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 他人の事を100%理解出来るわけが無いのは充分わかってるつもりだし、その逆も然りだ。だから友達になるには充分相手を理解してからにしたいと言う私の考え方はどう考えてもおかしい事だと知っている。少しずつ理解し合いながら付き合って行くのが友達と言うものだし、相手の事が理解出来ないまま友達として付き合ってる人だっている。そんな事は充分知っている。私が臆病者なだけだと言う事も、誰よりも自分が一番知っている。そんな事くらい、私が一番わかっているんだ。

「名前! おい、名前!」

 自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、閉じていた目を開こうとしたが、眩しくて上手く開けない。薄目で声がする方を確認すると、見慣れた金髪が見えた。彼は何をしているのだろう。
 心無しか彼以外にも周りが随分騒がしい様な気がする。図書館は静かにしなければならないと言う事を幼い頃に教わらなかったのだろうか。

「大丈夫かよお前! 動けるか!? 早くこっち来い!」

 彼の声を聞き取ろうとするが何故かくぐもって聞こえる。まるで耳に何かフィルターをかけられたようだ。何かを言われているらしいのは分かったが、細かい部分まで聞き取れない。ふと、自分の身体が俯せの状態で横たわっている事に気が付いた。公共の場で何をしているのだろう。騒ぐよりも余程みっともないではないか。早く起き上がらなければと、腕に力を入れる。しかし右手が思う様に動かせない。足を動かそうと思ったが、何か重たいものが乗っているらしく、こちらも上手く動くことが出来ない。金髪の彼の声がどんどん遠退いていく。

「ご、め……」

 ごめん聞こえない、と言ったつもりだったが、喋っているのかどうか自分でもわからなかった。声を張りながら私の方へ手を伸ばす彼の顔を見たのが最後、再度私の視界は暗転した。


 嫌な夢を見た。昔の夢だ。回想と言った方が正しいかも知れないが、風景が高校だったり登場人物が皆高校のクラスメイトだったりというあたり、夢だとしか言いようがなかった。
 武藤くん達が私を見ている。その目は侮蔑の意志を示している。城之内くんと本田くんがこそこそと何かを話している。真崎さんは私と目を合わせない。その後ろにもうっすらと見覚えのあるクラスメイトの人達が、武藤くん達と同様の目で私を見ている。
「苗字さんって酷い人だね」「わりーけど付き合いきれねーわ」「名前さんの事、そんな人だとは思ってなかった」「軽蔑するぜ」
 口々に浴びせる言葉が記憶と共に蓋をしていた感情を呼び覚ましてくる。やめて。ごめん。お願い。
 過ぎた事だ。こんな事、もう終わった事だ。忘れるべき事だ。それなのに、何故こんな形で思い出さなければならないのだ。やめてくれ。どうして今になってこんな事に苛まれなければならないんだ。
 両手で耳を塞ぐが、聞こえてくる音量に変化は無い。彼らの目が、声が、姿が、少しずつ大きくなって私に迫ってくる。四方を囲まれた。逃げられない。悲鳴を上げたが、それは声として私の喉から出なかった。

「……っ!」

 突然景色が変わった。目を見開き、反射的に起き上がった。慌てて辺りを見回す。保健室のベッドで寝ていたらしい。先程まで私の四方を取り囲んでいた人達の姿は無い。それが夢だと気付くまで幾らかかかった。
 深呼吸をして乱れた息を整える。息はすぐ整ったが、心臓が落ち着くまで時間がかかった。汗を拭おうと右手を動かす。突然痛みを感じ、思わず眉が眉間を押し上げる。見ると、手首が左手に比べて随分と腫れ上がっていた。捻ったのだろうか。

「あら、起きた! 良かった〜なかなか起きないから死んじゃったかと思った」

 物音に気付いたのか、保健の先生がベッドのカーテンを少し開けて顔を覗かせてきた。さり気なく酷い事を言われた気がするが、今はそれどころじゃない。何故私は保健室にいるのだ。

「あの、先生、私…えっと……」
「苗字さんさっき図書室で本棚の下敷きになりかけてたのよ〜本棚が上手く壁に引っかかったから直撃はしなかったけどねえ。運が良いわねえ」

 でもこんな事故に巻き込まれる時点で運が良いとは言い難いわねえと笑いながら先生は言う。そういえば図書館に居たところで記憶が途切れている。

「あ、先生、右手がちょっと痛くて……」
「え? あらら、捻ったか重たい本がぶつかったかしたのかしらねえ。湿布貼って、帰りに病院寄っていった方が良いかもね。よく見たら足にも擦り傷や痣が出来てるみたいだし、逆に言えばあれだけの騒ぎなのにこれで済んだって言うのが凄いわねえ」
「は、はい……すいません………」



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