29


 散々サイコパスなことをやってきた海馬くんは、ここにきて突然ゲームとしてフェアじゃないからヒントを教えてやるよと中途半端な温情を見せた。その程度の優しさで今までの行いが帳消しになると思うなよ。映画のジャイアン効果を生み出せると思ったら大間違いだ。お前はジャイアンにはなれない。
 海馬くんが指をさした先には四つの穴が空いた壁がある。それぞれの穴の上には意味ありげに数字が振られていて、左から00・01・10・11となっている。二進数かな。プログラマーを呼んで欲しい。
 穴の奥にはスイッチがあり、正解のものを押せば出口が分かるらしい。二進数らしき数字のみがヒントってちょっと難易度高すぎない? 知能指数が生まれたてのミミズの私には正解が皆目見当つかないです。

「くそ……手を入れるしかないようだ……」
「ああ……あれだけ探して見つからなかったからな……」

 皆でぶつくさ文句を言いながら穴へ手を入れていく。私も一番右の穴へ手を伸ばしたら、真崎さんに呼び止められた。どうしたのかと振り向くと、ジョージを渡された。

「名前ちゃんはジョージ見てて。私が入れるわ」
「え、でも危ないかも」
「だからよ」

 真崎さん格好良すぎでしょ。ファンクラブ作りたい。私が会員番号1番だ。
 私が躊躇っていると、真崎さんは半ば無理矢理にジョージを私に押し付けた。ジョージの表情は見えないが、舌打ちの音が聞こえた。床に叩き付けるぞ。
 私は真崎さんに、ごめん、と言って、4人の少し後ろへと下がり、腰を下ろして足の上にジョージを置いた。
 真崎さんがまだ塞がっていなかった右端の穴へと右手を差し込むと、それを待っていたかのように金属音が鳴り響いた。何かが閉まるような音だ。腕がロックされた、という本田くんの声と同時に壁の上方で明かりが点く。
 そこにあったのは大きな刃と、それをぶら下げている鎖。囲うように組まれた木とその形は、正にギロチンだ。室内に悲鳴が響くと、満足げに笑う海馬くんが口を開いた。

「さあゲーム開始だ! 4つのスイッチの内正解はひとつだけ! 間違ったスイッチを押したら巨大な刃が落ちてきてお前らの手を切り落とす! 時間は5分! それを過ぎても刃は落ちる! いいな! スイッチは一度きり、ひとつしか押せないぞ! おっと名前さん、君が横から何かをしようとしても刃は落ちるから気を付けろよ」

 ヒントはこの部屋に隠されている、という言葉を最後に海馬くんを象っていた立体映像は消えた。
 制限時間は5分だと言っていた。秒に換算すれば300秒だ。時間内に正解のボタンを押さないと武藤くん達の手首が飛ぶ。間違ったボタンを押しても飛ぶ。手首が切り落とされたりなんてしたら激痛と失血で死んでしまうかも知れない。

「ご、ごめん、私、どうしよう」
「名前は触んな! 海馬が言ってただろ!」
「あ……そ、そっか……ごめ、ごめん」

 どうにか出来ないかとギロチンに触れようとして城之内くんに叱責された。そういえば私が何かをしても刃を落とすって言っていた。同級生の手を切り落とすなんて本気でやるつもりなのか疑いたいが、これまでの海馬くんのサイコパスの具合を鑑みるに、5分経ったら本当にあの刃を落としてくる気がする。
 混乱気味の私を、武藤くんが大丈夫だと宥めた。後ろに下がっていろ、と本田くんの言葉に、何も出来ない私は大人しく従うしかなかった。床に座らせていたジョージをもう一度膝の上に乗せて座り込むと、ジョージは不機嫌にまた舌打ちをした。

「さあてこれは難問だぜ……どのスイッチが正しいのか……」
「もうイヤ〜! 次から次へと何なのよもおー!!」

 真崎さんの叫びが胸に刺さる。やっぱり私が手を入れるべきだったんだ。罪悪感が自らの心臓を力強く圧迫してくる。
 ごめん、と謝ったら4人に慰められた。いい人達すぎるだろ。なんかもう好き。

「ひ、ヒント! 海馬くんヒントあるって言ってたよね。ちょっと探してみる」

 海馬くんの言葉を思い出した私はジョージを再び床に座らせると、震える両手で散らかすように薄汚れた棚やカーテンや鎧をひっくり返した。けれど、出てくるのは埃ばかりで、ヒントだと思しきものは出てこない。
 卑劣に手足が生えたような海馬くんのことだから、ヒントそのものがぱっと見では分からないようなものになっている可能性だってある。焦りがじわじわと恐怖にすり替わっていく最中で、武藤くんの声が聞こえた。

「名前さん! ヒントはこれだ! 僕が持ってる!」

 武藤くんを見ると、紙のようなものを掲げていた。小走りで彼に近付き、その左手が持っているものを見ると、古びて黄ばんだ紙切れに赤い字で何かが書かれている。英単語らしい。小文字でブラッドと書かれているが、その文字に違和感を覚えた。

「な、何これ……びー、える、える、おー……ブラッド? じゃないよね? 確かブラッドってLはひとつだけだったような」
「……本当だ! この文字おかしいぞ!」

 武藤くんが声をあげる。良かった、私の英語力がおかしいだけだったらどうしようかと思った。定期テストは出題範囲の問題を丸暗記して乗り越えているタイプが私だ。

「くそーワケのわかんねー数字とか文字だとか……こーゆう謎解きは苦手だぜ!」
「この謎を解けるのは遊戯しかいないわ! ホラ! 千年パズルを解いたんだもの! 頑張って!」

 武藤くんが必死に紙を凝視する横で私も紙を見る。blloodと書かれた紙は、見た限りではその文字以外のヒントらしいものは見当たらない。スペルを間違えている部分がヒントになっているらしいと予想は出来たが、それが何を意味しているのかまではまるで検討がつかなかった。

「おい……あと2分しか無いぞ!」

 腕時計で時間を確認した本田くんが叫んだ。武藤くんは何も言わない。

「遊戯! 名前!」
「あと1分よ!」

 急かされると手元が狂うタイプなんだやめてくれ。周りの焦燥に引き摺られて私の思考はほとんど完全に止まった。

「時間切れだ!! ギロチンの刃が!!!」

 もう駄目だ。
 私は反射的に目を閉じた。怖くて見ていられるわけが無かった。武藤くんが何かを叫んでいるけれど、その言葉の意味は頭に入ってこなかった。
 重力に従うギロチンから目を遮って3秒、4秒、5秒。誰の叫び声も聞こえてこない。

「刃が止まった! 正解だ!!」

 静寂の中に武藤くんの声が響いた。そろそろと指の間を空けて瞼を上げる。彼らの腕のすぐ上にぶら下がっている刃が見えた。彼らの腕は切れていない。
 つまり、武藤くんは正解したのだ。

「……よ、良かった………」

 深いため息と一緒に足の力も吐き出してしまったらしく、私はふにゃふにゃとその場にへたり込んだ。腿の裏側に砂のざらついた感触があったけれど、そんなことは気にならなかった。
 腕を拘束していた手錠が外されて、4人は歓喜の声を上げながら自分達の腕の無事を祝った。
 武藤くんがヒントの解説をしている。曰く、それぞれの文字は数字を意味していて、3文字目が矢印になっていることが正解を示していると推察したそうだ。ここまで頭が回るのにどうして学校の成績は良くないんだろう。
 機械的な音が背後から聞こえて、振り返ると私のすぐ後ろの床が開いていた。その下には更に取っ手のついた蓋が付いていて、英語で出口と書かれている。ついにこの悪趣味な洋館ともおさらばだ。

「俺は退屈だったぜ……ケッ」
「はいはい床に座らせてて悪かったね」

 小刻みに舌打ちをし続けるジョージの文句はほどほどに受け流した。立ち上がって駆け寄ろうとしたが、思った以上に腰が抜けていたらしく、腕に力を入れても私の足は地面を上手に踏みしめてくれなかった。

「せめて誰か1人くらい腕切り落ちちまえばなァ〜」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「ぜんぜんおもしろくなかったぜ! フン!」

 お前だけこの館に置いてってやろうか。
 一抹の悪意が表情に出ないように押し殺しているせいで、私は自分の背後から音が鳴っていることに気が付かなかった。笑顔の武藤くんと目が合った瞬間。

「えっ」

 出口から出てきた何かが私を後方へ強く引っ張った。



← |