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「――臭いますか?」

「…なんちゅーか。夏に台所に出しっぱなしで三日程忘れていた魚の臭いのような…」

「かすかにすえた香りと水量の減ったドブ川にも似た香りが絶妙なハーモニーを奏でて」


つまりクサイです、そう息ぴったり揃えた滝川さんと麻衣を遠目に。瑞希は入り口の扉から室内へ足を入れようとはしなかった。

案内してくれた修君を始めとしたこのクラスの生徒達は、オーバーリアクションとも取れる二人の反応に苦笑して、教室内にいた。麻衣が慌てて、窓を開けて、臭いを逃がそうとしているが……これは。


「特に臭いの強い場所はないですね」

「そうなんです。臭いの元を随分探したんですけど、教室全体が臭うんですよね」


教卓側の出入り口から、教室内を見渡す。

机を触って何かを感じ取っているナルを盗み見た。彼は気付くに違いない。

縄張りだと主張しているかのような、噎せ返る臭い。

私は、ここで授業など受けたくない。一秒でもいたくない、酸素を吸っただけで気分が悪くなる。真砂子が今いなくて良かったかも。彼女がいたらきっと体調を壊している頃だろう。


「…窓あけてもあんまし変わんないね」


――いる…いや、確実に“いた”気配。


「…ここで何か変なことをしませんでしたか?」


顔を上げたナルに、修君が小首を傾げるのが見えた。


「変なこと…ですか?」

「降霊術のような」


『一般的に、』そうぽつりと呟けば、おのずと集まる視線。頑なに教室に足を踏み入れない私に眉を寄せる人もいた。構わず続ける。とても気分が悪かった。


『幽霊を呼び出したりすると、異臭が辺りに漂うケースも多々ある』

「幽霊…」

「降霊って…」


眼は、冷静に会話をしていたナルと修君に向けていたが。

私の言葉に反応を見せた唯一の女の子達を冷ややかに見遣る。ああそう、心当たりがあるの。好奇心に負けてやってしまったのね。


「…ヲリキリさまのことじゃない?」

「ばっか、違うよ!だってあれは…」


叩けば沢山ホコリが出るんじゃないかしら。

いくら偏差値が高くて頭の作りが立派だとしても、行いは褒められたものじゃない。馬鹿じゃないの。愚かすぎる。


「ヲリキリさま――?って…なに?」


麻衣の素朴な疑問は、馬鹿な彼女達が勝手に喋ってくれるだろうと。今度は全員の視線が彼女達に集中した。


「最近…ていうか、二学期に入ってから流行ってるんです。ヲリキリさまとか権現さまとか…まあいわゆる……」

「あたし持ってる!まだ使ってないやつ、ほらこれ!学校中ですっごい流行ってるんだよ」


生徒を代表して修君が説明し始めていたのに、愚かな行為を愚かだとまだ理解していない一人の女子生徒が、修君を遮りポケットから一枚の紙を取り出したのだった。

彼女の近くにいた麻衣がそれを除き込み、「あれー?これ……」首を傾げて。

そんな麻衣の後ろからひょっこりと除き込んだ滝川さんの顔付きが、「!コックリさんじゃねぇか!」と、瞬時に険しくなった。


「ええっ!?」

「違うよ!コックリさんは狐を呼ぶんでしょ?ヲリキリさまは神さまを呼ぶんだよ、恋愛とかよく当たるんだから!権現さまは…」


驚く彼女達の悲鳴が不快で堪らない。黙ってくれないか。

差し出された紙を躊躇いもなく破り捨てる滝川さんに、称賛の拍手を贈りたい。


「…権現さま、花子さん、キューピッドさん、エンジェルさん」


滝川さんは一旦そこで言葉を止めて。


「全部、コックリさんの別名!」


叫ぶように彼女達が認めたくないだろう答えを吐き捨てた。


「名前がなんだろうとやってることは同じ!面白半分に霊をおもちゃにしてることになるんだ」


イライラする。


「そんなあ!ヲリキリさまなら神さまだから危なくないって…」


心の底から残念がる声音に、苛立ちが増す。

霊や妖怪から人を助ける一族と知っている面々は、そう私が自業自得で起こった怪奇現象を特に嫌っていると知ってる滝川さん、麻衣、ナルの三人が揃って私を見た。

怒鳴って説教した滝川さんの視線はすぐに逸れたが、一応心配してくれているらしい。……どっちの心配かは分かりかねるけど。


――どうして学校で、コックリさんが流行るのかしら。

我が校でも然り、湯浅高校然り、この学校然り。危険性を学習しない馬鹿ばっかり。


『じゃあ貴方は』


思いの外、冷ややかな音を紡いでしまった。

ぎょっと目を剥いて振り向いた麻衣と滝川さんと視線がバチリとかち合って、幾分冷静になる。

コックリさんは一種の降霊術。

私なら妖怪の狐などを引き寄せてしまうだろう。まあその場合は憑きモノ子孫までだからしないけどね。どんなに便利でも後世まで残したくはない。


『神様を相手に、自分の都合で玩具になってもらった、と?何の対価もなく?』

「ぇ、…あたし達そんなつもりじゃ……」

「ねぇ。ホントに神さまが呼べるなんて思ってなかったもの、ね?」

「うん。呼べたら、呼べたで、面白いかな〜ってノリで?」


仮に神様だったとしたらあなた礼節を重んじるべき相手を扱き使って罰当たりな行為を――…そう怒りを沈めて言おうとしたのに。


「そんなのはデマだ。霊を呼ぶのは素人でもできるが、帰すのには訓練がいる。二度とやるな!」


滝川さんによって流れを軌道修正された。解せぬ。不完全燃焼なこのやり場のない思いはどうしろと。

モヤモヤしていたのに大人しく引き下がったのは、所長様の眼力が黙れと物語っていたからに過ぎない。決して彼女達の行為を許したわけじゃないし、怒りが完全に消え去ったわけでもない。


「流行ってると言ったね。それはどの程度?」

「あの…ほんとに学校中」

「たぶんやってない人のほうが少ないと思う……」


ナルと瑞希が以心伝心した。――救いようのないバカばっかりッ!


『(そのまま憑りつかれてしまえば、少しは大人しくなったのかもね)』

「(その場合、僕達の仕事が増えるがいいのか)」





 □■□■□■□



――事の重大さを理解してなかったのは私の方だったか。


『今、なんて?』


頭に冷水を浴びせられたような、一瞬にして血の気が引き全身が硬直する感覚。

私はただ朗報を彼に伝えて、幸せを分かち合うだけだと考えていた――のだが、それが甘い考えだったのだと本人から直に突き付けられた。


「憎い相手は呪うに限る。そうは思いませんか」


ナルからの指示で、私はヲリキリさまをした人間に話を訊きながら、ついでに黒い犬の正体を探ろうと構内を歩き回っていたところだった。

ふと生きた者の気配ではない独特の視線を感じ、屋上へと出れば。遭遇したのは探していた獣ではなく、人間の霊体。死んでない――つまり生霊。彷徨っているだろうとは思っていた坂内君の霊体だった。

表情の抜け落ちた彼から放たれたものはすぐには呑み込めなくて。


『…あなた誰かを呪ったの?だからここに囚われているの』


なんとか絞り出した音吐は、情けなくも震えていた。未知への恐怖からでも怒りから来るものでもない……一種のトラウマからくる震え。


「違う。囚われてなんかない。僕はっ!アイツの無様な最期を見てやるためにっ!いるんだっ!」


“囚われている”

私にとってはこれほどにはない適切な表現は、彼にとっては不適切だったらしい。取り乱した坂内君から敬語が取れている。


『どう、やって…呪ったの』


誰を、と問いかけるのは愚問よね。


「見なかったのですか?“ヲリキリさま”を呼び出す為の紙を」


嘲笑とも取れる笑みを前に、イラッとする暇もなかった。次々と知らされる事実に、冷静に対処するのに忙しかったのだ。

“呪い”を行ったという現実から目を背けたかったのもある。脳の回転が普段よりも遅かった、自分でそう解析した。まあそれも一種の現実逃避ね。

ゆっくりと理解が追い付き、『あれは呪いの文』と、口内で転がすように呟けば、


「へぇ…葉山さん詳しいんですね。嬉しい誤算だなぁ」


坂内君の貌が、霊体にも関わらず活き活きと輝いた。麻衣みたいに瞳がキラキラと光線でも放てそう。嬉しくない。こっちは生きた心地はしてないのに、呑気なもんである。

呪いの文とは。

呪いの人形に入れる紙――には、呪いたい相手の名前などの情報を書かなければならない。そして呪文と共に神社に埋める。本格的なこの一連の手順を踏む人間は、こんにちでは珍しい。


「生きていた頃にゆっくり話してみたかったです。葉山さんは覚えてないかもしれませんが、こうやって御会いするのは初めてではないんですよ」

『…(そうだっけ)』

「何度か叱られていたところを助けてもらいました。お礼すら言えませんでしたが……」

『(あーなるほど)』


言われて気付いた。

そう言えば、教師に理不尽に叱られている現場を見て見ぬフリできなくて、何度か間に入った覚えがある。その時々により生徒の顔も性別も歳も違ったから、中に坂内君がいたとは、言われるまで知らなかった。


『どうしてバカなことをしたの』


てっきり私は、自殺未遂をした日が初対面だとばかり。

坂内君は意識がなかったので、私の事は知らないだろうと思っていたわ。


「それはどっちの方ですか?自殺?呪い殺そうとしていること?――代償は僕の命。誰に迷惑にもなりません」


どっちもとはっきり言えたら、どれだけ良かったか。

真っ直ぐに問われて何も言えなかった。私の頭の中は呪いの事でいっぱいだったから、当然呪いという行為そのものを指していた。


『待って。あなたの命だけじゃないわ』

「あーそうでした。沢山の人が僕の助けをしてくれているんでした」


もしも呪いを失敗したら。

溜めるに溜めたエネルギーはどこに向かうか。呪った人間である。坂内君はともかく、ヲリキリさまだと信じて遊び半分で呪いを行った生徒達は。その先は考えたくない結末が待っている。

となれば…湯浅高校の時のように呪いは返せない。

あれは一人の人間が沢山の人間をターゲットにしていた為、呪い自体が完璧に働いていなかったのも幸いして、どちらも傷つけないで返せたのだ。

だが今回は逆のパターンで沢山の人間が一人の人間を…結果的に呪っている。一人の力が微々たるものでも束になれば、呪われた人間は果たして壊れずにいられるだろうか。


「大丈夫ですよ。アイツは呪い返しなんて出来ません、知らないはずです。……最もそれは葉山さん達が邪魔しなければ、ですが」

『私に人殺しを、この私に呪いを見過ごせと。そう言ってるの?』


坂内君の切れ長な双眸と、


「話が早くて助かります」

『そう』


瑞希の色素の薄い瞳が絡み合う。

じっと言葉もなく見つめ合い、互いに意見が一致しないと悟った。


「ふふふ。傑作じゃないですか!」


泣きわめいても無駄だ、呪いは既に完成している――…坂内は何度も助けてくれた人間を、感慨深げに見つめた。ああ可笑しい、笑みが零れる。


「僕をバカにした人間が僕の策によって死ぬ!これ以上に愉快な話はありませんよ!」


瑞希は顔を伏せ、狂ったように笑う彼から逃げるように屋上を去った。

勝った、反対している様子だった瑞希にも勝った。これで邪魔者はいない、心置きなく死にゆく様を観察できる!と、歓喜に酔いしれる彼は知らない。実は彼自身、生者なのだと。

瑞希は敢えて生きてるとは言わなかった。



――さぁ。生きて反省してもらうわよ、身をもってね。






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