った言葉を思い出してしまった。お風呂と言うのは何故こんなにも余計な事を思い出しやすくなるのだろう。

「……明日からどうしよ…」

 思わず左手で顔の左半分を覆った。誰に言うものでも無い小さな呟きは浴室の中を反響して消えた。怪我も勿論そうなのだが、武藤くん達と顔を合わせたくない。自業自得と言ってしまえばそれまでなのだが、仕方が無いと開き直れる程強い精神力は持っていない。
 先日の一件から何故学ばなかったのだろうと、後悔ばかりが胸に沁みた。結局私は彼らとどのような関係で居たいのだろう。友人になることを怖がっている癖に、嫌われることも怖がっている様な気がする。それらが対極な関係であるとは思ってはいないが、行動と考えに矛盾があることは自分でも分かっていた。
 ぐだぐだと書き連ねているが、正直な話、何となく自分がどうしたいかと言うのは察しがついているのだ。ただ、過去の経験と意地のようなものが邪魔をしてしまい、認めたくない。面倒臭い性格に生まれてしまったものだと思う。

「…どうすれば良いと思う?」

 水面に映る自分の顔に向かって問いかけたが、勿論返答が来るわけが無かった。



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