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光を避けて蠢く黒は、気付かぬ内に側にいる。
危害を加えるもの、ただ悪戯をするだけのもの――…様々な姿を持つ彼等が動き出せば、我々に休息の時間など与えられない。
第五話【激動する闇夜】
「お前さんたちゃあ〜今日も食べねぇの?動き回ってんだから、少しは食っとけよ」
宿直室を借りているとは言え、使える電気製品は限られている。
基本的に会議室にて揃ってご飯を食べるからか――…三日もまともに食事をしない私と明良さんを見たぼーさんから呆れた声が寄越された。茶化す声音だが、彼の目尻が吊り上がっている。否を言わさない眼だ。
同じタイミングで、明良さんと顔を見合わせる。目でどうする?どうしましょう、と会話をして。明良さんの眉が八の字に下がった。
「いえ、私達はそんなにお腹が空かないので」
やんわりと明良さんが断ってみるも、
「っつてもよ…今夜も動き回るんだ、食っといた方がいいって」
「そうよ」
ぼーさんに綾子さんが加勢してしまって、明良さんの人の良さそうな面差しが苦笑に変わる。
恐らく肉系が入ってないからだろう――ぼーさんの両目がぐりんと黒服の人間に向けられ、「見ろよ、あの食が細そうなナルやリンだって食ってるぞ」と、言った。言っちゃった。
食事中に指をさされたナルと、パソコンに向かっていたリンさんの煩わしそうな視線までも、私達二人に集まったではないか。
「瑞希、コンビニ食…嫌いじゃないだろ?」
「サンドイッチなら食べてたじゃない、食べないの?」
案に人の手が入っていない食べ物ならイケるだろ?と、そこまで詳しく話していないのに……的確な心配をしてくれるぼーさんの鋭さに驚くと共に、典子さんの時の話を持ち出した綾子さんに目を丸くさせた明良さんが驚くのが見えて、身じろぐ。
「……お食べになられたのですか?」
『……』
明良さんは、一族以外の人間が作った料理を食さないのを知っているからこそ出た驚きの表情。
「なに〜アンタそんなに好き嫌い多いの?!」
『あー…まあソウデスネ』
勘違いをしてくれた綾子さんに首肯しておく。
「じゃあ明良さんも?いい歳過ぎた大人が好き嫌いなんてしてないで、食べなさい!アンタがそんなんだから、瑞希も食べないのよ」
年上の明良さんにまでお節介焼きの性分を発揮した綾子さんに、やんわりと一歩引いて笑みを溢していた明良さんがこちらを見遣る。
気付けば、幕の内弁当を食べていた麻衣や真砂子、修君とジョンの視線まで此方に集中していて、仕事脳なナルとリンさんもこっちから視線を外してないではないか。ナルに、こっちを見るなと言ってもいいかしら。これ俗にガン見ってやつ?
「どうします?」
どれにします?じゃないのが彼の本音を表している。
『食欲…出ない』
「ですよね…しかし彼等の言ってる通りですし、食べた方がいいでしょう」
『おにぎり一つ食べようか』
「そうですね、それくらいでしたら頑張れます」
――ガラッ
「会長っ!!」
小声で会話をしていた私と明良さんの耳に、足音を立てて断りもなく扉を開ける救いの音が届いた。
おにぎりから逃げられるっ!!っと恐らく明良さんと同じことを考えた。
「二年一組です。来てください」
「……僕?」
なんだ修君が呼ばれたのか……にしては、酷く焦った顔をしている。
乱入してきた男子生徒は――何度か見たことがある顔だった。そう彼は、修君の後輩…生徒会の人だ。直接の関わりはないが、知り合いではある。
目礼を寄越す余裕もないのか、視線が絡んだのに、彼は、「いえ。霊能者の人、誰か来てほしいんです!」と、叫んだ。途端に、霊能者組と拝み屋組と結界師組の表情が険しいものに変わる。
「落ち着いて」
『何があったの?』
切羽詰まった後輩の姿を捉え、修君も廊下へと出た。
肌寒い廊下にいた複数の男子生徒と女子生徒を室内へと入れ、修君に続いて一応顔見知りである私が声をかけた。
生徒会の後輩――松浦君は、いつも冷静そうなのに、顔面蒼白だった。いや、彼だけじゃない…彼の後ろに控えている生徒達全員だ。何かに怯えている、そういった形相。唇も手も可哀相なくらい震えている。
「死体が」
「開けたら死体が消えちゃって。でも、何人も見てるんです。血か膿みたいなのが」
要領の得ない喋りに、まだ彼等は混乱の最中にいるのが理解できた。
私と明良さんが同時に顔を歪めたはそれが不快だったからじゃない。内容が、深夜の共喰いの光景を思わせるものだったからだ。思い出したくもないグロテスクな……この人達もそれを見てしまったの?
「はい、息を止めて、口を閉じて、息を止める。ゆっくり息を吸って、吐く――ちょっと落ち着こう」
「……死体があった?どこに?」
泣きじゃくる女子生徒を一瞥したナルが、修君によって落ち着きを取り戻した松浦君に事の詳細を尋ねた。聞かなくても、常識では考えられないような事件が起こったのだと、我々に緊張感をもたらした。ヴァイスを除いて、ね。
ヴァイスってば、この空気の中で、かき氷を頬張っているんだから……大物よね。まあ彼女の姿は真砂子以外には視えないから、場の空気を壊す存在を敢えて見なかったことにする。
「掃除道具を入れるロッカーです。二年一組」
『(二年一組…)』
「君はそのクラスの?」
沢山寄せられた情報の中には、二年一組であった怪現象の話は記憶が正しければ一件もなかった。
「いいえ。聞き取りに行ったんです。掃除から戻る途中を捕まえて」
「掃除?」
「廊下で捕まえたんです。東棟を掃除に行った帰りで。廊下で立ち話もできないから、クラスに行こうって。そしたら」
松浦君の話によると、掃除の帰りに見かけた二年一組の生徒に詳しい話を訊こうにも、先生に見つかれば叱られてただでは済まないから――…、
「とにかく――来てください!」
と、ここへ助けを求めに来たらしい。
教室へ移動しながら、ナルの質問に答える松浦君の後ろから傾聴しながらついて行く。泣き止まない女子生徒を宥める役に、修君と綾子さんとリンさんが選ばれそのままベースに残ったので、移動するメンバーにはいない。
話はこうだ。
異臭がすると異変を知らせてくれた掃除を終えた二年一組生徒に連れられ、教室に入ればロッカーから異臭がしたのだとか。
教室にはロッカーから離れた場所から遠目に様子を見ている生徒ばかりで。答えはすぐに分かる、…なんとロッカーの扉から赤黒い色をした液体が流れてるではないか……逃げ出したくなるのを抑え、松浦君は意を決してロッカーを開けた。
数分前にロッカーを開けた時には、異臭も何もなかったロッカー内には、死体があった。それが事の顛末だった。
『っ、これは…』
「臭いますね」
教室に入る前から鼻を突き刺す嫌な臭いがした。
「――瑞希」
『うん。……大丈夫?』
「なんとか大丈夫ですわ。瑞希は?」
『私もなんとか』
思わず鼻に手を当ててしまった。
霊障にも敏感な真砂子に近付けば、力ない笑みが返って来て心配になる。明良さんと仲良くサッと室内に視線を走らせ既に霊などがいないのは確認済み。
だが、“いた”のは確実――…霊がいた証拠に、この臭い。
客観的に見て臭いだけでは“いた”と断定しないナルは、遠目に見ていた生徒に聞き込みをしていて。この臭いでも通常運転な所長の姿に変に感心してしまう。
「腐乱死体みたいだった。膨らんで崩れかけた」
「俺には、潰れたみたいに見えた、けど」
「ぐしゃっと潰れ、そのまま床に吸い込まれるように消えてしまった」
恐々とした様子の男子生徒達が、生唾を呑んで、途切れ途切れに説明している様子を、私達――麻衣、真砂子、ジョン、ぼーさん、明良さんは、凝視した。
現実に戻って来てないような、夢心地とはまた違う……現実を現実だと受け止めきれない、そう言い表す方が正しいような……若干虚ろな目をしている。中には青白い唇をした生徒や、声を出して泣いている生徒もいた。
「ここに何か怪談は?」
「変な音がする、というのはあったけど。ごとん、かな。そういう感じの重い物がぶつかるみたいな音」
「唸り声みたいなのを聞いた人もいるよ」
「あと、開けたら黒っぽい人影みたいなものを見たって子もいる」
淡々とした聞き込みに、冷静と取り戻したのか、質問に答えてくれる生徒の数も増え、ナルは一つ頷き、ロッカーから流れていた赤黒い何かをピルケースの中に躊躇いもなく素手で触れて入れた。
「何だろな」
「分からない。分析してくれるところに送ってみるが、結果が出るには時間がかかるだろうな」
ぼーさんに答えたナルは、私、真砂子、明良さんを流れるように見遣った。動きに促されてぼーさんの眼球もこちらに動く。
その意味を的確に受け止めた私は、左右に頭を振ってみせる。霊障を消すのは、原因がいないこの場では私には無理だ、元凶はこの場にいない、と二重の意味を込めて。
ナルはまた一つ頷き、今度はジョンの名前を紡ぎ、呼ばれたジョンは何も言われてないのに、こくりと頷いてみせて、
「天にまします我らの父よ……」
小瓶を取り出し、十字を切って、浄化してくれたのだった。
色で例えるならばグレーから黒寄りの空気が、ふわりと澄んだ空気へと変わり、息がしやすくなった。腐ったような臭いもしない。
彼の力を…否、そういった現象に初めて遭遇した生徒達は、目に見えて瞠目していた。息を呑む音があちらこちらで聞こえた。
感嘆の溜息の中、ナルがピルケースの中身にその整った貌を近付け、「……こっちも、ほとんど臭いが消えたな」そう零した感想も、耳に届いた。
「てことは、やっぱ心霊的なもんか」
「だろう。機材を持ってくる余裕があればよかったんだが」
「手応えみたいなもんは、おまへんでしたけど……」
「消えたようですわ。ここに来たときには、確かに何かの気配がこの中にありました。性別や個性は判りませんけれど、暗い思念は感じられました。ひょっとしたら自殺者の霊かもしれません。ただし、この学校に対する拘りや因縁はないようですわ」
思案するジョンと、自分の意見を言う真砂子を一瞥した冷淡な黒目とバチッと絡まる。
「瑞希はどう思う」
『…坂内君じゃないわ』
これはなんていうか…生物Aが生物Bへと進化する過程に起こった――…現象に思えてならない。
蛹が蝶へと成長する為のような、今まで被っていたソレを脱ぎ捨てたような……。
胸の内に広がるモヤモヤをはっきりと吐露せず、チラリと明良さんを見上げて。見上げた先にいた彼が頷いた事により、やっぱりそうかと音にせず口内で転がした。
私と明良さんを鋭い眼力で見ているナルには気付かず、二人して険しい表情で廊下へと出る。
――どうしよう。想像していたよりも危険?
早く手を打たなくちゃいけなくなったかもしれない。
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