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――ん?
『(あれは…)』
校舎に戻ろうと、麻衣達の一番後ろを歩いていたら強い視線を感じた。
晴れ渡る空を見て。
瑞希の彷徨う視線が、屋上で止まる。
日光を浴びながらゆったりと微笑む彼女。もちろん遠くにいるこの位置からは、彼女の表情は見えない。でも彼女が微笑んでいる姿が脳裏に浮かんだのだ。
ぞくり――誘われている。
大方、罠だろう。…行ってみるか。あー…これ以上別行動したらナルに小言もらいそうよね。それかまたリンさんと一緒に行けとか言われそう。
リンさんと一緒なのは心強いよ。だけど彼を危険に晒したくはない。彼女が誘っているのは、この私だ。私一人で行く必要がある。
《行くのか?》
《ん?ぴ?》
そっと物陰に隠れて、呪符に呪力を込めて――…自分そっくりな式を作り出した。
《わっ!瑞希さんにそっくり》
『うん。――テイルは、ナルについて行って。ジェットは…、』
《お前について行くに決まってんだろ》
『じゃあ…二人ともよろしくね』
《はいっぴ》
〈はい、任せてください〉
もしもの時に備えて、結界術が使えるように精度が高い式を作っておいたから。何があっても大丈夫よね…テイルもいるし。
神妙に頷く私の姿をした式とテイルを見送って、ジェットと見つめ合って頷く。
瑞希とジェットに続いて――…瑞希の手から繋がっている女の悪霊も引き摺られながらついて行っていた。……視える人から見たらカオスな状況である。
□■□■□■□
「ど、どこ行くの?」
先輩とナルは、阿吽の呼吸で、会話無しに通じあっているのか、先輩はあたしみたいにナルが何を考えているのか想像がついているらしい。
一応、片思いの相手なのに…先輩にムッとしないのは何でだろう?
無い頭を捻っても、答えは出そうになかった。
「あとは埋められたヒトガタを回収さえすればいい」
「回収が大変ですよ」
「そうでもないだろう。犯人に訊けばいい」
あたしの質問が聞えなかったかのように、会話を続ける所長と助手に、ムカッとした。
隣りにスッと現れた瑞希先輩が、あたしにニッコリ笑い掛けてくれる。
〈さっきナルが呪われた席と陸上部の延長戦に犯人がいると言っていたでしょう?後は話を聞くだけよ〉
「はぁ。…でも誰に?」
〈客観的に見れる人がいいわね〉
「高橋さんに訊こう」
ナルの言葉に頷く先輩と、先輩を振り返ったリンさんが一瞬顔を顰めたのを見て、あたしは小首を傾げた。
〈……何か?〉
「……いえ」
たっぷりと間を開けて視線を逸らしたリンさんに、先輩もナルも怪訝な顔をしている。
「ナル。私は、ヒトガタ捜しの方に回ります」
「リン?…少し調べて欲しい事があったんだが…」
仕事に勝手な事を言い出さない、無駄な行動がない男なのに。
自分からこうすると敢えて口にしたリンさんに、ナルは訝しながらも頷き、何か耳打ちしていた。リンさんはナルの命令に頷いている模様。
麻衣からの角度では二人が何の話をしているのか分からなかった。
「え、え?」
〈……〉
《なんだったんっすかね?》
主の能力が込められた瑞希の姿をした式は、当たり前だがテイルの姿を認識できる。
なのに、小首を傾げたテイルを一瞥しただけで、反応はなかった。テイルは、つまらないなーと頬を膨らませて、
「置いて行くぞ」
「わわわ待って」
慌ててナルに駆け寄る麻衣の後ろを歩いた。
□■□■□■□
『屋上はこっちから行ける?』
《あぁ。わかってるとは思うが…気を付けろよ》
散歩と称して校舎内を練り歩いただろうジェットに尋ねれば、肯定が返って来た。心配してくれる彼の黄金の瞳を見つめ返して、『うん』と頷く。
ヒトガタを実際に眼にして、私が捕まえた悪霊を見て、ジェットも私が犯人の呪いの対象になっていると気付いている。
証拠を掴んで彼女に犯人だと認めさせるまでは――…いつまた狙われるかわからないから。私は、どうやら産砂先生の怒りを買ったようだ。
キィー
っと、錆びた鉄独特の音と共に、屋上へ続く扉を開けた。
『……』
《……》
慎重に一歩足を踏み出す。
風など吹いてないのに、背後でバタンッと扉が勝手に閉じた。ごくりと生唾を飲む。
《……》
『……』
ゆっくりと視線を巡らしても、下で見た産砂先生の姿はどこにもなかった。小さく息を零す。
『どこにもいない。取り越し苦労だったかし…ら、』
《っ瑞希ッ》
『――!?ジェットっ!』
視界の端を黒いものが横切って。
反射的に身体が動くよりもジェットの方が早かった。体当たりされて転がった私の視界いっぱいにジェットの背中が見える。
〈
殺す〉
主が狙われて怒りで妖怪独特の本性が現われだしたジェット。
瞳孔が完全に開き切ったジェット越しに視えた存在に、私も警戒を強めた。
〈殺す〉
『っ妖怪!?』
〈
殺す、殺す殺す殺す〉
《あぁ゛?俺がテメーを殺してやんよ》
『――ジェット、ダメッ!』
《なンでだよッ》
いきり立っている妖怪を見て、制止の声を上げる。
それを訊いて苛立つジェットの隣りに、私はゆっくりと立ち上がった。私もジェットも、視線は“彼女”から逸らさない。
ジェットが殺してしまったら――…彼女に依頼した犯人はただでは済まない。
自業自得と言ってしまえばそれまでだけれど、きっと犯人は、彼女が依頼を受けたことを知らない。無意識でやってるだろうから。
怨みに反応して、この妖怪は犯人の瘴気に呑まれたのだろう。ただ対象者である私を殺すことしか頭にないみたいだし。
《お前、命狙われてんだぞッ》
『彼女は、鬼女』
〈オマエを殺すっ〉
『手加減して戦っては、勝てない』
鬼女が長い髪を振り乱して、私とジェット目掛けて、手に持っていた大鎌を振り落とした。
私とジェットは左右に躱して――…ぶんッと空気を切り裂く鈍い音が耳の横で鳴った。屋上には緊迫した空気が支配する。
《鬼女?おいおいただの人間が…しかも素人が鬼を動かしたとでも言うのかッ!?》
『犯人の怨念が強かったってことよ!――結ッ、結!』
ジェットやヴァイスに負けない高位な妖怪――鬼女。
普通に戦って傷を残さないで勝てる相手ではない。結界を二回、二重結界を鬼女の周りに張った。鬼女の動きが止まる。
『見て、彼女。怨念に呑まれかけてる』
《妖が人間の怨念に負けてる…》
『きっと彼女手負いだったのよ。もともと弱ってた』
その証拠に、私もジェットもまだ攻撃してないのに、鬼女の腹から血液が滴り落ちている。
人の憎しみから産まれた鬼女が、弱っていたところに犯人の私を襲えとの想いに巻き込まれた。云わば、被害者だ。
妖怪が人間の恨みの依頼を受けるのは、人間の怨念が美味しそうに見えるから。負に塗れた生き肝は絶品に妖怪の眼には映る。だが…、手負いの鬼女は、逆に呑まれてしまった。ミイラ取りが逆にミイラとなってしまったわけだ。
『犯人が見付かるまでは滅せない』
《チッ。どーすんだよっ!》
『念糸で捕縛するしか…』
《悪霊を繋げたままで、それに式も出したままだろーが》
どれくらい式に能力を込めた?
立て続けに鋭い質問がジェットから寄越される。耳が痛いです。力の半分はあっちに使ってる…とは今は怖くて言えない。
もしもこの場を切り抜けて、助かったら笑い話で打ち明けよう、そうしよう。意外と私の頭は冷静だった。
『やるしかない』
鬼女を救うには、私の名前が書かれたヒトガタを焼くしかない。それまではなんとか繋ぎ止めるしか…。
右手に、悪霊を繋げた念糸とは別に糸状の結界を出して、じりじりと鬼女に近付く。ジェットの息遣いまで鮮明にわかるほど、神経が張りつめている。鬼女の息遣いも鼓膜を震わした。
『――!?ぁ、』
お互いに睨み合って。
捕縛するためには、一回結界を解除する必要があるため、余計神経を使う。ジェットには鬼女の背後に回ってもらっている。
息を張りつめる私の耳に、一度耳にした錆びた金属の音がして――…、
《おいッ瑞希ッ》
〈殺す〉
闖入者の登場に、思わず視線を鬼女から逸らしてしまった。
危険を知らせる鋭いジェットの声がやけに耳に届いて、目を見開かせたリンさんから、視線を鬼女に戻す。
空気を切る音に慌てて大鎌に直接結界を張って、攻撃を防いだ。だが…結界は、鋭利な刃物に弱くて。
〈――殺す〉
鬼女の動作を止められたのは一瞬だけ。
軌道を逸らした大鎌はそのまま瑞希の横に突き刺さり――…瑞希の背後にあったフェンスが綺麗に切れた。
事の重大さに気付いたのは、自分の身体が宙を浮いて、
《瑞希ッ》
「瑞希さんッ!」
我が式神の切羽詰まった声と、見た事がないリンさんの慌てた顔を視界に捉えた時だった。
次に瑞希の視界に映ったのは、どこまでも続く青だけ。
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