1-3 [3/41]





渋谷サイキックリサーチ、略してSPRでアルバイトをし始めてから数か月。旧校舎で怪我をした後頭部と足は既に完治していた。

旧校舎でお手伝いをすると言った時もジェットは不機嫌になっていたが、渋谷サイキックリサーチでアルバイトをすると言った時の不機嫌さには敵わなかった。

普段は優しいのに、渋谷に行くと言った日は機嫌が悪くなる。でも、そんなことをしても瑞希が意見を覆すとは思っていないので、ジェットも大人しく見送ってくれる。

そう見送ってくれるのだ。ジェットはナルの事が嫌いらしく、一度も事務所までついて来ない。まあ見送ってくれるだけ一歩前進かなと思う。


『っ、はぁ…、』


――ユージンの説明とか、一々するのも面倒なので、まあ、その点は助かったかな。

なんて、我が式神のことを考えながら現実逃避してみたけど、体調が優れないのは隠せない。

本日は土曜日で、渋谷は人が多い。まあ、普段も人多いけども。人ごみを避けて歩いて、やっとたどり着いた目的地であるビルの下の木陰で、私ははぁぁぁっと息を吐き出した。


《瑞希様、大丈夫?》

『…うん』


瑞希の事が心配なくせに、一貫してここに来たくないと言い張るジェットに言われて、主について来たヴァイスの恐る恐ると言った声に、大丈夫だと心配しなくてもいいのだと、無理して笑う。

本人は気付いていないのだろう。瑞希の顔はいつもよりも青白く、病人のようで。それでも無理して笑う主の姿に、ヴァイスは渋面を作った。


《今日くらい休めばよかったのにー。ジェットだって心配してるよー》

『……うん』


座れそうな場所に腰を下ろして、息を整える。

いつも元気いっぱいなヴァイスが眉を八の字にさせて心配してくれているので、私は笑いそうになったけど、笑い声をあげるのもしんどくて、心の中で笑みを零した。

ちょっと貧血気味なだけで心配しすぎだって。今朝、夢見が悪くて叫び声を出したのがマズかったか。堪えれば良かったかな…と見当違いな事を考えていたら――…、


「瑞希さん?」

《!》


最近聞きなれたリンさんの声が聞こえた。

リンさんには、気まずいとこばっかり見られている気がする。旧校舎の時も、ユージンと会話している時も。

「瑞希さんっ!?」と慌てて駆け寄って来る、普段では絶対に見られない無表情がトレードマークのリンさんの切羽詰まった表情に、自然と微笑んだ。


「顔色が悪いですけど……力使ったんですか!?何があったんですか?」

『っはぁっ、い、いえ…ちょっと、夢見、が悪くて……』

「夢?」

『同調、しすぎて、気力を……無駄に吸われちゃ、いました』

「笑いごとじゃないでしょう」


私よりも必死な形相のリンさんを見上げて、へらりと笑みを浮かべた。ちょっと嬉しいとか思ってしまった。

血色の悪い肌で笑う私にリンさんは眉を器用に上げて、ナルみたいに嘆息して、私の背中を撫でてくれた。


『リ、リンさん?』

「……調子が悪かったのなら、遠慮せずに休まれて下さい」

『ここまで、気、持ち悪いと…お、もわなくって…、すみません』


リンさんが、優しく背を撫でてくれる行為にもびっくりしたが、彼の手からぽわ〜っと温かいものが身体に沁み渡るのを感じて、戸惑ってリンさんを見上げる。

目線が合わなくて、これ以上何かを言う気力もなくて、大人しく身を任せていたら、段々と気持ちよくなって来て、リンさんは何をしてくれているのだろうと脳がやっと正常に動く。

突然現れたリンに、ヴァイスはまたこの男ッ!と面白くなかったけど、次第に血色が戻る瑞希に気付き、彼女が心配なので今回は邪魔するのを見送る事にした。

どれくらいそうしていただろうか?

じんわりと沁みわたる温かさに目を閉じていたら、ふとリンさんが手を放したのを肌で感じて、ぽかんとリンさんを仰ぐ。


「どうですか?気分、良くなりましたか?」

『ぁ』


あまりの気持ちよさに、体調が悪かったのを一瞬だけ忘れていたようだ。自然と胸に手を当て、瞠目した。

さっきまで己を襲っていた気持ち悪さがなくなっていたのに言われて気付く。同時に、リンさんがこの不快な気持ち悪さを軽くしてくれたのだって気付いて、はッとリンさんに視線を戻す。


『良くなりました!…えっと、リンさんが何かしてくれた…ん、ですよね?えっと、その…リンさんは大丈夫なんですか?』


私の“負”を、リンさんが取ってくれたという事は……リンさんの身体に移ったのではないかと思って、彼の身体に視線を巡らす。

だが、リンさんからはヴァイスが好きそうな邪気を感じられなくて、小首を傾げた。あ、お礼を言ってない。


「ええ、私は大丈夫ですよ。あれは“気功”です」


顔面に赤みが戻って普段の瑞希にほっとしたリンだったが、その彼女にまさか心配されるとは思ってなくて目を丸くし、ふっと口元を緩めた。

もしこの場に麻衣がいたら、リンさんが笑ってるー!!!と衝撃を受けるだろう、そんな柔らかい眼差しで瑞希に種明かしをしてくれた。


『…気功?』


訊いた事はあるけどそれを実際に目の当たりするのは初めてで。

そもそも気功は眉唾物というイメージと言いますかー…本物に出逢うのは中々ないのだ。その気功をリンさんが扱えるなんてっ!私は思わず感動した。こんな身近に本物がっ!!


『リンさん気功を扱えるのですか!凄いですね!あ、すみません…お礼を言ってなかったですよね、ありがとうございました。お蔭さまで、身体が軽いです』

「いえ、それは良かったです。では立てますか?オフィスに上がりましょう」

『あ、はい。リンさんって、本当優秀ですよね。尊敬しちゃいます』


リンさんは中国人で、式を五体も持っていて、直接尋ねてはないが、彼は中国巫蠱道の道士なのだろう。気功も使えるとは知らなかったけど、リンさんなら使えて当然かと思い直す。流石、リンさん。優秀だ。

だからナルも手放せないのだろうとひっそりと思った。

人間の中で、能力者が一番嫌いだけど、私はリンさんは嫌いではなかった。彼は、ちゃんと修行しているのが節々に窺えるし、能力者としてのプライドも持ち合わせているだろう。ならば、私が恐れているような事には発展しない。

それに私とヴァイスを拒絶しなかったリンさんを嫌いになれるわけがなかった。人間だけど。

思考に意識を取られていた私は、リンさんが僅かに頬を朱く染めたことに気付かなかった。目撃していたら、不機嫌になったヴァイスの理由を容易に察せられたことだろう。


『修行とか、頑張ったのでしょう?』

「ええ、まあ。気功に興味がありますか?今日みたいに、夢見が悪くなることが多いなら、お教えしますよ」

『え、本当ですか?それは是非教えてください!私にも出来るかな』

「誰にも出来るようになりますよ」


リンさんと他愛もない話をしながら建物の中に入る。


――気功かー…。

もし私が気功術を扱えるようになれば、悪夢に囚われてもジェットやヴァイスに気付かれない様に自分だけで処理出来るかな。

それに、結界術の修行にも使えるかも。結界の精度が上がるかもしれない。

リンさんがどこまで本気で言っているのか判らないけど、機会があったら是非教わりたい。


『ん?』


無表情、寡黙なイメージがあるリンさんとナルには、はっきりと言って全く似合わないお洒落なオフィスに足を踏み入れると、すでに麻衣の姿があった。


『おはよう。早いね、麻衣ってば』


来客の音に顔を上げた麻衣と視線がかち合って、私は内心苦笑する。


――もう来てたのね。麻衣元気というか。早く来たくなるほど、ナルが好きなのねー。


「おはようございます!っあっ、リンさんもおはようございます」

「……」


リンさんは、麻衣の姿に目を向けることなく、さっきまで私と話してくれていたのに、無言で資料室へと消えて行く。

彼のその冷たい対応に私は、頬を引き攣らせた。――あからさますぎる。

私も人が嫌いだとか、リンさんを拒絶した身では何も言えないけど、リンさん相手は高校生になりたて(麻衣)なんだから……いくら日本人が嫌いでも挨拶くらいは返してあげればいいのに。


――って…あれ?

私も日本人で、私がリンさんが日本人が嫌いだと知っているのに、何で彼は私とは会話をしてくれるのだろうか?私も、はっきりと人間が嫌いって言ったのにも関わらず、だ。

考えても答えが出そうにない疑問に、私は人知れず疑問符を飛ばした。


「こっ紅茶は、ぁ…」

「……」


麻衣の言葉を最後まで訊くことなくリンさんの姿は見えなくなった。

かたくななリンさんの背中と、しょぼんと落ち込む麻衣の姿を交互に見て、私はひっそりと吐息を零した。


『(大人げない)』


って、私も人のこと言えないけどね!

とりあえず今日もしっかり働こうと気合を入れて、麻衣がいた一角に目を向けると三つの段ボールと、そこから沢山の本がチラリと見えた。

見なかった事にしたかったが、あの量は一人では捌けないので、私も腹を決める。

ナルは教授故か、知識を得ることに貪欲で、様々な資料がここに届く。

その貪欲さには感心を通り越して呆れてしまう。ナルは、本に夢中でご飯を食べないことなんて珍しくなく、リンさんがその度に苦労しているのを何度か目撃したのは記憶に新しい。

調査なんかと全く関係ないのだが、ナルは違う本に取り掛かっている最中なので、届いた本達の内容を判別して棚に整理していく作業は麻衣や私、リンさんしかいない。

因みに麻衣は英語が苦手なので、英書を種類別にするのは必然的に私かリンさんだ。リンさんは、ナルから言われた仕事もある為、ここでの私の仕事はもっぱら英書と睨めっこすることから始まる。


『今回も、こんなに届いたのね…』


たまにナルに頼まれて、日本語の資料を英訳する作業もしているのだが、それはごくたまにだった。

初めて頼まれた際に、ナルに麻衣にはナル達が日本人じゃない事を黙っておけと釘を刺された。言われなくても、人様の秘密をぺらぺら喋ったりしないのに、信用ないのかしら。

ナルは私が彼の正体に気付いているって知らないみたいだけど、私は知っているのよー。睨まれたくないから、自ら知っているって言わないけど。

私だけがナルの秘密を知っているのはフェアじゃない気がする……でも、私からは私の秘密は言えない。

同情の眼も化け物だと罵る眼も見たくない。


「そうなんですよ!英語ばっかりでわからなかったんです」


瑞希先輩が早く来てくれて良かったです!と、鼻息荒くさせて言われて、私は口元を緩めた。

麻衣って、素直だし人懐っこいし、そんな彼女に頼られたら悪い気はしない。寧ろ、嬉しい。


《うげぇー今日も本の虫ぃ?ヴァイスつまんなーい》

『なら、来なければ良かったのに』


雪女に取って夏は天敵なんだから、無理しないでいいのに。梅雨も明け、初夏を迎えるこの時期からヴァイスは、毎年日中は家に引きこもる。

調査でもないから、私に危険なんてないわけで、護衛と称してついて来なくて良かったのよ。私よりも、日差しに殺られるヴァイスの身の方が心配です。

その意味も込めてぼそりと、ヴァイスに言葉を返した。


「え、瑞希先輩?」


ナルに出勤したって挨拶しに行くべきだけど、きっと彼は本に夢中で返事もないだろうから、その辺はリンさんに任せる。

気になったらリンさんに訊くか、所長室から出て来るだろう。


『ん?』


戸惑ったような声を発した後輩に、手にしていた本から顔を上げれば、麻衣は悲しそうに瞳を揺らして笑おうとして失敗したのか悲哀の笑みを浮かべていて。

私は、何故急に彼女はこんなに泣きそうな顔をしているのかと狼狽えそうになったが、数秒前の自分の発言に思い立って、麻衣が勘違いをしているのだと悟った。


『麻衣に言ったんじゃないよ!』

「…、」

『あー…空耳でね、つまんないなんて子供の声が聞こえたもんだから、思わず反応しちゃって。近所の子供の声かなーとか思って……ははは…、だから麻衣に言ったんじゃないからね、本当に!』


納得していないような表情をしていたが、私が必死に両手を左右にぶんぶんと振って説明をしたら、元来単純な麻衣はそうなのかと流してくれた。

もしや傷ついたのでは…?と冷や冷やしたけど、仕分け作業に取り掛かる麻衣をチラリと盗み見て、私は半眼でヴァイスを見遣る。


『(ヴァイスー!!)』

《今のはヴァイスのせいじゃないもーん。うっかりさんな瑞希様のせいだもーん》

『……(確かに)』


反論出来ない。


《この部屋涼しー》


ぶつぶつ文句を言っている内は被害はないので、ヴァイスのことは気にしないで、本に目を落とした。

暑さに耐えれなくなったヴァイスは何を仕出かすか判らないのだ。

霊気を爆発させて室内を雪でいっぱいにさせたり、誰かを凍らせて涼んだり、とにかく涼しくなりたいその欲望に忠実に力を使うので、止めるのに一苦労だ。

ジェットがいてくれたら、私が止めなくてもすむんだけど、ジェットは絶対にここに来ないし…。前途多難だ…いろいろと。

まあでも、悪夢に囚われ過去を思い出して、落ちこんでいないだろうかと、ヴァイスが心配してくれて引っ付いて来た――って知っているから、強く言えない。

見送ってくれたジェットだって、素っ気ない仕草をしていても金の瞳は心配に揺れ動いていたし。

なんだかんだ文句言っても、私のことを想ってくれているんだ。やっぱり私は二人のことが好きだなーと口元に弧を描いた。






- 47 -
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -