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 数秒なのか数分なのか、気を失っていたらしい。ジョージの声が鈍く頭に響いてきて、私は目を覚ました。
 後頭部がズキズキと痛む。何かに引きずり込まれたときにぶつけたのだろうか。身体が揺れる度にその振動が痛みを強くした。
 混濁した意識が痛みによって徐々に鮮明になっていくように、己の状況も少しずつはっきり見えてきた。身体が一定の振動で揺れている。腰に誰かの腕がまわっている。私は抱えられて運ばれている。腕は背中に回され、何かで拘束されている。
 少なくとも良い状況ではない。足は自由なままだったので、暴れれば逃げることが出来るかもしれないと身を捩った。

「動いたら殺す。声を出しても殺す」

 しゃがれた、けれど地底から響くような威圧的な声が、私の身体を静止させた。暑くもないのに額に汗が滲む。殺す、という言葉は脅しではないのだと、心臓の奥で直感が囁いた。

「ほんどは今すぐにでも切り刻みてぇ……海馬サマがはやぐ許可を出してくででばなぁ……」

 非現実的な言葉を何一つとして違和感無く口にした男は、現在私達に命の危険を強いてくるくそったれな同級生の名字を口にした。考えてみれば当然のことなのだろうけれど、この男は海馬くんの差し金というわけだ。
 目を覚まして間も無く、私は何かに座らせられた。腕は後ろで拘束されたまま更に何かに繋がれたらしく、両手の間に重みを感じた。背後がどうなっているのか確認しようと身をくねらせていたら、ジョージに落ちるからやめろと文句を言われた。落とすぞ。
 私の肩を背後に立っている男が掴んだ。そのまま肉付き具合を確かめるように肩から腕にかけて揉んでいる。私は全身をセメントで固められてしまったのかと思うほどに動けなくなった、
 耳の奥で心臓の音が響いている。呼吸の仕方を忘れてしまったような気がして、いつの間にか意識は肺に向かっていた。男はジョージに何かを渡しているが、意識を保つだけで精一杯の身にはそれが何かも、ジョージと男が何を話しているのかも分からなかった。

「お〜い! 助けてくれ〜!」

 ジョージが廊下の方向へ声を張り上げた。その直後にバタバタと複数の足音が聞こえてくる。

「おーいこっちこっちー! みんなー僕達はここだよー! 来てくれー!」

 廊下の奥から4人の姿が現れた。ジョージの怪しさにこちらへ近付くことを躊躇っている。

「苗字! その部屋には他に誰かいるのか!!」
「いないいない! 誰もいな〜い!」
「てめーには聞いてねえんだよクソガキ! オイ名前! どうなんだ!」

 背後から聞こえる舌舐めずりの音とうなじに触れる乾いた手の平が、私の声帯を震わせることを許さなかった。
 その間にもジョージと4人は会話を繰り返すが、ジョージの露骨な言葉と態度に怪しさは増すばかりだった。私が口を開けないことも拍車を掛けているのだと思う。

「ダンナぁぁ……奴ら入って来ませんぜ!」

 痺れを切らしたジョージが男に向かって言う。その口ぶりはすっかり寝返っていて、多分私が呼吸の仕方を確認している間に何か密約が交わされていたのだろう。4人が来たことによって冷静になれたのか、ジョージが手にしているものが手錠だとようやく気付いた。
 ジョージの言葉に、私の後ろに立っていた男は動物が唸っているような声を漏らした。吐き出した息が私の首を撫でて、全身が大きく震えた。

「みなさんいかがかな……海馬ランドの『死』のアトラクションを楽しんでもらえてるかい?」
「海馬! どこに隠れてんだか知らねーけどよ! 度胸があんなら俺らの前に出て来てみやがれ!」

 背後から海馬くんの声が聞こえた。強張る身体を無理矢理捻らせて確認すると、男の身体にモニターが付いていて、そこに海馬くんが映し出されていた。

「フフ……僕がゲームの中で一番好きなものはカードゲーム……その次がチェスゲームでね……君らは『海馬ランド』という巨大なチェス盤の上に並べられた『生きた駒』のようなものさ! 僕は上から眺めながら君らを追いつめていくこのゲームを存分に楽しませてもらっているよ!」

 海馬くんは淡々と話す。私達が感じてきた恐怖なんて気にも留めていないように話す。10代後半といえば感受性が豊かな時期の筈なのに何でこんなことが出来るんだ。ドミネーターで測ったら確実に犯罪係数カンスト決めてる。

「さて、次なるゲームだが……この部屋の中の『殺人鬼』……チョップマンとのゲームだ! 誰か一人だけこの部屋に入って来るがいい!」
「は? チョップマン?」

 チョップマンってさっき上で海馬くんが話してた日本版ジェイソンのこと? マジで?
 背中に一気にぞわぞわと寒気が走る。今、私の背後にいる大男は童実野町のテレビを騒がせ続けた猟奇殺人鬼なのだ。威圧感の正体が腑に落ちた。

「君らはこのゲームを避けて通ることはできない筈だよ! 彼女たちの首をねじ切られたくはあるまい?」

 海馬くんの言葉に、男……もとい、チョップマンは呻き声を上げながら私とジョージの頭を掴んだ。海馬くん曰く、この殺人鬼は海馬くんの言うことのみに従うらしい。海馬くんが冗談でも殺せと命じてしまえば、私とジョージの首は力任せに千切られてしまうということだ。

「さあ、ゲームに名乗り出る者は誰かな?」

 助けて、と言いたかったのに掠れて声にならなかった。



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