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「――さ、入ってください」
どうなるか不安だけど、彼等がいてくれるならなんとかなるだろう――と、典子さんが玄関のドアを開けたので、私は口を閉じた。
小声での会話だが、ナルに変に勘付かれたくないし典子さんや麻衣に不審な眼で見られたくないので、式神との会話を終了させる。
リンさんには、式神がいると知られているので問題はないが。ふとそこまで思考して、リンさんにジェットの紹介はしていなかったと思い出す。ヴァイスの姿は見せてあげたが、ジェットは渋谷に来なかったので紹介する機会がなかった。
ジェットにもリンさんにヴァイスの存在を教えたと話していない。
「靴のままどうぞ」
「映画みたい。すごーい」
「ありがとう」
玄関は広くて、四人プラス式神二人と、式五つが立っても余裕なペースがある。
洋館と言われて想像するのは玄関ホールから見える真正面にある曲がりくねる階段だろう。典子さんの家にも二階へと続く階段が玄関から入った真正面にドーンと待ち構えていて、中は吹き抜けで大きな窓から入る陽の光が玄関ホールを照らしていた。
「こんなお家に来たのは初めてですよー。素敵ですねえ」
「そう、……変なことが起こらなくなるといいんだけど……」
白壁で外に比べて明るい印象を受ける室内に、麻衣が顔をキラキラさせているのに対して、典子さんは沈んだ声を発した。
「今、兄がいないから心細くて」
暗い顔でそう零した典子さんに麻衣がオロオロとしているのを尻目に、ナルとリンさんは我関せずで心なしか早くしろと急かすオーラを纏っている。
普段だったら私も麻衣と一緒に典子さんを元気づけるんだけど…。
『うっ』
家の中の異常さに吐き気が込み上げて来て、それどころではなかった。
「どうした?」
「ぇ、!瑞希先輩!?どうしたんですかッ!?」
学校の講堂に全校生徒を敷き詰めたみたいな霊の数の多さに、気分が悪くなって、ふらりとその場にしゃがみ込んだ。立っていられなかった。
視界を閉じても笑い声が耳から離れてくれなくて。ばたばたと大きな足音を鳴らして子供達が駆け抜けていく。
霊体が一つだったらここまで影響を受けないんだけど、如何せん数が多すぎる。
『いえ、…寝不足でちょっと眩暈がしただけなので……すみません、気にしないで下さい、大丈夫なんで』
「今日が調査だと知っていただろう。健康管理はしっかりとしろ」
《この餓鬼ッ!》
ナルの容赦ないお言葉に、憤慨するジェットの裾を掴んで、へらりと笑みを浮かべた。
依頼人の前で無様な姿を見せたのだ、ナルの言い分は判る。
『すみません、――っ!っと…ぁ』
迷惑はかけられないと思い、立ち上がったのだが――…ふらりと体が倒れそうになって、力強い腕に支えられた。
ジェットかな?と思ったけど、香る匂いが嗅ぎなれている匂いじゃない事にすぐに気付いて顔を上げれば、私を支えていたのはリンさんだった。
『リ、リンさん』
腰を屈んで支えてくれるリンさんとの距離が思いのほか近くて、頬が紅潮する。
私と同じくらいあわあわと目を回している麻衣と、心配そうに眉を八の字に下げる典子さん、ナルは通常運転で無表情だった。が、
「ナル、先に行って下さい」
と、リンさんに言われて、少し意外そうにリンさんを見遣って、典子さんと恐らく応接間へと消えていった。
リンは、慌てて彼と距離を取ろうとした瑞希の腰を、支えて背中に手を当てた。
《おい、何やって――…》
《んー?確か“きこう”って言ってたよー》
《気功か》
「また夢見が悪かったんですか?」
『いえ…』
またリンさんにお世話になってしまったと自己嫌悪に陥って、背中から伝わる温度に感謝しつつ、責めるでもなく尋ねた彼に私は口を噤む。
『………いるんです、ここ』
「!」
『子供の霊が…沢山いるんですよ』
《瑞希、》
ジェットは私が人間であるリンさんに、霊がいると伝えるとは思っていなかったんだろう。
リンさんにそう切り出した私を、金の瞳が極限まで見開かれていて。ジェットにちゃんと話しておけば良かったと今更ながらに罪悪感を感じた。
父が亡くなってからずっと頼りにしていたのはジェットだった。ヴァイスと出会ってからはヴァイスにも頼っていたけど、一番頼りになるのは付き合いの長いジェットで。ジェットもまた私の右腕の様な位置を自負していたんだろうと思う。
私の世界がジェットとヴァイスを中心に広がっている中に、彼が知らない間に頼る人間を入れた事はなかったから――…ジェットの驚きようも頷ける。
『あ、大丈夫。リンさんには話してあるから』
《…………何?訊いてねぇぞ!》
《ヴァイスは知ってるー》
《あ゛?おい、瑞希………どういうことだ。何でコイツが知っていて、俺が知らねぇんだ!?》
キッと鋭い眼差しで一睨みされて、私は御免と謝る。
詳しくは後で話すから!と、伝わらないのに心の中で念じた。その時にジーンの魂魄の話もしておかなければと、頭に刻む。
リンさんにジェット達式神の存在を話してはいるけど、一番大切なのはジェットとヴァイスの二人だけだよ。それだけは変わらないよ。そう思ってジェットとヴァイスに向けてふわりと笑みを零した。
《……》
「大丈夫ですか?」
『え、はい。リンさんのお蔭で、大丈夫になりました。霊気に当てられただけなので…もう平気です』
支えてくれていたリンさんから放れて、一人で立って見せた。…――うん、大丈夫だ。
しっかりと自分の足で床を踏みしめて人知れず頷く。
視界の端で、着物姿の女の子や洋服姿の男の子の姿が映ったが、瑞希は栗色の瞳を細めるだけに留めた。
『そう言えば、リンさん。私には、雪女と別の式神がいるんです。この前は来ていなかったので紹介できませんでしたが…後で紹介しますね』
《あぁ゛?》
一気に不機嫌になったジェットを一瞥して、リンさんを見上げた。
リンさんが頷く前に視線を逸らして瑞希は、ゆっくりと酸素を鼻で吸い込んで――気合を入れる。
『(よしっ)』
《何で俺がコイツなんかに、紹介されなきゃいけねーんだッ!てーか、お前コイツに姿見せたのか!?》
《うん。結構前にねー……ヴァイスは嫌だったけど》
《……チッ》
家の中へと一歩足を踏み入れただけで、不穏な空気が充満しているんだ。元凶である部屋に近付けば近付く程、体力を削がれるのは目に見えている。揺るぎない気持ちで望まなくちゃ、今回は取りこまれてしまうような気がした。
一応、私だってプロだ。
ここへは私への依頼で来たわけじゃないけど、仮にもプロなのだから、簡単に殺られるなど恥じだ。
『さっ、行きましょう!』
幽霊屋敷へ――…いざ、出陣!
空元気に進む瑞希をヴァイスは慌てて追いかけ、式神が視えないリンは心配の色を宿した瞳のままゆっくりと彼女に続き、ジェットはそんなリンの様子を見、鼻を鳴らした。
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