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Je pence a toi


落下する純愛

 息が混じり合う距離で互いを見詰め合う。真っ暗だった部屋に、雲の切れ間から覗いた月明かりが濁った色を落とす――
 今宵の彼はいつもと違った。
 薄く開かれた唇から冷たく乾いた呼気が吐き出され、彼女のそれをゆるりとなぞる。血の色が、見慣れた紫水晶の色彩を蝕んで、紅く光る。すべらかな輪郭も、鋭く射るような眼差しも、何も変わっていないのに…僅かな月光に輝く髪は、夜の羽根のような黒では無い、流れる白銀の絹糸の如く。さらりと、色彩のみを変えた彼の変わらず美しい髪が、真白い肌を擽った。
 彼女は微動だにせず、閉ざされた扉と詰め寄る長身に挟まれたまま息をする。凍て付く水底の色をした月光が肺を満たし、浅く早い呼気が喉を掠っては風の悲鳴に似た音をたてた。
「歳三、さん――」
 細い喉は憐れな程弱々しく言葉を紡いで震える。透明の膜の張った柔らかな茶の瞳は白髪の異形を映し、恐ろしくて堪らないだろうに健気に見詰め返す姿は、最早愚か者のそれである。
 ぎらつく血の色を歪め、酷薄な唇は引き伸ばされて、氷の息が、は…と音を立てた。
 彼女の愚かさを嘲笑ったのか。
はたまたもっと他の意味合いがあるものなのか。
 人のものとは思えない朱の、その奥に潜むもの…彼自身にしか解り得ぬ苦悩が息を殺して横たわっているのか。
 時を止めて久しい朽ちた館。二人以外に息づくものは存在しない。ただ水銀のような重みの月光がゆるりと溜まるだけだった。

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